My Little Tern

~多発性硬化症になって~

9家に一時外泊する。

2005年08月19日 | 多発性硬化症~入院検査編~
一週間ぶりの我が家です。こんなに家を離れたのは結婚してから初めてだったかもしれません。いやぁ、やっぱりほっとします。
学校の上司の先生方にも「来週にも退院できるかも」とメールをしました。
とりあえず、帰った日はゆっくりしました。ただし、夕方になり、今日は外食しよう。ということになりました。折りしもその日は土曜日、どのレストランも混み合っています。車であちこちまわり、最終的に近所のステーキハウスへ行きました。久しぶりのボリュームのある食事!ここぞとばかりペロリとたいらげました。
帰ってからは久々のお風呂です。ただし、先生から熱いお湯でなが湯は禁止されているので少し冷めたお湯に入りました。
自分ではそうしたつもりだったのですが、寝るときになり、またしても、左足、左手に痺れが出てきてしまいました。
ええっ?また?そして、左足につっぱり感も!そんなぁ
次の日になると夕べの痺れは治まっていました。
しかし、夕方になるとまたしても、痺れ、つっぱり感がでてきたのです。
そのまま、早めの夕食をすませ、午後8時には病院に戻りました。
看護師の方に夕べ、そして夕方の痺れと突っ張り感について話しました。

8そして、診断はくだされた。

2005年08月17日 | 多発性硬化症~入院検査編~
骨髄、MRIの検査、全ての結果が入院1週間目の1日前の夜に主治医の先生に呼ばれ、夫婦そろって聞きにいきました。

ナースステーションにいくと、そこにレントゲン等のフィルムを映す機械がありました。そこに私のMRIが貼られています。
「結果からいうと、やはり、多発性硬化症だね。」
先生はそういいながら、何枚かのMRIの画像から、ひとつを取り出し、機械の上に貼り付けました。なにやら、首にうっすら白いものが見えます。
「ここ、うすーく、白くなっているのが分かるかな?頚椎の・・番目の部分で、丁度、左の手足の神経をつかさどっているところなんだよね。」
「ほんとだ!よく分かる。」
これで、私の痺れ、脱力の原因がはっきりと分かったのです。

「K県に住んでいるんだよね。そしたら、難病指定の手続きをとりましょう。保健所に行ってこれだけの書類をとりに行ってきてください。そうしたら、必要な部分を書き入れますから。ただし、あなたの場合は今、こうして後遺症もほとんどなく症状が消えているので、比較的軽い方だと思うので、申請しても通るかはちょっと分からないけど、出すだけだしてみましょう。
そして、今言ったように、軽度なので、明日から1泊外泊してみましょうか。
それで、なにも異常が出なければ退院で結構ですよ。」

「やった!2週間の入院どころか、1週間ですみそうだ!」
ただし、私が「多発性硬化症」であることはこれで証明されたわけです。

「何か、心配なこと。聞いておきたいことはありますか?」と、先生。
「あの、このまま、治ればもう、何も起きないのですか?」
「それはこれからの症状を見ていかないとなんともなのですが、この病気にはいくつかタイプがあるんです。
1.再発と症状が治まるのを繰り返す。(あまり、どんどんひどく進行しない)
2.症状がどんどん悪化していく。
3.再発を繰り返しながらも、いつの間にか症状が消えてしまう。
等など。現在の状況をみると1.のパターンのような感じがしますね。
とにかく、無理をしないこと。睡眠不足等もよくないですね。今まで外に向けていた意識をちょっと、自分に向けてみてください。
でも、症状が治まっている人で普通に働いている人多いですよ。
大丈夫、とにかく、自分のペースを知ることです。身体がちょっとだるいな、と思ったら休むことですよ。」
「あの、例えば今後妊娠や出産というのは可能なんでしょうか?」気になるところです。
「これからの事で気になりますよね。大丈夫です。実際この病気でもお子さんを産み、育ててる方はいますからね。ただし、妊娠、出産、どちらも身体に負担をかけることですので、周囲のサポートは重要になってきます。例えば、出産ぎりぎりまで、仕事をするとか、また、出産後すぐ復帰をするとか・・・。そういった身体に負担がかかりそうな事は避けるべきですが。」
そうか・・・。周囲の出産を経験している友達は出産ぎりぎりまで仕事をして、すぐ復帰もしているので、自分もそういう形で子供を産めたら・・・。なんて、思ってたけど・・・。それは、私がこの病気である限り非常に厳しいということなんだな。・・・仕事をしている自分にとって、これは少くなからず、考えさせられる問題です。
「とりあえず、明日から1泊外泊をして自宅で様子をみてください。このまま、症状がでなければ今回は投薬治療はなしで、退院できるでしょう。それから、この外泊時に家でインターネット等でこの病気に関してご夫婦で、いろいろ調べてみるといいですよ。この病気の人のためのサイトがいくつかあるはずですから」と、先生。外泊、そして退院はうれしいものの、また起きたらどうしよう、という一抹の不安もないわけではありませんでした。
次の日、家に帰ってインターネットの多発性硬化症のサイトを見ていたら、こんな言葉が書いてありました。
「よりよいクオリティ・オブ・ライフのために・・・。」
クオリティ・オブ・ライフ・・生活の質、人生の質。
限られている自分の限界の中でいかに質の良い生活を送るか・・・これからはそんな風に生きていくことを心がける。ということか。
でも、それって、普通の健常者にとってだってできたら素晴らしいことだよな・・。限られた中で、質良く、無駄もなく生きられたら、こんなにいいことはないはず。それが難しいんだよなぁ。


7MRI首と頭をとる

2005年08月17日 | 多発性硬化症~入院検査編~
次の週にかけて、今度は頭と首のMRIを撮りました。
炎症が見えやすいように造影剤というものを途中で注射します。

首、頭別々の日に撮ります。

最初は頭のMRIです。
時々ドラマや医療関係のスペシャル番組などでMRIの機械を見ることってありましたが「でかっ」そして、なんだか「ズッタズッタ」とまるでロックのリズムのような音がします。(私は最初、音楽が流れてるとホントに思ってました。)かなりの大音量がするので耳栓をし、頭をヘッドギヤみたいなやつで固定し、横たわりました。技師の方から、「気分が悪くなったら、これを押してください。」と押しボタンのようなものを渡されました。
そして、いざ、マシンの中へ!
グオーン、ギギギギ、ガガガガ・・・
とにかく音がすごい!そして、なんとなく呼吸も辛い感じです。
あーいつになったら終るんだろ・・。と、思っているとにわかにマシンがグーッと外に向かって動きました。
「良かった、終るんだ・・・。」と思いきや
「あ、今から造影剤射ちますねー」
「まだあるのねー」がっかり。
それから、しばらくして今度は本当に終了しました。

そして、また別の日。今度は首です。
前回経験しているので楽勝かなー。と思いきや・・・。
先日くれた耳栓をくれないのです。
「あの、耳栓は?」「ああ、今日は首なんで大丈夫ですよ」
と、技師さんに言われながら、「今日は首なんで、首を固定します。」
と、首にコルセットのようなものをつけ、固定させられました。
そして、前回と同じように大音量のマシンへ・・。
グオングオングオオン・・。またまたすんごい音。
しかも、首を締め付けられているので、だんだん苦しくなるし・・・。
ややっ!本当に苦しくなってきた。このままだと・・・。
と、持たされていた押しボタンを押そうとしたとき。
またしても、マシンが外へ。そして「ハイ、造影剤・・。」
「今がチャンス!」と思い、「あの、ちょっと、首くるしいんですけど。」
「でも、今コルセットつけなおすと最初から撮り直しだよ。あとちょっとだからがんばって。」「はぁ、なんとか・・やってみます。」
ホントに苦しかったぁ。あれは死にそうでしたよー。

6入院し、まず骨髄液を採る。

2005年08月04日 | 多発性硬化症~入院検査編~
あわただしく仕事の引継ぎを終え、2日後に病院へ行き、入院しました。入院する際は、先日のような足の脱力感も少し治まり、多少の違和感がありましたが、なんとか歩けました。
5人部屋の窓際が私のベッドでした。その前には私が歩けない時のためか、車椅子が置いてありましたが、今の状態では必要はありませんでした。
病衣に着替えると、さっそく検査が待っていました。
骨髄液の検査です。背中から針を刺して骨髄液をとります。
ベッドで先生の方へ背中を向けて横になります。
まずは、麻酔を打つのですが、以前、盲腸の手術で同じ場所に麻酔を打った記憶が甦りました。確か、かなり痛かったような・・・
「はい、それでは麻酔を打ちますからね。ちょっと痛いですよ」
と、言われながら、麻酔を打たれました。
やっぱりちょっと痛い!
でも、その後は麻酔を打ったので痛みなどは感じませんでした。
何かごそごそとするような気持ち悪さは少し感じましたが、耐えられる範囲でした。
「はい、終りましたよ。」
ほっとしたのもつかの間。
「これから、1時間は仰向けのまま、動かないでね。で、その後の1時間はベッドの上でごろつくぐらいなら動いてもかまいません。」
普段過ごす1時間って、あっという間ですが、この時の1時間はとても長く感じました。つきそいで来てくれていた、だんなや母がいたので多少はまぎれましたが、何度も「今、何時?」と聞きました。