2016年4月より放送開始、黒木華主演の『重版出来』。
これがなかなか面白くて、毎週見逃せない感じです。
単なるお仕事ドラマじゃない。
出版社や編集者、漫画家の仕事の何を知っているわけではないのですが、毎回登場人物ののどこかに現実や自分が重なる気がします。
先週の第2話では仕事を頑張りたい自分でした。
今週の第3話は、好きな作品を支える読者としての自分。
『読者』としての自分にいろんなことを思い出します。
20年くらい前。
小学生のとき、よく巻末の読者アンケートやファンレターを送っていました。
「面白いです!」
「〇〇が好きです!」
「このシーンがとてもよかったです!」
それがまあ、よく言えば小学生らしい、今にして思えばきったない字で……。
筆圧の濃い鉛筆の字、読みづらかっただろうなあと。
中学生でインターネットがぼちぼち使えるようになりました。
当時はダイヤルアップ接続のHTML、ジオシティーズ全盛期。
様々な先生の個人HPやファンサイトが多くあったのをよくおぼています。
SNSがまだない時代。
先生方のHPの掲示板なんかに感想を残したり、メールフォームから感想をよく送っていました。
週刊連載の作品も、月刊連載の作品も。
漫画のみならず小説なども。
ちょっとマセ気味の中学生だったもので、全然わかってない手紙のマナーを駆使してみたり。
「おまえその言葉の意味わかってんの?」って言葉を使っていたり。
……思い出すだけで恥ずかしい。
手書きファンレターにしてもメールにしても。
今にして思えば「先生方の貴重な時間を邪魔しておまえは何をしてるんだ」と土下座したいくらいですが。
それよりも思うのは
「返事もらったときは本当に嬉しかったなあ」と。
飛び上がったり、ひとりでニヤニヤしていたり。
日記に「○○先生からお返事がきた!どうしよう!超うれしい!」とか書いてたり。
多分今でもそうだと思います。
昔ほど漫画は読まなくなりましたが……
それでも昨年、めぐりめぐって『第3艦橋より』の城谷先生にお会いできたときは、もうとにかく嬉しかったです。
(→『第3艦橋より』の読み応えポイント5つ)
他にもSNSを通じて、「応援してくれてありがとう」のお声を頂いたときも。
「いやいやこっちこそありがとうございます」と、仕事の疲れも吹っ飛んだものです。
漫画にしろ小説にしろ、ドラマでもなんでも。
何かの創作作品の中で、好きな作品があること。
応援したい作家さんがいること。
「大好きです!応援してます!」の声を聞いてくれてること。
それに対して「ありがとう」の言葉(とあわよくば直筆サイン)をもらえること。
それはとても幸せなことで、それはとても嬉しいこと、楽しいことなんだなあと。
気持ちが満たされるといいましょうか。
まさに読者冥利に尽きることなんですしょう。
それがまた「新刊買おう」とか「応援しよう」っていう気持ちにつながるのでしょう。
ドラマ『重版出来』の中で登場した数々のセリフ。
「読者の声に惑わされるな」
「誰から給料もらってると思ってる?読者だよ」
「読者からの信頼を守る」
「この読者を守りたい」
読者であること。
読者たる矜持、といったら少し大げさなのですが。
応援している作品、続いてほしい作品を信じて、声を届けてこそ読者なのかもしれません。
手書きファンレターや読者アンケートじゃなくてもいい。
SNSで「今週の○○面白かったー」とつぶやくだけでもいい。
飲み会やなんかで友人に「最近○○っての読んだんだけど、あれはいいよ」と話すだけでもいい。
でも出来れば作家先生本人に届く形がベストなのかもしれません。
それが0.01%くらいで、先生方の力になるのであれば、それくらいならいくらでもしましょう。
だって声を届けた先には、また飛び上がってつい一人で笑っちゃうくらいの喜びが待っているんですから。
そんなことを思いつつ。
喜びをくれた先生方に、また改めて「あのときお返事くださって嬉しかったです」と送りたいとも思いました。
ただ、ひとつだけ。
子どもの頃(1990年代後半くらい)に、そんな喜びを教えてくださった先生方の中には、もう亡くなられた方も何人かいます。
編集部やご家族に届けることも可能ではありますが、もう先生の作品は生まれない。
先生自身を応援することができない。
応援したいなら応援しないと後悔するんだと思います。
声を届けるのは、届けたいと思ったそのとき、「今」なのでしょう。
それにしても『重版出来』。
視聴を終えると、無性に書店に行きたくなります……
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これがなかなか面白くて、毎週見逃せない感じです。
単なるお仕事ドラマじゃない。
出版社や編集者、漫画家の仕事の何を知っているわけではないのですが、毎回登場人物ののどこかに現実や自分が重なる気がします。
先週の第2話では仕事を頑張りたい自分でした。
今週の第3話は、好きな作品を支える読者としての自分。
『読者』としての自分にいろんなことを思い出します。
20年くらい前。
小学生のとき、よく巻末の読者アンケートやファンレターを送っていました。
「面白いです!」
「〇〇が好きです!」
「このシーンがとてもよかったです!」
それがまあ、よく言えば小学生らしい、今にして思えばきったない字で……。
筆圧の濃い鉛筆の字、読みづらかっただろうなあと。
中学生でインターネットがぼちぼち使えるようになりました。
当時はダイヤルアップ接続のHTML、ジオシティーズ全盛期。
様々な先生の個人HPやファンサイトが多くあったのをよくおぼています。
SNSがまだない時代。
先生方のHPの掲示板なんかに感想を残したり、メールフォームから感想をよく送っていました。
週刊連載の作品も、月刊連載の作品も。
漫画のみならず小説なども。
ちょっとマセ気味の中学生だったもので、全然わかってない手紙のマナーを駆使してみたり。
「おまえその言葉の意味わかってんの?」って言葉を使っていたり。
……思い出すだけで恥ずかしい。
手書きファンレターにしてもメールにしても。
今にして思えば「先生方の貴重な時間を邪魔しておまえは何をしてるんだ」と土下座したいくらいですが。
それよりも思うのは
「返事もらったときは本当に嬉しかったなあ」と。
飛び上がったり、ひとりでニヤニヤしていたり。
日記に「○○先生からお返事がきた!どうしよう!超うれしい!」とか書いてたり。
多分今でもそうだと思います。
昔ほど漫画は読まなくなりましたが……
それでも昨年、めぐりめぐって『第3艦橋より』の城谷先生にお会いできたときは、もうとにかく嬉しかったです。
(→『第3艦橋より』の読み応えポイント5つ)
他にもSNSを通じて、「応援してくれてありがとう」のお声を頂いたときも。
「いやいやこっちこそありがとうございます」と、仕事の疲れも吹っ飛んだものです。
漫画にしろ小説にしろ、ドラマでもなんでも。
何かの創作作品の中で、好きな作品があること。
応援したい作家さんがいること。
「大好きです!応援してます!」の声を聞いてくれてること。
それに対して「ありがとう」の言葉(とあわよくば直筆サイン)をもらえること。
それはとても幸せなことで、それはとても嬉しいこと、楽しいことなんだなあと。
気持ちが満たされるといいましょうか。
まさに読者冥利に尽きることなんですしょう。
それがまた「新刊買おう」とか「応援しよう」っていう気持ちにつながるのでしょう。
ドラマ『重版出来』の中で登場した数々のセリフ。
「読者の声に惑わされるな」
「誰から給料もらってると思ってる?読者だよ」
「読者からの信頼を守る」
「この読者を守りたい」
読者であること。
読者たる矜持、といったら少し大げさなのですが。
応援している作品、続いてほしい作品を信じて、声を届けてこそ読者なのかもしれません。
手書きファンレターや読者アンケートじゃなくてもいい。
SNSで「今週の○○面白かったー」とつぶやくだけでもいい。
飲み会やなんかで友人に「最近○○っての読んだんだけど、あれはいいよ」と話すだけでもいい。
でも出来れば作家先生本人に届く形がベストなのかもしれません。
それが0.01%くらいで、先生方の力になるのであれば、それくらいならいくらでもしましょう。
だって声を届けた先には、また飛び上がってつい一人で笑っちゃうくらいの喜びが待っているんですから。
そんなことを思いつつ。
喜びをくれた先生方に、また改めて「あのときお返事くださって嬉しかったです」と送りたいとも思いました。
ただ、ひとつだけ。
子どもの頃(1990年代後半くらい)に、そんな喜びを教えてくださった先生方の中には、もう亡くなられた方も何人かいます。
編集部やご家族に届けることも可能ではありますが、もう先生の作品は生まれない。
先生自身を応援することができない。
応援したいなら応援しないと後悔するんだと思います。
声を届けるのは、届けたいと思ったそのとき、「今」なのでしょう。
それにしても『重版出来』。
視聴を終えると、無性に書店に行きたくなります……
黒木華ちゃんの笑顔からのまさかのサービスカットwww#重版出来 pic.twitter.com/gW5au4NxLG
— ゆずず (@yuzu0905) 2016年4月26日
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