My Little Tern

~多発性硬化症になって~

5ちょっと復活?・・しかし、入院へ

2005年07月28日 | 多発性硬化症~発症から入院まで~
次の日の日曜日に休養をとったおかげで例の歩けなくなる症状は月曜日には消えていました。
月曜日は眼科の検査のため病院に行きました。
結果は特に異常はなし、とのこと。「じゃあ、なんでもないのかな?きっと疲れでそうなっただけなのかも・・・。」と、心の中でこの病気ではないことを願っていました。しかし、左目の視力が異常に落ちていたので、その日のうちにメガネを新調しました。
次の日の火曜日も特に異常はなかったので、学校へ行きました。ただ、多少の左手の痺れはありましたが・・。
水曜日(救急車で運ばれてから1週間)、自宅での午前中の仕事が終った時、それはまたやってきました。昼食のためテーブルにお盆をおいた瞬間とともにまたしても、私の足は力が抜け、前に倒れてしまいました。
もうこれはまずい。と思い、担当の先生が外来にはいない日でしたが、病院へ行きました。別の神経内科の先生に診ていただきましたが、
「僕だったら、即入院してほしいけど。入院なら、最短で2週間、最長で1ヶ月だね」と言われました。
もはや、仕事を休まないわけにはいかなくなってきました。
自分でもこの状況をみると、限界が来ている気がしたのです。
急いで家に帰るとそこからは関係各所への仕事のキャンセルの電話をかけまくりました。ただ、その時点でははっきりとした病名も断言できる段階ではなかったし、この病気自体、あまり世間では知られていないものだったので説明するのもしどろもどろでした。とにかく「歩けないんです。今。」それしかはっきりと言えません。
次の日、担当の先生に改めて診ていただき、入院することに決めました。
ただし、仕事の引継ぎもあるので、2日間猶予をもらい、その後、入院することになりました。

4歩けなくなった!

2005年07月19日 | 多発性硬化症~発症から入院まで~
救急車で運ばれた翌日、何事もなかったように私は学校へいきました。
足の痙攣は治まったものの、いまだに手の痺れはなんとなく残っているような気がしていました。

次の日は午前中はあいているので、ゆうべ、病院の先生に言われた通り、外来を受けに行きました。
神経内科。もちろん、初めて受ける科です。
昨年末に首を捻挫している私としてはそれが原因では、と素人考えでいたのですが・・・。

私の順番になり、先生に今までの経過を話しました。
そして、今でも多少しびれのある、左手、痙攣をした左足を触診されました。
今はまだ、疑いだけど。という前置きで診断をされたのが
多発性硬化症でした。
初めて聞く名前なので、紙に書いてもらいました。
「あの、首の捻挫を昨年やったので、それが原因なんでしょうか?」
とりあえず、気になっていたので聞いてみましたが、
「やぁ、それは関係ないよ。これはね・・・」
と、このブログの最初に書いたこの病気の特徴などを説明されました。
「インターネットでも調べるといろいろ出てくるから、見てみるといいですよ。
たとえ、この病気になったからといって、あなたの人生が180度変わってしまうようなことは決してないからね。」
このことを言われたときはまだ、私はこの病気が難病だとか、他の症例などを知らなかったのでなんで先生がそんなこというのか・・とか、ずいぶん大げさだなぁ。となんとなく思っていました。
とにかく、なにはともあれ、この病気の疑いがあるというのは事実なので、検査入院を勧められました。
しかし、私の仕事の事を話し、なんとか、外来での検査でとお願いし、その予定ですすめていくことになりました。
検査では首、頭の造影剤を使ってのMRI、骨髄液、眼科での視覚検査があります。
ひとまずは眼科の予約をとって、その日は帰宅し、午後からの仕事に出ました。

その後、インターネットなどでこの病気の事を調べるにつれて、だんだんと先生の言っていたことが分かってきました。「現在は完治しない、難病指定されている病気。大脳、小脳、脊髄の発症の場所によっては後遺症で歩行困難になったり、視力が落ちたり・・・などなど」
これは、とんでもない病気になっちゃったぞ!!正直、頭の中は真っ白です。
どこかに否定したい自分の気持ちがあるのですが、よくある症状などを見ていくと、あてはまるものが多いのです。やっぱりそうなのかなぁ。

次の日も午後から仕事があり、とりあえず手の痺れの症状も小康状態だったので普通に行きました。帰りはだんなが車で向かえに来てくれたので、それに乗って帰りました。
家の近くの駐車場に着き、車から降りたときでした

歩けない歩けなくて、その場にすくんでしまいました。
車を止めただんなの肩につかまってようやく家までたどりつきました。
「え~何これ?私、わざとしてないんだよ!わざとじゃないのに。ホントなの?」
自分でもこの状況が信じられないのです。
家にあがり、廊下を歩こうとしても、だれかに「膝カックン」をやられてる様な感覚で、そのまま膝から脱力し、床にひざまづいてしまうのでした。

この状況、かなりショックでした。
歩けなくなるなんて!
次の日に友達と会う約束をしていたのですが、この状況ではとても無理なので、キャンセルしました。

3左手のしびれ~救急車・・発症始動

2005年07月14日 | 多発性硬化症~発症から入院まで~
前の記事に書いていたようなくらいのスケジュール、普段の私なら普通にこなしていたと思います。ここ数年、もっと忙しい日もあったとも思うし、二世帯にしてからは、家事はほとんど、(申し訳ないのですが)仕事に行く日は特に実家の母にお任せしていたので・・・。
それに、世の中にはもっともっと忙しく働いている人だってたくさんいるわけですから・・。
だけど、今の私にはそれがとても疲れると感じるようになっていたのですね。

多発性硬化症のよくある症状はGWの後に出始めました。
GWの終った翌日の月曜の夜、寝る前に軽くストレッチをしてベッドに入ると、ジーンと、左肩から左指先まで微弱電流がながれるような痺れを感じました。
そのときはストレッチをして血流がよくなったのかな?くらいにしか思っていませんでした。

次の日は学校でした。1、2時限目は講義の授業なので黒板を使う事が多いのですが、
何気なく黒板消しを持った左手に、また、痺れを感じたのです。
「あれ?また痺れてる?」
この時は少し気になり、その後も時々、左手を動かして痺れがあるか確認してみたりしました。
学校の帰り、車でも、ハンドルを持つ左手はやはり少し痺れていました。

しかし、それ以外身体の変化もないので、次の日も自宅でレッスンを続けていました。
午前のレッスンが終わり、一休みしていたころから、なんとなく左手に感覚がなくなっていくのを
うっすらと感じました。なんとなく、手が固くなっていくというか・・・動かしにくいというか・・。手をさすったり、暖めたりしながら午後のレッスンを始めました。
レッスンも最後の時間になった頃でした。メロディーの書き取りの為の問題をピアノで弾いているとき、左手がなかなか思うように動いてくれないのです。普段、間違えないような所を間違えたりするのです。「ごめんね。」と生徒に謝りつつも、自分でもちょっと信じられない感覚でした。

その日の夕食後でした。寒気なのか、よくわからない震えが全身にはしり、止まらないのです。
熱でも出たのかと思い、布団にくるまってガタガタ震えていました。
だんなは最初、ただ、寝ているだけかと思っていたようですが、さすがに私が派手に震え始めたので、「救急車呼ぼうか?」と聞いてきました。
普段なら「いいよ。」と言うところですが、この時はさすがに首を立てにふりました。
玄関に座って救急車が来るのを待っていると、自分の左足だけがまるで、貧乏ゆすりをしているかのように上下に揺れて、痙攣していました。だんながひざの上から左足を押さえても、それは止まりませんでした。
その後、救急車で最近まで、父が入院していた病院に搬送されました。
搬送先では、痺れがあるということで頭のCTや首のレントゲン等を撮られました。
その後、点滴を受け、足の痙攣や身体の震えは収まりました。

しばらくして、当直の先生が来て説明がありました。
CT、レントゲンともに特に異常がないとの事、
「ひどい肩こりじゃないかなぁ、結構こってるよ。」等と言われ、ちょっと安心、でも拍子抜け。
ただし、先生は最後に、
「特に、今すぐ命にどうこう、という事はないけれど必ず外来で、神経内科を受けてくださいね。」とだけ念をおして言いました。

夜も遅かったので看護師さんから、「一泊入院していきますか?」といわれましたが、
次の日が学校だったのでそのまま車で帰りました。

次の日は何事もなかったかのように、私は学校へ行きました。

2多分これは、予兆だったのでしょうね。

2005年07月12日 | 多発性硬化症~発症から入院まで~
今、思えばこれが予兆だったのかなぁ。と思い返す事柄が結構ありました。
身体的にも精神的にも・・・。

4月中ごろ、だんなと買い物に行った帰りでした。
今まで普通に歩いていたのが、急にめまいがおき、疲労感におそわれました。
もう、ほんとに歩けない感じで・・。その場で立ちすくんでしまいました。
その後も、しばらくはその状態がつづき、だんなの肩を借り、帰宅しました。
生理前にしては少し早いし・・・。
でも、あの急な疲労感は今までにない感じでした。


もうちょっとさかのぼって2月の後半。
夜、少しだるかったので早めに横になっていたときあのこと。
急に吐き気がして、トイレへ・・。でも何も出るわけでもなく、そのまま息が
苦しくなり、一時過呼吸状態に。過呼吸状態になるのは初めてだったのでびっくりしました。
で、それで収まらず、その後急激に足がつり、それもすぐにはおさまらず大変でした。
思い返してみれば、それは左足でした。

そして、精神的にも・・・。
4月は、新学期が始まる時期です。私の教えている学校や、教室でも新しい
時間割になります。時間割は生徒の数などでほぼ決まります。
今年は思っていたよりスケジュールがつまってしまい、週休1日状態でした。
その頃の手帳を見ると「疲れた。」とか、「あと少しがんばれ」とかいう言葉が
書かれています。今思えばこれって、身体からのメッセージだったの
かも知れません。
ちょうどその時期、父が肺炎をこじらせ、入院もしてしまい、仕事の合間や後に
車で病院へ行き来もしていたので、授業やレッスンの準備などは夜中になる事がしばしば
ありました。
そんな事がたたったのでしょうか・・・。
GW後、いよいよ私の身体は悲鳴を上げ始めます。

1多発性硬化症?

2005年07月11日 | 多発性硬化症~発症から入院まで~

私は30代の主婦(らしいことはしてないが・・・)兼音楽を教えたり、演奏したり、作ったりすることを主な職業としています。
今年の5月、私は突然手が痺れだし、しまいには足が脱力し、歩行困難になってしまいました。

診断結果は「多発性硬化症」(MS)

つい最近は「林家こん平さん」がこの病気になった事を公表していましたが・・・。

聞きなれない病名にただなんとなくネットで調べてみたところ、愕然としました。
現在のところ、根本的な完治は望めないらしい難病とのこと。
大脳、小脳、脊椎にある神経の束のカバーのようなものが自己免疫により、攻撃されて
炎症をおこしてしまうらしいのです。
その炎症の場所によって、身体のいろんな所に症状がでてきてしまうようなんです。
原因はいろんな説があるようなのですがはっきりとしたものは不明です。
ただし、症状の引き金になるのは「疲労」「身体を熱くする」などがあるようです。
この病気は比較的欧米に多く、現在日本では約10万人に一人の割合なんだそうです。
(そんな確率なら宝くじでも当たって欲しかった・・・)
発症するのは20代~40代くらいの世代だそうです。
(詳しくはyahooなどで多発性硬化症と検索するといろんなサイトが出てきます。)

このカテゴリーでは私の発症から入院までを書いていこうと思います。