二・二六事件と日本

二・二六事件を書きます

憲兵へ一喝

2021-04-12 18:28:00 | 二・二六事件


菅波三郎は陸軍士官学校在学時代、仲兄の病没に際会し懐疑思想に捉われ、自来宗教、歴史、社会科学などに関する文献を捗獵(しょうりょう)しありたるが、日本改造法案大綱を閲読におよび深くその所説に共鳴し、概してその主旨にのっとり政治経済などの諸機構を改造して、国家革新の実を挙げんことを決意し、右所見を披瀝(ひれき)して同志の獲得に努めつつありしが、昭和六年ごろから軍内外の一部に起れる急進的国家革新運動の渦中に投ずるにおよび、青年将校間に急進的革新思想を鼓吹してその横断的結束を強固にし、また民間の同志に接触して革新意識を披瀝し、いわゆる昭和維新実現の機運醸成に努めていたるが、昭和九年十一月村中、磯部が叛乱陰謀の嫌疑により検挙せらるるや同志とともにこれが対策を講じもって同十年
相澤事件発生するや同志とともに公判闘争によって素志を貫徹せんことを期し、また運動資金の調達をはかり資金数千円を村中、西田などに交付して画策運動しいたるものなるところ
昭和十一年二月廿六日任地鹿児島市において、今次事件勃発を知り叛乱者の目的達成を支援し事態を維新実現に導き、もって叛乱者の地位を有利ならしめんことを決意しいたるが、同日鹿児島憲兵分隊長が叛乱者と同志関係にある同人に対して、その身邉を監視するや大いに憤激しこれを中止せしめんとして、同分隊長に対し強硬に折衝を試みたるも右監視の要否は、憲兵の職務上の事に属し明答の限りにあらずやとして一蹴されたるを怒り、廿八日憲兵分隊付近において所属中隊の夜間演習を実施したる際憲兵分隊長を訪問の上、わが背後には一個中隊の部下現存する旨を放言して同分隊長を脅威し将来尾行を付せざることを強要しもって叛乱拡大を予防すべき憲兵の職務上の行為を制肘しさらに右夜間演習終了後中隊兵一同を憲兵分隊前の路上に集合せしめ当夜の演習に対する講評の後、部下並びに一般市民に対し叛乱者の行動を是認せしむべき意図をもって暗にこれを正当視すべきゆえんを訓話し「もし余の命ずるところに誤りあればまづ余を殺せ、もし間違いなしと確信するものは従い来れ、余は何時にでも先頭に立つべし」と追加し翌廿九日午前十時頃同市熊本歩兵第十三連隊付歩兵中尉志岐孝人の旨を承けて来麑せる常人某の来訪をうけ今次事件に対応すべき行動上の指示を乞わるるや「各自の信念において独断決行すべきのみ、速やかに帰熊の上断乎たる決心をもって事にあたれ」と激励し旅費として金四十五円を同人に供与しもって叛乱軍を利するため軍事上の利益を害したるものなり。


昭和十二年一月十九日
大阪毎日新聞号外


※原文は句読点がほとんどなく読み辛かった為追加してます。
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以上が事件後の菅波三郎の主な動きとなっている。事件の一報は寝耳に水だった事もあり、動揺しただろうか。兵を背後に威嚇するというのは、堅実温厚な菅波らしくないような気がしてならない。




菅波三郎大尉






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