【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

在来線の魅力~小田原で途中下車【昨年末旅行記11】

2013年02月27日 23時47分05秒 | おでかけ
残念すぎる秘宝館が最後となった熱海の話は前回で終了。
レジュメだったらここに向かう様子が口直しになったと思うが、
熱海らしいところでもあり(だからオヤヂ専門温泉街の印象だったか?)
でもやはりオンとオフで受諾と拒否のコントラストが強すぎるエロは
オンでない限りは押し付けられたくないもので、
それがあまりにも残念だったし、それが最後とは熱海が可愛そうにも思うが
あまりにもネタが多すぎて、紹介しやすさから仕方なかったし、
逆に場所が変わるなら、その最後のほうがエロネタは良かったかと思って。

しかしレジュメで災難を振り返ると…

アクティの座席を取ろうと頑張るもホームに到着後で出遅れ、
数名のリーマンが1人の癖にBOX席を1人で座り、
ベンチシートに行かないKYさが自分とはまるで異なることに立腹し、
でもそれも止むなしと席を探そうと隣の車両も見に行くが、
空気を読めた若い人が進行方向左側のボックスからベンチに移ってくれたが、
嫁がさっさと取らないで、私を追ってきたのでその後から来た
これまた全く空気の読めないおっさんが陣取ってしまったために、
4人目は誰が座っても全くかまわないのだが、
仕事の人はビジネスなので旅行気分は皆無で良く、
こっちは旅行なのでやはり窓際の席で車窓を楽しみながら家族で会話したいし
娘は乗り物に特に弱いので進行方向を向きたい。
なのに仕事の癖にどいつもこいつも進行方向の窓際を押さえるので
娘は通路側のリーマンの隣で不機嫌顔。
仕事なら遠慮しろと自分が絶対にしないことをいけしゃあしゃあとする輩が
何人も居たことが残念で、譲らない2名は途中下車、
譲ってくれた若者は同じく熱海まで乗っていったという皮肉ぶりで、
さらには途中から幼児がぐずり出し、幼児が降りた駅で大学生男女が
10名以上乗ってきて普通レベルでも迷惑に値する大声。
熱海に着いたら駅前でマック赤坂が大音響で迷惑行為。
旅館のバスは乗る権利があるのにいきなり乗れなくなる
ちびちゃん軍団総勢25名弱に、日没までにホテルから徒歩20分の
お宮の松に行くことを、出発時間の大幅遅れを余儀なくされた。
夕飯前には卓球台もボールもラケットもせしめて騒ぎ捲くる
全員日本人なのに英語しか話さない子どもとその両親と祖母。
その夕飯時にはエレベーターが全く来ず、大声でちびちゃんの大号泣と
お姉ちゃんや母親らの絶叫の嵐という最悪の初日。
翌日も唯一の熱海でのイベントになった熱海城は秘宝館の強制的な
露出と言う差込具合に大激怒し、そんな思いをしてチェックアウトすれば
これまた英語兄弟一家が送迎バスでの私的な振る舞いと
蔑んだ目線での高飛車振りに腹立たしく、
もうこの街は嫌だと言う様に、電車に飛び乗ったのだ。
土産もホテルで2個しか買ってなく、駅前で少し買うつもりが、
本能的にもうこの喧騒や不快から逃れたいと思ったのだと思う。

そんな心情で熱海を後にすることになるとは当初全く思ってない。
もはやクリスマスの翌日ならシーズン的に谷間であり、
あまり人も居なくてシーンとしすぎて気持ち悪かったと
そういうコメントをここに書くのだろうかと思ったぐらい。
なので面食らったのは当たり前だったのだが、
ホテルのフロントのお兄ちゃんとお姉さんが気持ちよく
一緒に写真に入ってくれたことぐらいで、
熱海の人や他の宿泊者に嬉しくなる気持ちに一切させてもらえなかった。

なので小田原からの帰りだったが、特に印象深かったのが、
次に来る電車は普通で、その2本後が快速でその次が特快だった。
私がもし快速が早ければ、駅の売店でも見て後の快速にしようかと
思ったのだが、どうも大差ない快速だけに先発の普通のほうが早く、
帰宅ラッシュにもまれて家に帰るのは疲れが倍になりそうなので
絶対にそれまでには帰りたかったので、時間優先で考えていた。
そこで唯一ほっこりした瞬間があった。
地元の50代ぐらいの奥さんが、旅行者だろうとわかったようで、
なんとなく気にしていたようで、勘違いしてこう言ってきたのだ。
「快速は東京行きで、特快は大宮とか高崎に行くんですよ」と。
どうやら一部始終聞いていたのではないために、
私が快速と特快の違いで困っていると思ったみたいなのだ。
これは勘違いだったので、的外れではあったけど、
でもこういうのっておせっかいとは言わない。
もしかしてコレで困っているのかも?
高崎に行きたいのに東京に行くならまだいいけど、
東京に行きたいのに寝てて終点で起きたら高崎だったなんてなったら
この家族はかわいそうだわ!!こう思って声をかけて来たに違いないからだ。
これをおせっかいだなんていったら完全に罰が当たる。
なので愛想良く受け答えして丁寧にお礼を述べた。
これが一番ほっこりしたよ。

ということで、初島に行っていたら下車しなかった小田原。
鈴廣のかまぼこも新年が来れば使うので欲しかったし、
熱海ではないけど時期的にお土産としてはそれがいいと思ったし、
鈴廣の扱いは熱海でもあったけど、折角なら本店で買いたいし、
まして熱海のお城がああいうことだったので、口直ししたかったし、
船に乗らない段階から寄る予定で居たけど、
そんなことから確実に寄るつもりだった。足が痛いのは大問題だが
そんなもんより城自体面白くはないけど思い出のほうが大事なので。

その小田原駅の様子を紹介。
冒頭は改札に向かう通路から見えた小田原城。
行きの車窓からも撮ったアレだ。
距離で見ると遠く無さそうなので歩くことに。
足が痛いのに、とんでもない決断だが、元々歩きなれてるので
別にどうってことはない・・・が、今は無理だったかも?
なのに・・・・・・・その先は又次回に。



小田原の駅ってこんなんだったかな??
15~16年前は毎月来てたからね。
でも城には行ったことがない。時間がない出張だったからだ。
当時は毎月第1金曜に三河安城まで行って、浜松で泊まり、
翌日の土曜に掛川~小田原まで、新富士と熱海以外全ての新幹線の駅に
降りて仕事をして帰ってきていて、小田原は毎回日没後。
真夏なら明るいが、相手が店舗だけに18:00台に訪問していた。
行き先はこの東口を出て、左にぐるっと回りこみ、
ベルジュの前を通ってEPOまで行っていた。

そのときはこんな綺麗な改札ではなかったかと。
改装したんだなとはその新しさからわかった。



でかい提灯!!凄く驚いたが、その当時からあったかな?
あったような無かったような…。
当時はデジカメなんてあったけどそんなに普及してないし、
持っててもあまりあれこれ撮る人も居なかったし、
携帯の写真なんてあまりにも小さくて画像悪くて撮るもんじゃなかったし、
全く撮影してないので覚えてない。

だけど忘却のかなたに行っていることを思い出した。
おさるのかごやだ。
「エッサ エッサ エッサホイ サッサ
お猿のかごやだ ホイサッサ
日暮れの山道 細い道 小田原提灯ぶらさげて
ア~ラ よっちゃんの~ぅんお 酢漬けイカ
するめじゃないよ 酢漬けイカ
ア~ラ よっちゃんの~ぉんお 酢~漬け~イ~カ!」
・・・あ!!途中からよっちゃんイカに!!原曲をも忘れさせる恐ろしさ!
とにかくこの歌詞にある「小田原提灯」だ!!

童謡の歌詞にも出てくるってことは有名なんだよな!?
どうしてもこの土地だとかまぼこを思ってしまう。
記憶では小田原ちょうちんはいわゆる蛇腹のやつ。
畳めるコンパクトさが旅人に大ブーム!特許とって大もうけだ!
今だったらそういう代物だったはず。
ということで、この巨大な小田原提灯があるんだな。
ちょっと調べたら大雄山線の中ほどの駅にある明治から続く山崎提灯店。
小田原提灯の継承者の1軒であるそこが作ったようだ。
・・・家紋入りの小田原提灯欲しいかも…。



改札を抜けた左に行くと西口だが、そのコンコース脇に店が並ぶ。
その最初のほうにこの物産展示コーナーがある。
正面にはかまぼこなどが並んでいたが良くみれば、
その左のショーケースには小田原提灯も入ってた。



物産展示の隣で行かずに揃ってしまいそう。
コレ実は、帰りなのだが「茶ップリン」を買いそびれたことを思い出した。
あれはこれまでで三島で買ったのが最東端。その次の熱海にあったか?
でもそのチェックも忘れて小田原まで来てしまったら確実にない。
でも一応小田原名物に混じってないかどうか探したのだ。
だけどどの店に聞いても「そんなもんない」という反応…。
そりゃそうだよな。かまぼこの町に来て、お茶の町の土産物無いかって
ある意味失礼な話だし。



こんな感じでいろいろ店があった。
鈴廣も出てる。でも以降の店はコンビニの前に出てる。
いわゆるコンコースの移動販売だ。私も客の手伝いでやったことある。
・・・きんたろう牛乳サブレ・・・。
そうか、そういえば金太郎は足柄山だ。
でも足柄山ってないんじゃなかったかな?金時山がそれかと。
今は合併して南足柄市はあるけどね。
他にも山があるけど、海側のふもとの端がこの小田原か…。
ある種、今だとタイムリーか?キンタローが売れたんで。



コンコースを目的の東側に向かう。
これまでは大雄山線に行くのにこんな高くまで上らすに、
ただ線路と電車を超えるだけで、同じ北向きに改札はあったが、
地上の高さにそれがあって、改札を抜けて左は西口で右が東口だった。
西口は直ぐにロータリーだかだったが(当時は新幹線使用だから)
東口は凄く長かった。登山鉄道、東海道線、大雄山線の下をくぐってたかと。
なので下に行かない空中庭園状態に違和感。
徐々にそこに近づいていき、でたところにこれがあった。

娘も良く知らない二宮金次郎だ。
年末のダウンタウンの笑ってはいけない24時の最後の最後に
プロデューサーのガースーがこの格好で出てきて、
昨今は薪背負って読んでないらしいですよ?
本を読みながら歩くとか子どもが働くとかで
そもそも撤去されてないらしいですけど、それでもあるところだと
こんな感じに薪を下ろして腰掛けて読んでるそうです。
こんなもんお前!サボってるだけや無いか!?・・・ってね。
みたいなことを言っていたのが一番最近触れた二宮金次郎のこと
それがその4日前に本当の姿の金次郎を見るとは!

大体クレーマーって何なんだろう?
これなんか美談じゃないか。
詳しいことは知らんのだけど、貧乏だから働かねばならず、
でも学校に行けない分、その運ぶときに本を読み勉強も行うという。
それが小学生に労働とはなんだとか、しかもきついこととか、
歩きながら本読んだら危ないとか、とにかくけしからんとは貧困な頭。
時代がちがければ、そんなもんアンタはわからんのでしょう?
あんたがわかってることはアンタが物心付いて今日までの現代だよ。
その現代の常識を大昔のことに当てはめて苦情言うってそっちが怖い。
高校もない旧制中学とか、車だってない飛脚や馬の時代とか、
まるで自分が経験してない時代と環境のことを、
あたかも現代に当てはめて異議を唱えるってぶっ壊れている。
今の子どもが真似するって、こんな働きながら本読むなんて立派な子ども
この時代には絶対に一人も居ない。
そこまでなくてもこの格好を真似をすると危ないって?
そんな及び腰だから学校崩壊したんだよ。
鬼ごっこのほうがよっぽど危ないと思うし、
免許制もない自主性の自転車の使用のほうがよっぽど危ないし
今の子どもたちに密着した出来事でほぼ全員に当てはまり、
二宮尊徳の真似をするだろう絶対数のほうが圧倒的に少ないのに、
そっちをどうにかしようともせず目を伏せて、
こっちに目くじら立ててるってのが異常だよ。
災害で全てを失い一人になった金次郎が親戚の家に身を寄せて
調べれば、働きながら学んで、働いて働いて元の土地を
20歳で再び取り戻し復興したという偉人の話じゃないか。

学ぶこと、学びたい気持ちはこれほど尊いものなんだと
なんで教えられない?
そんな教えベタな教師がいくら黒板を白くしても
子どもたちの脳みそのしわは素晴らしく増えていかないね。
教師や教育関係者がまずは骨太になって是正しないと
日本の教育現場は変わらない。あの組織も偏りすぎだと気づくべき。

・・・と、熱く語ったら、なるほどこの人も小田原の人だったのか!!
だったらこの土地には絶対に無くならないな。
自分の幼少期の小学校にはあったものを見られて懐かしかった。
今は撤去されてないのでね。



北千住の駅前が空中庭園が出来る前の地上の感じに似てる。
でもこれが小田原だとはまるで思えない。
そういうわけでここは階段を5~6段登って線路をくぐった
ある種の地下から出てくるところだったんで。
それが空中にフロアが出来てんだぜ!?
この手のやつはその北千住も溝ノ口も川口もこっちのほうだと豊橋も
見違えるように変わってしまったんだよな。
なので例外なくここも見違えるように変わってしまった。
どっちかと言うと、熱海の駅前に様子は似ていたのに。
なるほど、東西を結ぶアークロードというのだな。



縦に見るとこう。
小田原駅ってのがないとどこだか全く解らない。
なるほど私が毎月行っていた10年後ぐらいに出来たのか。
ラスカって平塚のと同じだな。
あー熱海のやつや茅ヶ崎のルミネまで合併して
(茅ヶ崎はルミネなのに単独で合併って????)
熱海のは無くなったけど、その3つで展開してんのかー。

それにしてもバス停の屋根の部分が面白い構造になってる。
なんか意味があるのかな?



そしてこっち側のシンボルだったのがこれ。
箱根登山ベルジュ。
名称はこういうのだったんだと初めて知ったんだけど、
箱根登山へどうぞと言う意味の「箱根登山」であって、
あの横文字は「ヴィラージュ」だと思っていた。
これの目の前の左回りにEPOへ向かっていっていたのは、
この画像からは解らないが、ベルジュのところを曲がっていくと
二股になって、どっちから行っても次を曲がれば行けるのだが、
左からのほうが近いんだよね。だから。

そういえば、その二股を左に行くとドトールがある辺りに
イラン人のような若い兄ちゃんがいつもレーザー照射の
キーホルダーを売ってた。
それで客の興味を引くのに、歩く人の足元を照らし、
その人がレーザーに反応して目で追ったら、
その人の体を駆け上がらせて行く。
そしてうわっと思ってどこから来たのかきょろきょろして
その正体が自分なんだと発見されたら、こっちを見てケラケラと笑う
その笑顔が意外と幼い表情で(hydeみたいな)可愛らしい顔で
人にレーザー浴びせやがってと怒る気も失せる少年のような男が
いつもござ引いてそういういろいろな小物を売っていた。
いや、茶ップリンはここまでに買っているけど、それは買ったことないが。

とにかくこのベルジェはこの東口のシンボリックな存在だった。
それがラスカに取って代わられたからなのか、
老朽化と言うことも50歳以上のこの建物だからあるのだろうけど
知らなくてたまたま撮ったのだが、この3月末で閉館らしい。

ロータリー越しの地上から撮ったけど、
空中庭園に居るときに振り返って撮ってなかった…。
でも無いよりはましだよな。この存在がなくなってしまうので。
今回EPOのほうは行ってないけど、こんなに変わってしまった
小田原東口の駅前で、唯一ここが小田原なんだと感じたもの。
それすらなくなれば、今度行くときは完全に駅前は別世界なのだろう。
このラスカの記憶は新しく刷り込まれたにせよ。



近隣のことは又後日だが、これは駅の様子だから今日紹介。
もう忘れてしまったが、明治とか大正とかの小田原駅前。
城に行く途中にあった。
そう思うと、長い歴史の中では、私の知ってる小田原の駅前も
この時代の人には全く違う町に変貌してしまったと
言われて然りだったんだと、これをみて気づかされた。
時が流れるってこういうことだよね。

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