実際は結構な格差があるんだけど、
これまでの対戦成績が2戦して2分なので、
強敵の印象も否めない相手だった。
それも結構昔の対戦だろうと思うとそうでもなく、
初対戦はジーコジャパンの時代の2004年のアジア杯だが、
そこでは1-1のドローで、PKで一応の勝利は収めている。
しかしそれ以降対戦がなく、格下なのに苦しめられた印象を
長いこと抱え込まないとならなくて、
そんな中、実は2戦目はザックジャパンで迎えていたのだ。
結構忘れちゃってる人多いんだよね。
でもこういうと思い出すかも?去年のアジア杯のグループリーグ
開催国はカタールで、スタジアムは新設のハリーファ国際スタジアムだが
これが出来て使われなくなった、アルアリスタジアムでの
イラク戦でロスタイム残り1分で同点にされてW杯初出場の道を絶たれた。
そんな鬼門でも有るカタール、そしてドーハのスタジアムだからか、
去年のアジア杯の初戦はそこでヨルダンとのマッチアップだったのだが、
それが何かの呪いの様に先取点をヨルダンに奪われた。
前半ももう終わろうかというところで決められたのだ。
その嫌なムードの中後半が始まったが全然点が取れない。
もう負けだと思った後半ロスタイムに吉田麻也が
ようやく高さを生かした最後の最後のセットプレーで決めてドロー。
そんな試合があったなぁと見て忘れている人は思い出しただろう。
そんな隠れた強敵ヨルダンと、いくらホームでもどうなるのか?
ランクなんてもはや関係なく、相性はそれをも超えたものが有る。
そんなPK決着は雌雄を決するためだけの手段で、
公式記録はドローなので、対戦自体が少ないから参考にはしにくいが
でも勝ってない事実がある相手との戦いだった。
終わってみれば6-0大勝って、最終予選であったかな?
最終予選ハットもカズ以来の15年ぶりというけど、
15年前は日本もまだまだ弱かった時代なのでよく出来たな。
そっちは記憶に薄れていて思い出せない。
とりあえず簡単に回顧すると、1点目はさっさと欲しかった。
アジア杯は全体の士気が低く、初戦だったからかエンジン冷えたまま。
それで負けに等しいドローだったので、早く点を取って優位に進め
相手を焦らせることは今回は絶対だった。
なので序盤から押せ押せの前がかりで行くとは予想通りで、
相手のGKもなかなかいいので苦戦も想定したが、
18分で先制出来たのは凄く良かった。
なにせ試合前には、同じグループのイラクを現在指揮しているジーコが
ヨルダンのGKには気をつけろと進言してきたのだった。
それは昨今のイラクとのマッチアップからのことだったかもしれないが、
おそらくは・・・以下は↓で映像交えて記載する。
とにかく今日の1点目は、押せ押せで相手陣内で展開して連続となった
右からのCKを本田が蹴り、相手と競った前田がヘッドというより
肩で押し込んでバーに当てつつも押し込んだ。
これで予定の流れは作れたと大きく安堵した。
何せ前回のアジア杯とはいいほうにまるで違うのだから。
良かったのは2点目。
相手ペナルティエリア付近で奪われたボールを奪い返し、
相手は奪った時点でラインを上げていて最終ラインとGKの間に
大きなスペースができた。
さらには右に展開していた本田は中央付近まで誰も居なくて、
そのスペースにキラーパスを出せとヤットに要求した。
ヤットもその存在からしっかり解っていて、
本田の要求と狙うべきスペースにスルーパスを出した。
そこへ本田が待ってましたとマークのDFを振り切って縦に走り出す。
同時に最高のスルーパスがその方向にグラウンダーで来る。
中央付近に居た相手DFが本田に寄ってくるが、
何とか交わして先にボールに到達し、軽く当てるように流し込み、
GKとの接触ぎりぎりでシュートを打ち、ネットも揺らせた。
本田が少し遅くても、ヤットのパスが遅くても速くても
決まらなかっただろう物をしっかりときめて見せたのは大満足。
こんな得点を取られた相手は、もう今日はアウェーだし勝てないと
この瞬間に思ったと思う。
だからこそあせってしまいイエローまみれだったのだろうし、
ウマくはめられたとも言えそうに前田が倒れたが、
1枚貰った直後なのに、長谷部と競ったときも、
これ以上好き放題にさせられないと必死になってやってしまったことかと。
よくバランス取るのに無意識に手は広がるものだが、
たまたま運悪く、長谷部が流血してしまったら、
それはイメージが故意ではなくとも良くないので、
アブダラー・ディーブ はツキがなかった。
でもそこで10人なら、今日の展開なら独壇場なのは当然だった。
3点目は岡崎からシュートかラストパスか、
とにかくファーの本田が押し込み、4点目はウッチーが拾ったこぼれ玉を
中央付近に居た香川に横に流して、相手のミスもあったと言っていたが
ゴールに張り付いていたDFの足元正面に来たのに、
焦ったのか変に動いてくれたおかげで股抜き状態のゴール。
4-0で前半を終えて、いくらなんでももう勝利を確信した。
後半に入って5点目は早々の8分に前田がエリア内でかにばさみっぽくされ
倒れてPKを獲得。前田がウマかったが、エリア内であの動きはまずい。
それを2点取ってる本田に蹴らせ相手GKを冷静に見て、
飛んだ逆方向に中央から少しずらしただけのセーフティーなコースと
ヤットのころころほどではないが、結構緩めの安全シュートで
(もしや少し馬鹿にして掛かったのか?)ハット達成。
6点目は後半入ると思っていた憲剛が入ったので決めて欲しかったが、
放ったミドルはGKが好セーブして弾いた。
その後吉田が競ってひざのじん帯を伸ばしたっぽく栗原に交代し、
押し込む場面で栗原と伊野波の交代コンビがあわやだったので
予感がしたように、高さを生かしたヘッドでとどめのさしたのだった。
まあ大勝で失点もないから文句らしきものはないかな?
アウェーの豪州戦に集中していい準備をして欲しいというぐらい。
そして今回言いたいのは、ヨルダンと初対決だった
あの忘れがたい試合だ。
多くの人が忘れていると思うけど、話せば「あぁ!あれはヨルダンと
初対決のときだったんだ!!」と思い出すと思う。
ヨルダンと1-1のドローだったジーコのときの2004年アジア杯。
そのベスト8でのマッチアップだった。
結果的に日本はこのアジア杯を優勝して制するのだが、
こんな奇跡を乗り越えて手に入れたものだったのだ。
ベスト8だからトーナメントなので負けたら終わりの状態。
でも初対決のヨルダンは結構強敵で早い時間に失点し、
3分後に鈴木隆行が同点にしたが、そのまま延長戦も終えたのだ。
そうなると公式記録はドローだが、雌雄を決するPK対決。
これで思い出すだろう一番のシンボリックな出来事だが、
開催地は中国だった。
ご存知剥げた芝がみっともないと緑のスプレーを撒くような国だ。
ピッチも急造なのか芝の根付きが悪く穴だらけ。
そんな中PKが始まった。
日本が先制で俊輔が蹴るが、大きくバーの上に。
どうも軸足が滑ったようにも見えたが、
下を掬いすぎて浮いた感じだった。
相手はそんな中しっかり決め、日本の2人目はアレックス。
そのアレックスは俊輔と全く同じように大きく上に外す。
しかし相手はまたしても決めた。
これ、映像見ても解らないと思うが、
当時いろいろ分析して最終的には相手は右利きだが、
日本の2人はレフティーだ。
ボールの位置も芝が削れているが、おそらく右利きが軸にする
左足の部分はそうでもないようだが、
左利きの軸足である右側はかなり削れていたようで、
そんな低い位置の軸足から、振り下ろされる利き足は
軸足の高さによって、ベストのポイントに蹴りこまれるために、
予定より低い位置、要はゴルフで言うダフってしまったので
下を削り取りてんぷらになってしまったということなのだ。
それがあまりに利き足の違いでこうも違えば正当性を欠くので、
キャプテンの宮本が英語が堪能なので主審に進言し、
かつて見たこともない異例のPKのゴールを反対にするという
両チーム審判に抗議のような状態になり、
事実あまりにもPKのスポットが荒れすぎだと、
コイントスで日本が選んだ側だったとしても、
さすがにこういう状態はまずありえないコンディションだから
変えることを決定したのだった。
その場面は誰もが覚えているのではないだろうか?
宮本が食い下がって進言しなかったら、優勝してないのだ。
ここでヨルダンにPKで負けてたんだよ。
それが相手の2本目から反対側でやることになったのだが、
そこでも最初からやり直したいという日本と、
これまで終わったところからの再開だというヨルダンが
主審にともに食い下がり、またしてもすったもんだしたのだ。
結局 日本×× ヨルダン○ でヨルダンの2本目から再開となった。
2つのミスのビハインドを負ったまま完全不利で再開は希望が薄かった。
しかしポカも多いが切れたときは凄まじいことになる能活がGKだった。
これが楢崎だったらこうはなってなかったかと思う。
そこにも運は眠っていた。
日本は3人目以降右利きが並び、移動したことが意味が薄かったが
福西が決めて、相手も決めて1-3とリーチかけられた。
ミスは許されない4人目が中田浩で何とか決めて、
相手はついに4人目を能活が切れて止められたのだ。
5人目の隆行がズバッと決めて、相手はプレッシャーかポスト右にはずし
これで奇跡の3-3に並んだのだ。
しかしそうは問屋が卸さないというように6人目のボンバー中澤が
読まれてしまい思い切り弾かれた。運も追いついたまでかと思った。
ちなみにこの時のヨルダンのGKは若き日のシャフィ。今日のGKだ。
だからジーコが進言とはこれを覚えていたのかもしれないということ。
この2004年はジーコが日本の指揮を取っていたのだから。
そして相手の6人目だが決めれば勝利だったが能活が切れて
片手でセーブしてクロスバーに当たって外に弾き返した。
そんなことで日本の7人目は必死の陳情をしたキャプテン宮本。
そんな中、今日の本田のように落ち着いて流し込んだ。
逆に能活が止めれば勝利だ。
日本驚異的で神がかりな粘りにびびったのか、
相手の7人目はポスト直撃で見事に大逆転勝利を収めたのだ。
PK4-3って結果だけみると5本中の話だとしか思わないよな?
でもこの時の4-3は7人に及び、サイドを変更した凄い結果だったのだ。
俊ア福浩隆祐宮
日本:××○○○×○
ヨル:○○○××××
それがヨルダンとの初のマッチアップで、忘れがたい試合だったんだよ。
そんな因縁の相手で、格は随分違うのだから、
ホームだしここはこれまでにない力の差をガツンと見せ付ける必要があった。
それはアウェーでも有利に展開させるためにもこてんぱんが理想だった。
その通りに今日はしてくれたのだよ。昨今にない満足な結果。
最後にそのPKの映像見つけたので貼っとく。
Asia Cup 2004 Japan vs Jordan (2004年アジアカップ 日本vsヨルダン PK戦)
これまでの対戦成績が2戦して2分なので、
強敵の印象も否めない相手だった。
それも結構昔の対戦だろうと思うとそうでもなく、
初対戦はジーコジャパンの時代の2004年のアジア杯だが、
そこでは1-1のドローで、PKで一応の勝利は収めている。
しかしそれ以降対戦がなく、格下なのに苦しめられた印象を
長いこと抱え込まないとならなくて、
そんな中、実は2戦目はザックジャパンで迎えていたのだ。
結構忘れちゃってる人多いんだよね。
でもこういうと思い出すかも?去年のアジア杯のグループリーグ
開催国はカタールで、スタジアムは新設のハリーファ国際スタジアムだが
これが出来て使われなくなった、アルアリスタジアムでの
イラク戦でロスタイム残り1分で同点にされてW杯初出場の道を絶たれた。
そんな鬼門でも有るカタール、そしてドーハのスタジアムだからか、
去年のアジア杯の初戦はそこでヨルダンとのマッチアップだったのだが、
それが何かの呪いの様に先取点をヨルダンに奪われた。
前半ももう終わろうかというところで決められたのだ。
その嫌なムードの中後半が始まったが全然点が取れない。
もう負けだと思った後半ロスタイムに吉田麻也が
ようやく高さを生かした最後の最後のセットプレーで決めてドロー。
そんな試合があったなぁと見て忘れている人は思い出しただろう。
そんな隠れた強敵ヨルダンと、いくらホームでもどうなるのか?
ランクなんてもはや関係なく、相性はそれをも超えたものが有る。
そんなPK決着は雌雄を決するためだけの手段で、
公式記録はドローなので、対戦自体が少ないから参考にはしにくいが
でも勝ってない事実がある相手との戦いだった。
終わってみれば6-0大勝って、最終予選であったかな?
最終予選ハットもカズ以来の15年ぶりというけど、
15年前は日本もまだまだ弱かった時代なのでよく出来たな。
そっちは記憶に薄れていて思い出せない。
とりあえず簡単に回顧すると、1点目はさっさと欲しかった。
アジア杯は全体の士気が低く、初戦だったからかエンジン冷えたまま。
それで負けに等しいドローだったので、早く点を取って優位に進め
相手を焦らせることは今回は絶対だった。
なので序盤から押せ押せの前がかりで行くとは予想通りで、
相手のGKもなかなかいいので苦戦も想定したが、
18分で先制出来たのは凄く良かった。
なにせ試合前には、同じグループのイラクを現在指揮しているジーコが
ヨルダンのGKには気をつけろと進言してきたのだった。
それは昨今のイラクとのマッチアップからのことだったかもしれないが、
おそらくは・・・以下は↓で映像交えて記載する。
とにかく今日の1点目は、押せ押せで相手陣内で展開して連続となった
右からのCKを本田が蹴り、相手と競った前田がヘッドというより
肩で押し込んでバーに当てつつも押し込んだ。
これで予定の流れは作れたと大きく安堵した。
何せ前回のアジア杯とはいいほうにまるで違うのだから。
良かったのは2点目。
相手ペナルティエリア付近で奪われたボールを奪い返し、
相手は奪った時点でラインを上げていて最終ラインとGKの間に
大きなスペースができた。
さらには右に展開していた本田は中央付近まで誰も居なくて、
そのスペースにキラーパスを出せとヤットに要求した。
ヤットもその存在からしっかり解っていて、
本田の要求と狙うべきスペースにスルーパスを出した。
そこへ本田が待ってましたとマークのDFを振り切って縦に走り出す。
同時に最高のスルーパスがその方向にグラウンダーで来る。
中央付近に居た相手DFが本田に寄ってくるが、
何とか交わして先にボールに到達し、軽く当てるように流し込み、
GKとの接触ぎりぎりでシュートを打ち、ネットも揺らせた。
本田が少し遅くても、ヤットのパスが遅くても速くても
決まらなかっただろう物をしっかりときめて見せたのは大満足。
こんな得点を取られた相手は、もう今日はアウェーだし勝てないと
この瞬間に思ったと思う。
だからこそあせってしまいイエローまみれだったのだろうし、
ウマくはめられたとも言えそうに前田が倒れたが、
1枚貰った直後なのに、長谷部と競ったときも、
これ以上好き放題にさせられないと必死になってやってしまったことかと。
よくバランス取るのに無意識に手は広がるものだが、
たまたま運悪く、長谷部が流血してしまったら、
それはイメージが故意ではなくとも良くないので、
アブダラー・ディーブ はツキがなかった。
でもそこで10人なら、今日の展開なら独壇場なのは当然だった。
3点目は岡崎からシュートかラストパスか、
とにかくファーの本田が押し込み、4点目はウッチーが拾ったこぼれ玉を
中央付近に居た香川に横に流して、相手のミスもあったと言っていたが
ゴールに張り付いていたDFの足元正面に来たのに、
焦ったのか変に動いてくれたおかげで股抜き状態のゴール。
4-0で前半を終えて、いくらなんでももう勝利を確信した。
後半に入って5点目は早々の8分に前田がエリア内でかにばさみっぽくされ
倒れてPKを獲得。前田がウマかったが、エリア内であの動きはまずい。
それを2点取ってる本田に蹴らせ相手GKを冷静に見て、
飛んだ逆方向に中央から少しずらしただけのセーフティーなコースと
ヤットのころころほどではないが、結構緩めの安全シュートで
(もしや少し馬鹿にして掛かったのか?)ハット達成。
6点目は後半入ると思っていた憲剛が入ったので決めて欲しかったが、
放ったミドルはGKが好セーブして弾いた。
その後吉田が競ってひざのじん帯を伸ばしたっぽく栗原に交代し、
押し込む場面で栗原と伊野波の交代コンビがあわやだったので
予感がしたように、高さを生かしたヘッドでとどめのさしたのだった。
まあ大勝で失点もないから文句らしきものはないかな?
アウェーの豪州戦に集中していい準備をして欲しいというぐらい。
そして今回言いたいのは、ヨルダンと初対決だった
あの忘れがたい試合だ。
多くの人が忘れていると思うけど、話せば「あぁ!あれはヨルダンと
初対決のときだったんだ!!」と思い出すと思う。
ヨルダンと1-1のドローだったジーコのときの2004年アジア杯。
そのベスト8でのマッチアップだった。
結果的に日本はこのアジア杯を優勝して制するのだが、
こんな奇跡を乗り越えて手に入れたものだったのだ。
ベスト8だからトーナメントなので負けたら終わりの状態。
でも初対決のヨルダンは結構強敵で早い時間に失点し、
3分後に鈴木隆行が同点にしたが、そのまま延長戦も終えたのだ。
そうなると公式記録はドローだが、雌雄を決するPK対決。
これで思い出すだろう一番のシンボリックな出来事だが、
開催地は中国だった。
ご存知剥げた芝がみっともないと緑のスプレーを撒くような国だ。
ピッチも急造なのか芝の根付きが悪く穴だらけ。
そんな中PKが始まった。
日本が先制で俊輔が蹴るが、大きくバーの上に。
どうも軸足が滑ったようにも見えたが、
下を掬いすぎて浮いた感じだった。
相手はそんな中しっかり決め、日本の2人目はアレックス。
そのアレックスは俊輔と全く同じように大きく上に外す。
しかし相手はまたしても決めた。
これ、映像見ても解らないと思うが、
当時いろいろ分析して最終的には相手は右利きだが、
日本の2人はレフティーだ。
ボールの位置も芝が削れているが、おそらく右利きが軸にする
左足の部分はそうでもないようだが、
左利きの軸足である右側はかなり削れていたようで、
そんな低い位置の軸足から、振り下ろされる利き足は
軸足の高さによって、ベストのポイントに蹴りこまれるために、
予定より低い位置、要はゴルフで言うダフってしまったので
下を削り取りてんぷらになってしまったということなのだ。
それがあまりに利き足の違いでこうも違えば正当性を欠くので、
キャプテンの宮本が英語が堪能なので主審に進言し、
かつて見たこともない異例のPKのゴールを反対にするという
両チーム審判に抗議のような状態になり、
事実あまりにもPKのスポットが荒れすぎだと、
コイントスで日本が選んだ側だったとしても、
さすがにこういう状態はまずありえないコンディションだから
変えることを決定したのだった。
その場面は誰もが覚えているのではないだろうか?
宮本が食い下がって進言しなかったら、優勝してないのだ。
ここでヨルダンにPKで負けてたんだよ。
それが相手の2本目から反対側でやることになったのだが、
そこでも最初からやり直したいという日本と、
これまで終わったところからの再開だというヨルダンが
主審にともに食い下がり、またしてもすったもんだしたのだ。
結局 日本×× ヨルダン○ でヨルダンの2本目から再開となった。
2つのミスのビハインドを負ったまま完全不利で再開は希望が薄かった。
しかしポカも多いが切れたときは凄まじいことになる能活がGKだった。
これが楢崎だったらこうはなってなかったかと思う。
そこにも運は眠っていた。
日本は3人目以降右利きが並び、移動したことが意味が薄かったが
福西が決めて、相手も決めて1-3とリーチかけられた。
ミスは許されない4人目が中田浩で何とか決めて、
相手はついに4人目を能活が切れて止められたのだ。
5人目の隆行がズバッと決めて、相手はプレッシャーかポスト右にはずし
これで奇跡の3-3に並んだのだ。
しかしそうは問屋が卸さないというように6人目のボンバー中澤が
読まれてしまい思い切り弾かれた。運も追いついたまでかと思った。
ちなみにこの時のヨルダンのGKは若き日のシャフィ。今日のGKだ。
だからジーコが進言とはこれを覚えていたのかもしれないということ。
この2004年はジーコが日本の指揮を取っていたのだから。
そして相手の6人目だが決めれば勝利だったが能活が切れて
片手でセーブしてクロスバーに当たって外に弾き返した。
そんなことで日本の7人目は必死の陳情をしたキャプテン宮本。
そんな中、今日の本田のように落ち着いて流し込んだ。
逆に能活が止めれば勝利だ。
日本驚異的で神がかりな粘りにびびったのか、
相手の7人目はポスト直撃で見事に大逆転勝利を収めたのだ。
PK4-3って結果だけみると5本中の話だとしか思わないよな?
でもこの時の4-3は7人に及び、サイドを変更した凄い結果だったのだ。
俊ア福浩隆祐宮
日本:××○○○×○
ヨル:○○○××××
それがヨルダンとの初のマッチアップで、忘れがたい試合だったんだよ。
そんな因縁の相手で、格は随分違うのだから、
ホームだしここはこれまでにない力の差をガツンと見せ付ける必要があった。
それはアウェーでも有利に展開させるためにもこてんぱんが理想だった。
その通りに今日はしてくれたのだよ。昨今にない満足な結果。
最後にそのPKの映像見つけたので貼っとく。
Asia Cup 2004 Japan vs Jordan (2004年アジアカップ 日本vsヨルダン PK戦)