東日本大震災が起きた時に、友人と連絡が付かないと書いた。
全然繋がらないそれは、時間を追うごとに絶望の文字が鮮明化してきた。
それでもその人から震災後3日で連絡が来た。
身内ではない。いわばただの友達だ。
なのにNTTが設置した緊急用のTELで、身内以外にうちにだけ連絡をくれた。
数名の友人への無事の知らせを代行して欲しいという願いでもあったが、
その役割の白羽の矢はうちに立ったのだ。
パシリとか便利なのではない。そんなひねた考えはいらない。
連絡すべきはうちだったのだ。それが何より嬉しかった。
その人は毎年歳暮中元をくれる。
うちは出さない主義だと知っているのに。
出さないんだから要らないと言っても、いいと言って贈ってくる。
だからもちろんうちからのお返しもいらないのだ。
それが無くて当たり前で、とにかくうちにくれたいらしいのだ。
でもさすがに今年はないと思った。
当たり前だ。その人の住んでいる地域は紛れもない被災地。
宮城県は仙台空港近くに住んでいるのだ。
だけどちょうど1ヶ月位前に宅配便が来た。
中元だとは思ってなかった。
でも毎年恒例のその人からの中元だった。
それが冒頭画像のものだった。
「え!?今年も!?!!!??」単純に驚いた。
確かに震災から4ヶ月経ち、避難所生活でもないにしてもだ。
外装を取ってみる。
中身はその外装のプリントでなんとなくわかっているが、
黄色っぽい無地で何が入っているのか?という感じもした。
(これでも魚の絵柄があるけど)
箱を開けるとこんな感じだった。
保存料など使ってないので、3日程度しか持たないので、
とっくの当に食い尽くしてしまったので詳細わからなくなったが、
原料の何かが違っていた大量小町という笹かまが6個あって、
その下にさつま揚げのプレーンとイカ入りと野菜入りの3つがあって、
右側だと一般的な笹かまのプレーンが2個、ずんだ入りが2個、
チーズ入りが2個、サーモン入りが2個、牛タン入りが2個あった。
でもうちは親子3人で保存料無い賞味期限の短さは、
毎日食うこととなったのだった。
まぁ酒のアテとか、素焼きしてしょうゆかけるとか、
軽く煮てみるとかやって食い尽くしたがどれもウマかった。
中身はこんな感じで、解りづらいがサーモンとかチーズは
それは粒状に入っているのが見えている。
この到着の翌日に、あの基準値を超えたセシウムを検出した
牛肉の発覚があって、その後県外の稲原が原因だとなったあれだが、
どこの県かはともかくとして、被災地の牛がそうだったということが
明確な印象で、いつもの年と違って地域の産物を贈ってくれた意味、
自分の金でも意思でも無いけど、それを間違いなく消費する役割を
担った我が家に大きく失望を与える出来ことだった。
だって福島の牛が宮城に行っているかもしれないし、
宮城の牛も、あの段階ではまだ調査されてなく、
してみれば福島の牛と同じだったという結果が出るのかもしれない。
そう思ったのだった。もちろんそれは牛タンかまぼこがあったから。
さらには牛に限らず汚染水は海に注がれていたのだし、
かまぼこの原料である魚も実は…ということがあるのかもと、
非常に疑心暗鬼になったのだった。
でももう食っちゃったし。私もかみさんも娘も。
折角被災地の役に食うという役割で役立ったんだという
どこか嬉しい気持ちが、一気にさめてしまったのは事実だった。
そんな思いにさせてくれた、原発事故、政府の対応に憤りを感じた。
もっと初期段階で、これはいい、これはダメと明確にして欲しかったし、
未曾有の災害で絵に描いたように行かないにしても、
食い物はやばいでしょ?体内被曝が一番最悪なんだから。
なので土壌汚染よりも、こっちに重点を置くべきだったと思う。
どっちにしろ大したことは無いと思うし、
その報道後、半分程度残っていたものは全部私が食った。
中年だしガンで死んでも何が無くともそうだったと思えばいいし。
でも本当にそうなったら、見事に死んでやるが政府に家族に保障が欲しい。
手落ちのせいで食ったのが原因なので、500万出します。みたいな。
億よこせとかは思わない。だってあれもこれもでも無いし。
だけど犬死は悔しいからね。
そんなことにはならないと思いつつ、
あの牛肉の汚染はそんなことも考えたほどショックだった。
これが箱を開けたときに入っていた。
間違いなくこれは被災地で作られているものだと思った。
良くわからなかったが調べてみると、
この工場は津波が寸止めだったようだ。
これも現地に行かないと良くわからないが、
多分数百メートル手前まで津波が来て、
この工場辺りからギリギリで来なかったのだ。
それだけに、テレビで取材されていた機材など全て失った所ではなく
(最初そこのかまぼこが来たと思っていた)
建物や機材は無事だったが、電力などの関係で暫く創業できなかった
会社のかまぼこなのだとわかった。
(だから冒頭感謝の意ではなくお見舞いの言葉から始まっているのかと)
それでも間違いなく被災地の製造物に違いなかった。
それを読んだときに、何か胸が熱くなった。
最初に読んだときは、その会社の何もわかってなかったし余計に。
でも津波が来なかったのはこの工場のこと。
そこに勤める人たちの家は、地域のあちこちにあるだろうし、
家が流されたり、亡くなった方も居るのだと思う。
だから津波被害が無いから被災者ではないとはいえない。
紛れも無い被災地域の、被災された方たちが再稼動させて作ったもの。
それを食うことが、うちにも出来る数少ない支援だった。
その思いに水を注された牛肉の汚染。・・・ホントやるせない。
これは自慢でもなんでもないのだけど、被災地への義援金募金。
誰しもが多かれ少なかれしたかと思う。
でもこれ行ったのは、実は昨日。
もう何回目か解らないけど、出来る範囲で細かくやってる。
これもあるサイトのポイントを募金したもの。
時間とともに忘れ去られる。よく言われる言葉。
でもそれって厳密には違うと思う。
こんな出来事忘れることは無い。ただ大勢の念頭から消えていく。
だって家族がその後倒れたら、大震災の支援は二の次でしょ?
そりゃいつまでも一番のわけが無い。
それと同時に、もう募金したという自己満足。達成感。
それが打ち止めを勝手にしてしまう。
そういうことが忘れ去られるという意味なのだ。
なのでまだ正常に戻って無い限りは、必要なものは多々ある。
だから個々が出来る範囲の出来ることをし続ける必要がある。
それを誰もが忘れないで10年弱を過ごすことがいいのではないかと。
そう思っている自分の、一番最近の募金がこれだったのだ。
(なんか中元ネタとあえてかぶせていやらしい感じもしなくも無いが、
これも中元の話が今日になったのも、昨日募金をしたのもたまたま)
政府も悪くてどうしようもないけれど、
そんなこと言っても何も変わらないので言いたくも無い。
とにかく全てがいい状態になって正常化して欲しい。ただそれだけ。
あ、そういえば、珍しくうちから中元返しを贈ったのだ。
ちょっと可愛らしくて美味しそうなスイーツを。
届いて速攻お礼の連絡をくれた。
こっちは満足に御礼もいつもして無いのに。
なんかあれもこれも申し訳ない…。
全然繋がらないそれは、時間を追うごとに絶望の文字が鮮明化してきた。
それでもその人から震災後3日で連絡が来た。
身内ではない。いわばただの友達だ。
なのにNTTが設置した緊急用のTELで、身内以外にうちにだけ連絡をくれた。
数名の友人への無事の知らせを代行して欲しいという願いでもあったが、
その役割の白羽の矢はうちに立ったのだ。
パシリとか便利なのではない。そんなひねた考えはいらない。
連絡すべきはうちだったのだ。それが何より嬉しかった。
その人は毎年歳暮中元をくれる。
うちは出さない主義だと知っているのに。
出さないんだから要らないと言っても、いいと言って贈ってくる。
だからもちろんうちからのお返しもいらないのだ。
それが無くて当たり前で、とにかくうちにくれたいらしいのだ。
でもさすがに今年はないと思った。
当たり前だ。その人の住んでいる地域は紛れもない被災地。
宮城県は仙台空港近くに住んでいるのだ。
だけどちょうど1ヶ月位前に宅配便が来た。
中元だとは思ってなかった。
でも毎年恒例のその人からの中元だった。
それが冒頭画像のものだった。
「え!?今年も!?!!!??」単純に驚いた。
確かに震災から4ヶ月経ち、避難所生活でもないにしてもだ。
外装を取ってみる。
中身はその外装のプリントでなんとなくわかっているが、
黄色っぽい無地で何が入っているのか?という感じもした。
(これでも魚の絵柄があるけど)
箱を開けるとこんな感じだった。
保存料など使ってないので、3日程度しか持たないので、
とっくの当に食い尽くしてしまったので詳細わからなくなったが、
原料の何かが違っていた大量小町という笹かまが6個あって、
その下にさつま揚げのプレーンとイカ入りと野菜入りの3つがあって、
右側だと一般的な笹かまのプレーンが2個、ずんだ入りが2個、
チーズ入りが2個、サーモン入りが2個、牛タン入りが2個あった。
でもうちは親子3人で保存料無い賞味期限の短さは、
毎日食うこととなったのだった。
まぁ酒のアテとか、素焼きしてしょうゆかけるとか、
軽く煮てみるとかやって食い尽くしたがどれもウマかった。
中身はこんな感じで、解りづらいがサーモンとかチーズは
それは粒状に入っているのが見えている。
この到着の翌日に、あの基準値を超えたセシウムを検出した
牛肉の発覚があって、その後県外の稲原が原因だとなったあれだが、
どこの県かはともかくとして、被災地の牛がそうだったということが
明確な印象で、いつもの年と違って地域の産物を贈ってくれた意味、
自分の金でも意思でも無いけど、それを間違いなく消費する役割を
担った我が家に大きく失望を与える出来ことだった。
だって福島の牛が宮城に行っているかもしれないし、
宮城の牛も、あの段階ではまだ調査されてなく、
してみれば福島の牛と同じだったという結果が出るのかもしれない。
そう思ったのだった。もちろんそれは牛タンかまぼこがあったから。
さらには牛に限らず汚染水は海に注がれていたのだし、
かまぼこの原料である魚も実は…ということがあるのかもと、
非常に疑心暗鬼になったのだった。
でももう食っちゃったし。私もかみさんも娘も。
折角被災地の役に食うという役割で役立ったんだという
どこか嬉しい気持ちが、一気にさめてしまったのは事実だった。
そんな思いにさせてくれた、原発事故、政府の対応に憤りを感じた。
もっと初期段階で、これはいい、これはダメと明確にして欲しかったし、
未曾有の災害で絵に描いたように行かないにしても、
食い物はやばいでしょ?体内被曝が一番最悪なんだから。
なので土壌汚染よりも、こっちに重点を置くべきだったと思う。
どっちにしろ大したことは無いと思うし、
その報道後、半分程度残っていたものは全部私が食った。
中年だしガンで死んでも何が無くともそうだったと思えばいいし。
でも本当にそうなったら、見事に死んでやるが政府に家族に保障が欲しい。
手落ちのせいで食ったのが原因なので、500万出します。みたいな。
億よこせとかは思わない。だってあれもこれもでも無いし。
だけど犬死は悔しいからね。
そんなことにはならないと思いつつ、
あの牛肉の汚染はそんなことも考えたほどショックだった。
これが箱を開けたときに入っていた。
間違いなくこれは被災地で作られているものだと思った。
良くわからなかったが調べてみると、
この工場は津波が寸止めだったようだ。
これも現地に行かないと良くわからないが、
多分数百メートル手前まで津波が来て、
この工場辺りからギリギリで来なかったのだ。
それだけに、テレビで取材されていた機材など全て失った所ではなく
(最初そこのかまぼこが来たと思っていた)
建物や機材は無事だったが、電力などの関係で暫く創業できなかった
会社のかまぼこなのだとわかった。
(だから冒頭感謝の意ではなくお見舞いの言葉から始まっているのかと)
それでも間違いなく被災地の製造物に違いなかった。
それを読んだときに、何か胸が熱くなった。
最初に読んだときは、その会社の何もわかってなかったし余計に。
でも津波が来なかったのはこの工場のこと。
そこに勤める人たちの家は、地域のあちこちにあるだろうし、
家が流されたり、亡くなった方も居るのだと思う。
だから津波被害が無いから被災者ではないとはいえない。
紛れも無い被災地域の、被災された方たちが再稼動させて作ったもの。
それを食うことが、うちにも出来る数少ない支援だった。
その思いに水を注された牛肉の汚染。・・・ホントやるせない。
これは自慢でもなんでもないのだけど、被災地への義援金募金。
誰しもが多かれ少なかれしたかと思う。
でもこれ行ったのは、実は昨日。
もう何回目か解らないけど、出来る範囲で細かくやってる。
これもあるサイトのポイントを募金したもの。
時間とともに忘れ去られる。よく言われる言葉。
でもそれって厳密には違うと思う。
こんな出来事忘れることは無い。ただ大勢の念頭から消えていく。
だって家族がその後倒れたら、大震災の支援は二の次でしょ?
そりゃいつまでも一番のわけが無い。
それと同時に、もう募金したという自己満足。達成感。
それが打ち止めを勝手にしてしまう。
そういうことが忘れ去られるという意味なのだ。
なのでまだ正常に戻って無い限りは、必要なものは多々ある。
だから個々が出来る範囲の出来ることをし続ける必要がある。
それを誰もが忘れないで10年弱を過ごすことがいいのではないかと。
そう思っている自分の、一番最近の募金がこれだったのだ。
(なんか中元ネタとあえてかぶせていやらしい感じもしなくも無いが、
これも中元の話が今日になったのも、昨日募金をしたのもたまたま)
政府も悪くてどうしようもないけれど、
そんなこと言っても何も変わらないので言いたくも無い。
とにかく全てがいい状態になって正常化して欲しい。ただそれだけ。
あ、そういえば、珍しくうちから中元返しを贈ったのだ。
ちょっと可愛らしくて美味しそうなスイーツを。
届いて速攻お礼の連絡をくれた。
こっちは満足に御礼もいつもして無いのに。
なんかあれもこれも申し訳ない…。