真の動物福祉牧場を目指して

政(まつり)は民の為

これは当然の事で、特にこうした格言が有るわけではありません。
しかしこの当然の事が真に実現されている社会というのは、地球上ではまだ少ないのではないかと思います。

政を行う組織が大きくなると、自己保存本能が高まって戦争を辞さなくなります。国民はその政に強制参加させられ、この時代(60年代)はそうした徴兵制を逃れた若者達がヒッピームーブメントを起こした時代でもありました。

しかし共産中国の徴兵にそんな自由は無く、朝鮮戦争やベトナム戦争に送られて多くが命を落とし、チベットやウイグルの反乱鎮圧では多くの命を奪い、その間にも故郷は飢餓によって戦争に劣らない壊滅状態になりました。

中国においても、こうした狂った政への参加に嫌気がさして脱走した若者達は必ず居たはずで、彼等も東チベットの新しい国に引き寄せられ、曹希聖がこうした漢族の脱走兵達を受け入れます。

漢族難民の存在はチベット人が主体の国で大きな意味を持ち、それは大躍進がチベット人や少数民族の絶滅を図った政策ではなく、漢族の民衆も同じように苦しめられており、悪いのは政ごとを行う一部の増長したプロレタリア達と、その共産主義革命という誤った理想だという事が共通認識となりました。

希聖は率先して自らの誤った政策が生んだ惨禍を告白し、大躍進以前の革命戦争での非情な行いも懺悔します。
こうした話を一番熱心に聴いてくれたのは行善で、彼の故郷が希聖による毒ガステロの煽りで全滅した事も許します。
傑も希聖の懺悔により、満洲人を何十万も都市に閉じ込めて餓死させた漢族への怨みが消えて行きます。

こうした希聖の働きにより、中国という多民族国家の長い歴史において稀な、真の民族友和が達成されます。
これは漢族が少数民族を呑み込む民族融和とは異なり、お互いの民の営みと歴史に敬意を表し、決して一方的に優劣を付けて文明を押し付けるようなマネはせず、むしろ古い伝統の中から民族共通の価値観を見つけ出す事を大事にし、その上で仏教が役立ちます。

これは漢族僧の行善が国の行政を担っていて、仏教をフィーチャーした政策(少林寺原案)で臨んだ自然な成り行きからで、チベット仏教と漢伝仏教の歴史的な相剋(ライバル関係)は、お互いの長所を認め合う形で昇華され、民衆は宗教的な団結心を得ます。

宗教よりも大きな物質的な暮らしぶりの面について語れば、この山の国の民ほどに平等な暮らしが達成された国は他に無く、この物質的な平等というモノにある種の力が宿るとする信仰(共産主義 power of equallityという歌もある)は、この国では達成されたかにすら観えました。

民は政に感謝して、医聖と農聖の徳が活きるこの国の名は、シンプルに昔からの地名を取って優樹(ユーシュー)高原国としましょう。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る