二・二六事件と日本

二・二六事件を書きます

お前は必ず死んで帰れ

2020-11-16 10:00:00 | 二・二六事件

ちょうどこのころ(昭和初期)は、出征兵士の故郷である青森県農村は、冷害による凶作にさいなまれていた。最近の冷害に強い稲の品種が現れるまでは、親潮寒流の流れぐあいで、宿命的に何年かに一度には冷害による凶作から、青森県農民はまぬかれることはできなかった。
ただでさえ貧困な農家出の出身の兵士が多かった。そこに凶作と出征がかちあった。出征兵士の後顧の憂いは深かった。
がこれに、はからずも氾濫する慰問袋が役立った。
戦地での身の廻り品は、無駄遣いさえしなければ官給品で一応間に合った。それで慰問袋から出てくる日用雑貨品は
や保存の利く少量品は、各自にひとまとめにさしておいて、度々軍事郵便で送らせることにした。
出征兵士の慰問品は、迂路を通り
、も一度海を渡って凶作地への慰問袋にすり変わっていた。
わずかな手当の金も節約して貯金し、故郷に送金する兵も多かった。若い将校のなかには、月給を割いて部下に与えるものもいた。
が、しかし、こういったことも所詮焼け石に水だった。困窮のすえは常識では考えられない、ひどい手紙を出征兵士に送る親もいた。
「末松君、この手紙の意味をどうとればよいかね」と隣の中隊長が私に見せた手紙など、その一例だった。
それには、「お前は必ず死んで帰れ。生きて帰ったら承知しない。」といった意味のことから書き出してあった。
もちろんこれだけの文面なら、何も別に不思議がることはなかった。国のために十分働いて、死んで護国の神となれ、とは出征兵士を励ます聞き慣れた文句である。しかし、これはそれとはちがっていた。隣の中隊長が思案に余って私に訴えるはずのものだった。
つづけて「おれはお前の死んだあとの国から下がる金が欲しいのだ」といった意味の事が書いてあった。
この手紙の受取り主は真面目な兵だったが、泣いてこの手紙を中隊長に差し出したのであった。
「この親は継父じゃないですか」と私は聞かざるを得なかった。「いや、実父に間違いない」と中隊長は愁い深く答えた。
が、しかしこの親の希望は、それから間もなくかなえられた。次の討伐でこの兵は戦死したからである。しかもそのときのただ一人の戦死者だった。
手紙のことを知らないはたの戦友は「昔から言われている通り虫が知らせたんだな」と言っていた。ほかの兵にくらべて、一きわ目立って身の廻りが綺麗に片付けられてあったから。


末松太平著 私の昭和史より一部抜粋




この兵は故郷の家族を助けるため自ら死を選んだ。実の親に死んで帰れと言われるとは、絶望的である。



満州事変でチチハルに入城する日本軍