祖母がそらんじていた、花暦の最後は(枇杷の花咲く年の暮れ)だった。
100才記念(22年前・次の年に亡くなった)に地区の方や、色々な方々がお祝いに
駆けつけて下さった。その時もこの花暦をみんなの前で披露した。
その枇杷の花が、今満開。来年も沢山なりそうだなぁ。右の黄色の葉は蝋梅。
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祖母の生きた昔は、紙さえも大事な物だったので、知識はできるだけ記憶
してきたのだろう。例えば「知らざぁ、言って聞かせやしょう。弁天小僧菊の助
とは・・・」の物語。国定忠治のえ~~となんだったっけ?「OOOを捨て国を
捨て、可愛い子分の・・・・・。」
安ちん清姫・刈萱童子・菅原道真が大宰府に流された時の話他。しんけんに
聞いて覚えておけば良かった。全部祖母が聞かせてくれたもんだ。長い物語を
5・7調で語る物語は面白かったが、一つだって前文覚えているのは無い。
それでも少しだけ記憶に有るのを手繰るのも楽しい、懐かしい!
枇杷の花から、いつも楽しそうに聞かせてくれた、祖母の温和な顔を
思い出した。「婆ちゃんとの時間は、いつも穏やかに流れ、大好きだったよ。
可愛がってくれて有難うね。」