My Little Tern

~多発性硬化症になって~

入院4週目~外泊の現実~

2006年04月30日 | 多発性硬化症~入院投薬編~
入院4週目に入ると、外泊が許可されるようになりました。身体を外気にならして順応させるためです。
「やった!帰れる!」病院でも運動していたので(階段上り下りや、朝、ベッドの上でのヨガのまねごとだけど・・・)体力もそんなに心配していませんでした。
ただ、外泊の時の注意として、「熱いお風呂には入らない。」「無理はしない」「人ごみに出るときはマスク」といわれました。まだ、プレドニンは2粒飲んでいるので、身体の抵抗力はそんなにないのです。
迎えを待ち、ようやく、家に戻ってきました。「あぁ!家だ。家の匂いだ!」普段は気がつかなかったけどまるで、よその家に入った時に感じる感覚を覚えました。家でシャワーを浴び、すっきりし、久しぶりの家のごはんを味わいました。テレビもテレビカードの残り数を気にせず見られます!
しかし、喜んでたのもつかの間、夕方近くになり、だるさが増してきました。それと同時にじわじわとまたしても、手足のしびれを感じます。
「なんだこれ、また?またなの?」とにかくベッドに横たわりぐったりしていました。一晩たち、寝たり、起きたりの1日を家で過ごし、夜に病院に戻りました。
次の日、先生に家での体調の事を話すと先生は以外にも笑いながら
「そうでしょう。そう、なるんだよね。退院した時に突然そうなると、かなり、びっくりするからね。今のうちにだんだん身体を慣らしていくんだよ。そのための外泊なんだ。だから大丈夫。だんだん身体は慣れていくからね。」
その後、2日に1回くらいのペースで、外泊をしました。何回か繰り返していくうちに、身体のだるさ、しびれにも慣れてきました。

病室の風景~2~

2006年04月30日 | 多発性硬化症~入院投薬編~
1ヶ月近くも入院していると、そろそろ私も古株になってきて、病室の人々の風景も変わってきました。
向かいに入院していたyさんは日あたりが良すぎると体調に触るとのことで別の部屋に移動しました。その後、そこにはちょっと元気な(身体は具合悪そうなんだけど)おばさんが入ってきました。
その日から、病室内お菓子まわしが始まりました。
おばさんが、まわりをちろちろ見回しながら、家族の人が持ってきたドリンク類をビニール袋にたくさん入れて、私のベッドの方にきて「ほら、これ、飲んで」「あ、ああ、どうもすみません。」そんなことが他の人との間でも始まりました。クッキー、マドレーヌ、しまいにはアイスや、お寿司も!もうとまりませんよぉ

投薬3週間目~シャワー解除!~

2006年04月30日 | 多発性硬化症~入院投薬編~
投薬も3週間目に入ると、プレドニンも4粒に減り、シャワーも解除になりました。おかげで、身体もすっきりすることができ、気分的にもすっきりしました。
順調に行けば4週目から、外泊をし、身体を慣らしていくことになります。
と、いうことで、体力をつけねば。と、病院の1階から病棟の6階まで階段で登ったり、降りたりしていました。うっかり、途中で先生に会ったりして、びっくりさせてしまいました。
でも、先週の気分の悪さもなくなりました。
自分で、作ったカレンダーに一日終わるごとに×をつけていたのですが、そろそろ退院の見通しができるところまできました。

投薬2週間目~副作用?~

2006年04月30日 | 多発性硬化症~入院投薬編~
プレドニン投薬にあたって最初にも書いたように、いくつかの副作用があります。
・顔が大きくなる(ムーンフェイス)・吐き気とか・顔などに吹き出物ができる。・憂鬱になる。などなど・・・。人によって、また投薬の仕方によってもおそらく副作用は様々だと思います。
2週間目に入り、薬の量は2粒減ったものの、いまだにお風呂、シャワーなどは禁止。6月のジメジメした季節なのでヤな感じです。
そんな中、私にも副作用?のようなものが出始めました。天候の悪い雨の日。朝食を終え、一息ついたころ、なんだかものすごく、気分が悪くなってきました。吐き気というか・・・。めったに押さなかったナースコールを押して、看護師さんに吐き気を訴えました。吐くための容器をもらい、ベッドの周りのカーテンをひき、窓辺で「ゲーゲー」しました。なんだか、涙も出てきたりして、これは苦しくて出てきている涙なのか、感情からきている涙なのかも分からず、ただ窓辺で「ゲーゲー」の繰り返しでした。つらかったぁ
それから、なんだか、ここ数日の間はなんとなくナーバスになっていて、憂鬱な感じになっていました。あー、こんな毎日、いつまで続くんだろう。

病室の風景1

2005年08月29日 | 多発性硬化症~入院投薬編~
私の病室は5人部屋でした。
そして、私のベッドは一番奥の窓際です。
巨大な団地街の真ん中にあるこの病院から見える風景は、高いマンション群とその中に生えている木々たちでした。
窓辺には時々、ひよどりがやってきて、そのパンクな頭で、甲高い声でよくさえずりました。

私の前にはYさんという、私と同じ年の人がいました。
この人との出会いは私にとっていろんな意味で印象的でした。
最初に私が病室に入って来た時、彼女は華奢な身体で車椅子に座ってどこかへ行くところでした。つきそいには、お父さんと思われる人がいました。
ベッドの周りにはお子さんと思われる、写真がいくつも並んでいました。
入院した日を見ると(ベッドの上に書いてある)もう、6ヶ月近くも入院しているようでした。
「かわいそうに、こんなかわいい子供がいるのに。6ヶ月も入院しているなんて。
どんな病気なのかしらねぇ。」
私が入院した日、母が彼女がいなくなってから、つぶやいていました。

彼女はどうやら自律神経が麻痺しているらしく、物を持ったりする手の感触がないんだそうです。だから、物をつかむ時は、目で物を確認しつつ、つかまないといけないのです。ペットボトルのお茶を飲む事はできないので、ストロー付のカップに看護師さんについでもらっていました。
また、歩行も困難らしく、足はやせ細っていました。天候によっても気分が悪くなる時があるようで、一日を通して元気という時はなかったように見えました。夜になると、うなされているのか、「痛い。痛い。」という声がカーテン越しに聞こえました。

私はそんな彼女を見てものすごくショックを受けました。私と同じ年で、こんな風に生きている人がいるなんて!
でも、彼女はいたって明るいのです。看護師さんに冗談を言ったり、なじみの患者さんと面白い話をしていたり。
週末になると、だんなさんがお子さんを連れてやってきます。お子さんが来ると彼女もがぜん、はりきって子供を自分の膝に乗せ、車椅子で散歩に行っていました。
ただ、みんなが帰ると疲れがどっと出てくるらしく、ぐったりしているか、苦しい声を出していました。
彼女は自分で鉛筆を持つこともできません。本も読むこともできません。ヘッドホンをつけることができないので、ウォークマンなどで音楽を楽しむこともできないのです。だけど、彼女は自分を勇気ずけるかのように一人で歌を歌っていました。
リハビリを兼ねて、と、鏡をつかみながらマスカラをつけてお化粧をしていました。

そんな彼女を見て、私はとても励まされました。でも、自分は彼女には何もできなかった。時々気分のよさそうなときに話しかけるだけ。私は彼女の前では本当に無力でした。
今でも、彼女の事を思い出すと私は励まされます。
彼女の病気は時間はかかりますが、回復はしていくそうです。
ある日のお昼の時、彼女が薬を飲むために看護師を呼んでいたのですが、なかなか来なかったことがありました。あまりにも来ないので「私、やりましょうか?」
と、私が声をかけたことがありました。彼女の薬の袋を開け、水を取ると、「あ、ここからは自分でやってみます。」と、彼女は自分の手で口に薬を含み、水を飲みました。「あぁ、出来た!ありがとうございました。」
その後、回診にきた、主治医の先生に「今日、助けてもらったけど、看護師さんなしで、薬が飲めた。」と喜んで報告していました。先生も「本当!それはすごい。進歩したね!!」
私達にとって当たり前な事って、実はとっても大切で、ありがたい事なんだ。
と感じました。