バングラデシュでは74年の洪水(米が全滅)による飢饉で約十万人が餓死しており、当時まだ独立したばかりでパキスタンと仲違いしたままだったバングラデシュは、破錠した経済を建て直すのに四苦八苦してムハマド-ユヌスを生みました。
話を餓死に付いての論述に戻しますと、それは概ね20日前からハッキリと死が自覚される(周りからも)と云います。
ガリガリだった体がぷっくら膨らんで来て、それはまず足からで歩けなくなります。
これは細胞膜がもう内部の水を保てず漏れ出す事により(足に水が溜まってく)、自らの細胞が次々と破裂して死んで行くのを自覚すると云います。
また真に恐ろしいのは、そうした絶望の20日間において救いが何も見いだせない事で、自分の人生はどこで失敗したのかを延々と自覚させられ続ける事だと云います。
"Oh! my children of the Sun"はピート-シーガーのベトナム反戦歌で、「我等の子供たちが太陽で焼かれて行く」と歌います。
そこでは子供たちの歌声もフィーチャーされており、ある部隊がジャングルで遭難してなんとか生きて帰ろうとする苦難の行軍と、その最期までが子供たちの声と伴に歌われます。
太平洋戦争に参戦したピートにとってベトナムで戦う若者達は子供等の世代で、英語ではSonとSunは発音が同じなのでよく掛け合わされます。
シーガーは後世の為に労働運動や環境活動を積極的にリードして歌にしており、歴代で最多の放送禁止(ban)ソングを作った歌手でもあります。
話を労働改造所に移しますと、浮腫(足の腫れ)が出て歩けなくなった囚人は特別房に移され、そこで長い時間をかけて死を待ちました。
一般的に言って、そこに救いなどは全く無く、囚人達は自分の人生を全否定されたまま死を迎えました。
こうして亡くなった魂は成仏せず、「餓鬼」として後世に禍根を残すという信仰が在ります。
私は今生とか後世を特に意識して生きている人間ではありませんが、悲しい死を遂げた人々を供養したい気持ちはあります。
私が物語に救いを求めるのはこの為で、ここではサイオンにそれを託します。
祭恩諧の祭はいよいよクライマックスを迎え、当時誰よりも中国の大地を知り尽くし、遠く天山山脈から沖縄までの土を診て来たブレサリアン(祝福されし者)は、チベットの土と成って妻子や暁星と多くの囚人達を救います。
ここで暁星と中国初代の映画人たちをフィーチャーしたのは、彼等の多くが既に長春包囲戦で餓死しており、そうした餓鬼を供養する為でもあります。
サイオンに課せられたミッションはかなり重たいので、次回からもう少し根回しをさせて頂きます。