バァちゃんと一緒

バァちゃん…2005年9月~在宅介護。2010年1月、近所の特養に入居。2018年11月~在宅介護 再び(^^)v

*~ バァちゃんの認知症 ~* 2/7(木)

2008年02月07日 23時01分55秒 | ・認知症
バァちゃんの 認知症について
初めの頃の事
書いてなかったことに気付きました。

すみません。
今更ながら…ですが、まとめてみました。


バァちゃんが 難波の病院で腰の手術をしたのは、1998年10月。
69歳の時でした。
翌年2月に退院。
三重県の老健に入っていた おじいちゃんも、
1999年1月に こちらの老健(Tの郷)に替わってもらい
二人の住民票も生駒市に移しました。

その頃は 別に異常な言動があるとは思いませんでしたが。

ただ…今でも気になる
その頃のバァちゃんと私の会話・・・

片手のない方を見て
「あの人は 手がないけど歩けるで ええなぁ」
「おばあちゃん、なんで ええのんな。手がないのは大変やで」
「いや。手がないけど何でも一人でできるって言うとった。ええなぁ」
「おばあちゃんも1人で歩けるし、何でもできるやん」
「いや!うちゃ、サッサと歩けんで辛いんじゃよぉ!」
・・・・・少し、以前のバァちゃんとは 違ってきていたのかもしれません。

2000年10月に おじいちゃんが亡くなりました。

2003年2月5日 K大奈良病院 神経科受診
 診断→前頭側頭型痴呆
      脳血管性痴呆(疑)
  現症→2,3年前より物忘れ症状が出現。
     モノの名前を間違えたりすることが多くなった。
     「リンゴ」と「回覧板」を間違える。
     痴呆疾患疑い、受診された。
     HDS-R 6点だが、記銘力低下と併有して失語症状滞続言語がみられる。
     また、こちらの質問を無視して自分勝手に話を続けるなど、
     やや脱抑制傾向もみられる→前頭葉-側頭葉の障害か?

     (青字部分・・当日の診療録より)

同年 2月25日 
  MRI検査(単純+MRA) → 脳血管性痴呆疑い
  RI検査 → 脳血管性痴呆疑い。ピック病疑い
   アリセプト。ガスターD。バイアスピリンを処方される。

  で、この日 バァちゃんが田舎に帰りたがっていることを話し、
  条件付で許可を得ました。
    条件として
     ・介護サービスを利用し日々の生活を見守る。
     ・薬の管理を行う
     ・不調、奇異な行動あればつれて帰る 
      医療としては独居はすすめられないと説明

       (青字部分・・診療録より)

スグに、バァちゃんは田舎に戻りました。
(それからは、私が受診し薬を出してもらい、田舎に送っていました)

田舎に居るとき、三重県のケアマネさんたちに とてもお世話になりました。
細かく電話連絡し、いろんなことを助けていただきました。
バァちゃんは、自分で出来るのに 来てもらわんでもええ・・・と、
電話をするたび 文句を言っていましたが。。

2004年8月 だと思いますが
  バァちゃんの子供3人に 一緒に病院に行ってもらい
  先生の話を聞いてもらいました。
  その時の先生は、はっきりと ピック病ですと言わはりました。
  (皆、ちょっと・・・ショック

同年10月 
  バァちゃんがそれまでと違い、イライラが激しくなっている様子などを話すと
  アリセプトが 中止になりました。
  (そのときの先生は、
   バァちゃんの病気にアリセプトが効くかどうか疑問視していました)

2005年2月に事故に遭い 
  K大病院からリハビリ病院に医療情報を出してもらいました。

処方されていた薬は内科でももらえたので
それからしばらく、精神科には 行っていませんでしたが

2006年7月6日~
  信貴山の病院に通院を始め
  チアラリードを処方してもらいました。

2007年6月~
  Hサナトリウムに転院
    薬はノイリラークという名前にに変わりましたが 
    内容はチアラリードと同じらしいです。
   
と、
今回
当時のノートなど読み返して みて
その時々の細かい事 いろいろあったんやなぁ・・・と
懐かしいような ビックリしたような・・・

それらも つい、書いてしまいそうになりましたが
収拾がつかなくなりそうなので 

とりあえず、大まかな流れだけ 記させてもらいました。
   

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