当時原子爆弾は出来たばかりの兵器であり、その爆発実験は僅かしか行われておらず、環境や生物に対する影響は殆ど解っていませんでした。
ネバダ(ホピの村の近く)での核実験では周辺の生物は微生物に至るまで全て死滅して、生態系が蘇るまでには少なくとも50年はかかると見なされました。
一方近年の宇宙生物学の発展から、光合成細菌などの原始生物は宇宙空間でも生存できる事が解って来ました。
また、そうした宇宙からの微生物が大気圏突入の温度(2700度)に耐えられることも解っております。
これは原爆の爆心地の温度3000度にも微生物達が耐えられた事を示唆し、実際に浦上の生態系はその年の内に復活しました。 ここにはトゥルクの広めた有効微生物群(光合成細菌、酵母菌、乳酸菌を共生させたカルチャー EM)が貢献していたとして、その方向で放射能対策に役立った事も書きます。(前の方の福島シリーズを参照して下さい)
原爆による放射能汚染はとても深刻で、それはプルトニウムが大量に放出されるからです。(福島でも僅かに放出され遠くまで拡散) これは肺に入ると排出されず、何度(20回程)もアルファ崩壊を体内で起こして致命傷となります。
浦上に救援に来たナース達が次々に亡くなって行ったのも、このプルトニウムとストロンチウム(崩壊スピードの早い方)の内部被爆が主な原因で、これは同じく広島で原爆症の治療に当たった肥田舜太郎医者が、死亡患者の肺からプルトニウムを検出して米軍にその対策を迫りましたが、向こうの研究所は内部被爆を一切認めませんでした。(「内部被爆」 最近ようやく裁判で認められ補償されました)
プルトニウムとストロンチウムは土から作物に移行するので、チェルノブイリ(ヨーロッパ)では農業の放射能対策が一番の焦点となりました。 そこでEMは著しい移行抑制の効果を発揮し、農業的なインプットとしても経済性が評価されて(慣行農業を上回る)大いに広まりました。
こうした有機農業ムーブメントが原発事故後の日本にも起こらない事はいささか不満で、農業者の高齢化と慣行農業の体質化(利権的)が問題かと思いますが、この話しはここまでにします。
とにかく、浦上の土地は一早く理想的な土壌生態系(阿蘇盆地由来)が復活し、それは放射能を固定して作物へ移行させなくして安全な食糧生産を可能とし、お蔭でその地に復員した兵士達も健康を取り戻す事が出来たと語って行きます。