【半休中】Beyond talk to oneself

子どもや日常、スポーツ回顧、時事の疑問に世の声の1人として触れていきます。競馬予想はあくまで履歴と仲間向けです。

【大好物!】甘くて苦い思い出の「茶ップリン」18年ぶり!!

2013年01月16日 23時40分50秒 | グルメ
年末になってしまったのだ。色々とバタバタとして。
何がってお歳暮のお返しだよ。
!????お歳暮のお返しなのになんでお前に箱が届くのかって!?
・・・それもそうだよな。では簡単に説明する。

例年どなた様にもお断りしている中元歳暮。
その制度が嫌いだし、貰っても返さないしと言って
あなたが出す意味が無いんだよ。一方通行なんだから。と、
特に目下のものからお世話になってますと届くものなどなく
ならば対等以上の関係の中、目上は目下のこっちが出さねば出すわけなく
そういう相手にはしない主義ですあしからずと言うことは理解されていて
対等の間柄でも同じ話は通してあるが、それでも出したい人が居る。

一部お歳暮を贈る年齢になったことと、自分の職場でも扱いがあり
販売ノルマの兼ね合いでうちに送って来たのがいるが、
その会社も潰れたし(今時社員にノルマ課している様なところでは
潰れて当然だろうな。数字が無いからのノルマなんだから)
その必要もなくなり、私が送り返さないことで出さなくなったのは居るが、
本当に出したい人は、見返りがなくても出すんだよな。

たまに居るでしょ?人に物を贈ったりあげたりするの好きな人。
それで喜ばれることで自分が嬉しい献身的な人が。
そういう人なんだけど、さすがに何年も返さずに居たんだけど、
いつも紹介しているように、手替え品替えいろいろ贈ってくるんだよね。
それがうちを気遣って、娘が喜ぶだろうと100%ジュース缶32本セットとか、
私ら夫婦が大好きだからとビールを贈ってきたりとするそれが、
選ぶときの楽しさも垣間見えて、こっちの嬉しいところを突いてきた
嬉しさと喜びで思わず笑顔になってしまうし、
大半はおざなりに適当なものを贈るならぬ送るだけで、
そこに心は何も感じないのだけど、この人からは常に心を感じるのだよ。
だからこっちが根負けして、価格的には失礼な安いものを
正直言って形程度にお返しをすることにポリシーを曲げられてしまったのだ。
それは文句ではなく、この私が捻じ曲げざるを得なくさせられたと
いわば脱帽したのだよ、シャッポを脱がされたのだ。

そんな人から、届くだろうとは思っていても、スタンバイはしてなく
届いたら返すようなことをしてきているのだが、
歳暮の時期は何故かすごく忙しくて時間が取れず、
どうにか物を決めてネットで発注をかけられたのが28日の夕方。
普通はそこが御用納めで、大掃除だけのところもあったはず。
そのショップも当日の12:00までのオーダーを年内発送で、
以降のオーダーを年明けの御用始めに発送だということだった。
なので遅いお歳暮でもなくなり、お歳暮のお返しが年賀になってしまったのだ。

さあ、長い前振りだがようやく確信に近づいてきたぞ。
その年賀をどうしようかと思ったときに、
年末に買おうと思って買いそびれたのがこれだったのだ
どこで買いそびれたかはまた来週以降に紹介するが、
自分がそれで無性に食いたくなったのだ。
10年以上も食ってないが、だからこそ尚更食いたくなったのだった。
それで自分で食うのをネットで買うなら、お歳暮のお返しを
これで年賀とすればいいと、お返しと自宅用を買ったと言う話なのだよ。
(ようやく話がゴール地点に到達!!!)



メーカーは直販して無いのか、ネットで探したのは扱いがあるショップ。
そこの箱を開けると中はこうなっていた。
手前の紙は納品書などだが、黄色いのは・・・



袋なのだよ。紙の手提げ。この中にブツは入っている。
袋付きなのかと言うと、袋無しも選べる。そのほうが50円安い。
箱で届くんだからそんなものは要らないのだよ。
では何故わざわざ50円払ってそれを買ったのか!?
欲しかったからだよ。答えは簡単だよ。
もちろん今回のオーダーに至っては全く不要なもの。
でもこれの思い出は私が新幹線ホームで毎月買って帰ったもの。
その体裁はこの袋に入って持って帰るのだから、
あのころと言う琴線に触れるには外せないのだよ。



中身がこれ。出た!!
こんな包装だったかな??それは変わったかもしれない。
でも袋は変わってない。きっと。この黄色のイメージがあるのだよね。



あぁ、そうそう、この緑。
緑色の包装紙じゃなかったかな?
それがTOPが白に変わっている気がする。



裏面はこういう感じ。
抹茶・玉露・せん茶とある。
ずっと抹茶だけかと思った。
そういえば、玉露の味がしたっけ。記憶が蘇る。



これでもかと立ててみた。
何?このはすの花のような中のプリンは。
察するにこれはお茶の花の中にプリンがあるのだよなきっと。
花びらは比較的小さいのにおしべとかの黄色いのがすごく多いんだよね。
なのでプリンがそれを担ってて違和感は無いかも?



そのシール、袋に張ったよぉ。
思い出と言う琴線に触れたいからこれも付けたので、
そのシールも張ってみて保存しておこうかと思うよ。
ドンだけ気に入ってんだってことだよね。
ネットが普及しているの知ってて長年結びつかなかったよ。



包装紙を開けてみた。
なんとなくこんなような箱だった気がする。
緑色は記憶に無いのだが、濃いベージュだった印象はある。
だけど中身は平の1列で3個入りだったと思ってた。



箱を空けたら中はこう。
小さめのやつが2段で4個入ってる。
それをみて、そうだこれだ!!と3個が4個になったので得した気分。



中身を全部出した。
やはりシールのやつはお茶の花にプリンだな。ふたが茶の花だ。
そのプリンが4つに、左は食べ方や保存法などの説明書。
右は抹茶の甘いソースだ。凄い緑色なのだ。
玉露シロップと抹茶ソースに混乱させられるが、
↑の裏面を見る限りは、プリンのほうに玉露シロップは入れられてて、
この画像のソースが抹茶ソースなのだ。
玉露シロップにはせん茶が使われていると言うことみたいだ。

とりあえずもう当然食っているが、中身は又後日。
ちなみにこの茶の花の蓋を開けると昔はプラのスプーンが
プラモデルのように丸い内枠にくっついた状態であって、
それをスプーン部分だけパキッと折って取り出して、
枠をとった後に、ツナ缶や水羊羹の缶の様なアルミの蓋を開けて、
それで中身が始めてお目見えだった記憶だが、
今はこの抹茶シロップの4つの束の間に透明のプラスプーンがあって、
この蓋を剥がすとカップ麺のように直ぐに中身に変わっていた。

ちなみにこれで1000円。安いでしょ?袋付きで1050円なのだよ。

これを初めて買ったのが、東海地方の出張が多かった1994~1995年。
なんと驚いたことに、この商品、発売開始が1994年。
・・・創世記の常連ぢゃん!!!!σ(*゚∀゚)

1994年の私は、バブル崩壊の余波で居やすくやりがいもあり
全てが揃っていた環境の会社が、バブルで倒産した仲間の煽りで
グラングランと震度8ぐらいで揺れまくって、
社員の1/3が危機感を抱いて去っていったのだが、
私も後発組みながら、その様を見て貧乏くじ引くものかと
同じく出たのだが、予期せぬ愛の手が数社から差し伸べられて生き残った。
倒産を確実視して辞めた私らのほうが馬鹿を見た結果だった。
バブルと言う巨大な魔物にいいように振り回されて、
そんなことがなければ、堅実にやってきたわが社は独自では全く
波風も立ってなく、仲間が本業と違う不動産投資などに資本を使い出して
大損したことで、しわ寄せが回ってきたことだけだったので、
バブルの魔物が居なければ、今もそこに居ただろうほど
気に入った職場だったのだ。最終的に自己判断だが今でもバブルは恨めしい。

そこで倒産を避けて転職した先が、皮小物の会社で全国展開の卸しで
出張が多い会社だったのだ。(厳密には半年で潰れたウェディング関連を経て)
そのいくつか行き先がある中での1つが東海地区。
名古屋からは別のものが担当だったので、私は三河安城まで。
その東海道新幹線で、三河安城、豊橋、浜松、掛川、静岡、三島、小田原、
小田原以東と熱海(温泉地)と新富士(工業地帯)で顧客はなかったが
他は全てあって、商業施設相手なので、浜松と静岡は駅ビルだが、
他は全部少し離れた郊外で、浜松は駅ビルと郊外とがあった。
ちなみに豊橋の目的地の敷地内にでっかいゲーセンがあって、
そこでどこでも見るレースゲームと同じなのに、他には無いシートの振動があり
ステアリングも振動や重くなったりする、よりリアルなやつがあって
それがすごく気に入ってよくやったもんだったよ。
その2年後くらいに、アーケード版の電車でGO!が大ブレイクするんだけどね。

ということで、私の見た中では、西は浜松から東は三島まで、
このチャップリンはホームなどのキヨスクみたいなショップで売ってた。
そのどこかしらで毎回買っていたのだよ。
しかもその東海地方は地方の中では数字がいい地域なので
毎月1回行っていたんだよね。決まって第1金~土曜日に。
宿泊は決まって浜松。それは繁華街の鍛治町があるからね。
そこで毎度酔っ払ったりあんなこんなそんなかんじだった。

毎月行くと馴染みの店もでき、良くくると思われて地元の人だと
勘違いをされた。だって「毎月1回でなくてもっと来てちょうだいよ」って
そばやなんだけど、おかみみたいなバイトのおばちゃんに言われたし。
そこ、夜はほぼ飲み屋なんだよね。
毎日チャームみたいな手製のおつまみが5種ぐらいあんの。
常連は酒を数杯飲んで、最後にそばとか飯食って帰るのだ。
居酒屋もいいんだけど、実際広くて騒々しい中に一人で飲むのって
とてつもない寂しさを感じるので嫌だったので、
そのそばやを気に入って贔屓にしてたんだよね。
なので毎回第一金曜の夜はそこで飲食してたのだ。
他の店も行くけど最後はそこで。23:00までやってるんだよね。

で、よそ者だと思われるとぼられるので、
(事実地方のタクシーはわざと回り道するせこいドライバーは結構居て、
地元のやつじゃないと思われるとムダ金使わされるのだ。
なので私のように行きなれて知ってると「この道違う。こうこうこうだろ?」
こういうと血相を変えて「お客さん地元の人?」とか、
「今日はそっちは工事で…」とか「渋滞が酷いんで避けてます…」とか
色々言ってくれるのが面白い。基本的に行き先といでたちと持ち物で
出張のサラリーマンだと解るんだよね。それを覆すのが気持ちが良いのだ。
ま、そんなことで油断したらぼられると言う気があるので、
その店はそういうことは無さそうだと思いながらも油断しないでいて
「かみさんが毎月第一の金曜は実家に泊まりに帰るんだよね。だから」と、
さすがは口八丁手八丁のプロの営業マンだと我ながら思いつつ
(ちなみにうそを言っていい加減な商売をしたことは1度も無い)
相手も妙に納得してくれて、第一土曜日の常連と記憶してくれた。

それが2年ぐらい続いたんだよな。店の名は…確か淀や。
なのでその店は10回強、茶ップリンは15回程度買ってたんだよ。
(他に山陰も担当したが、年1ペースで、会社創設40年で初めて行ったのが
私だったというほど、人口少ないから売れないし誰も行かなかったという差)
しかも相手からしたら、知らんだろうが創世記の常連だったのが私。

その皮小物の会社、2年程度で辞めたのは、典型的な同族企業の悪い見本。
同世代の息子らは毎日遅刻やオンオフの使い分けは無いし、
親たちも身内に甘く他人に厳しい最低な感じで、とどめは社長が電車の中で
70代か80代か、腰が90度近くも曲がろうかと言う老婆を
突き飛ばしたんだよな。(ー'`ー)

そんなおばあちゃん歩くの遅いの当たり前じゃないか!?
それが先に電車に乗り込んだまではいい。
でもその後ろをゆっくりゆっくり付いて車内に入った私と社長。
一応私は他人でも社長の客を引き継いでほしいと言う期待をされて
入社をしていたので、私以外は社長と回るものは居なかったのだ。
なのでそんな地獄へ行けと烙印を押されるような最低な行動を取ったのを
見たのは私だけで、聞いた同僚も驚いていたが、そのショックたるやなかった。

一応手で押したのではなく、遅いからと自分が進むペースで進み、
出っ張った腹をおばあちゃんにわざと「ドン」と当てて、
それのせいでおばあちゃんはペタ…ペタ…と1歩1歩確実に歩いていたのに
ダン!ダン!ダン!と3歩ほどよろけて転びそうになったんだよ。
それを見た瞬間に何故か私が「大丈夫ですか!すいません」といったので
周りの白い目がみんな私を見たがね…。
でもその馬鹿社長が比較的良く聞こえる声で「ぼやぼやしてるからだよなぁ」と
私に言ったので、周りはこのちんちくりんな小太りオヤジの方だと気づいたが、
とりあえずその場は「は…はぁ…」と薄笑いを浮かべやり過ごしたが、
その瞬間にこんなやつがTOPの会社には居られないと退職を決意し、
即行翌日には1ヵ月後の退職願を出したんだよな。
それはそれで正解だったと今でも思うね。レベル低すぎ。
いや、それを測るにも値しない。完全なる人間失格!!

そんな同族企業の典型的粗悪と人間離れした粗悪のハイブリッド会社に
在籍した2年間程度の出張時の一番の思い出がこれであって、
その味にとりこになっていたのも事実なんだよね。
甘くて苦くて、しっかりとお茶なんだけどスイーツなんだよね。
お菓子には罪はないし、仕事自体は悪くなかったし、客は店員の悪い意味での
世間知らずが多かったけど、いい人が多かったし嫌いじゃなかったけど
人としての大事なものを投げ捨ててまで、金稼ごうとは思わない。

でもある場所の店員の女の子とは食事したり、ぶっちゃけHもした。
そんな甘くて苦い思い出がある職場だったので、
そのテイストがする茶ップリンは皮肉にもマッチしてるな…。
ちなみに最後に自慢だけど、そのHした子、フジテレビのアナウンサーの
生田斗真の弟と社内結婚だか婚約だかした秋元優里そっくりなのだよ。
あっちもこっちもどっちもそっちもご馳走様だったよ。…彼女元気かな?


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