この間からずっと二男から届いたメールが気になっていた
「(……)こっちの声が届かなくて会話が一方通行になるのは結構辛い。」
「補聴器は買ったことあるけど難しい。集音器は使い捨てだけどどうかな、と思っている。」
「何でも試してみるといいよ。こっとも声が小さいのは自覚している。」
まえがき(……)は、もっとあるのだがようするに
長男のことも耳の聴こえの悪さが関係してるのではないか?
そう思ってるようだ。だけど 長男は介護の仕事を始めてからは
始める前と違って私に対する態度が変わってきたのを感じている
全くないとはいえないけど。
この間、開店前の数分間 偶然ですが60~70歳くらいのおばちゃんが
「まだ開かないのかねぇ…」
少し話を持ちかけると…
「あー ごめんなさいね 私 なんも声が聴こえないのよ」
私の会話は確かに一方通行になっていた
それもあって、二男のことばがいっそう心に響いたのだ
補聴器は自分の耳に合わせるまでにかなり時間がかかる
お金もかかったけど時間もかかるのだ
そうして補聴器の調整の為に通う労力も必要なのだ
「集音器は使い捨てだが 一年(電池)は持つし 補聴器よりはずっと使いやすい」
とそのおばちゃんが教えてくれたのだ…
耳は年々聴こえが悪くなり よくなることは絶対にない
私のように小さい頃の病気と耳鳴りを伴うとその日の天候によっても違ってくる
午前と午後とでも違ってくる
心が不安定で悩みがある時でも聴こえが悪くなる
ようするに耳の聴こえは心と一緒なのだ
とても敏感でとてもやっかいなのである
それからも悶々と何かしらと考え続けていた
ふと朝の散歩で父の事を思い出した
父は老人性難聴だったのかある時から耳の聴こえが極端に悪くなっていた
私が自分の耳の異常に気づいたのは30代後半だったが
父はその時からラジオのイヤホンをずっと耳につけっぱなしだった
むろん 電話にも絶対に出なかった
元々無口だったがたぶん耳の聴こえの悪さも関係してかよりいっそう無口になった
そんなある日、私も実家に帰って父から母の遺品(ズボン)を貰ってきた
その時の気持ちを思い出したのだ
何を言っても父には聴こえないし 返って来ることばもほとんどない
何か用があれば仕方なく実家に帰って、用が済めばそそくさと帰った
その頃にはもう姉の様子もおかしかったし…
ほとんど逃げるようにしてかえっていた
私は…二男と同じことをしている 二男は当然のことを思ったのだ
私は愕然とした 自分のおろかさをひしひしと感じた
紐をつける部分が下に下がったままで 明るさの調整が全くできません
3mもの上に上がるのは、ハシゴを用意しなければなりません
届いたとしても私の腕がまっすぐに伸びません
五十肩は腕を伸ばせないのです
知ってましたか?カミソリでわき毛もそれないんですよ
これは本当にくやしかったです
でもわき毛も年々うすくなるもんです
それと白髪も頭髪だけではありません
高校生の頃、先生とこんな談話をしました
「もしかしたら他のところも白くなるんですか?」
大真面目に友達とか先生と会話してました
本当に不思議でわからなかったのですが 50代、いいえ40代後半になると
その答えが非常によくわかり 私はものすごくスッキリとしたのでした
ずーっとずーっと前から髪を結うゴムを探してました
場所はわかっているのになぜか見つからなくて
そうしたら今日になってやっと私の目(視界)に入ったのです
買うほうが早いのですがあるとわかっているものは絶対に買いません
今まではどうしてたかって?
当然その辺にある輪ゴムですよ。
ちびこ曰く…
おっかーにきのう体を洗ってもらいました
それも固形石けんですよ それも人間用のですよ
おかげさんでまっちろ(真っ白)になりまちた…
でもオイラも最近よくベッドから降りて下で寝てるんですよ
おっかーの寝相の悪さと暑さで何度もなんども降りちゃった
だけどオイラ、ちっとも痩せないし…
おっかーは反対にやせっぽちでかわいそうだよ…
ぴょん曰く…
朝方は肩の痛みでもうどうしていいのかわからんで…
朝の散歩はもうろうとしている
この痛みが収まればなんとか気持ちを切り替えられると思っている
おいらはどん底に落ちた時からが強いんだ
だから人の痛みは絶対に忘れてはならない
自分もあなたも同じ立場だったら…そう思うとおのずと結果はわかってくる
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