真の動物福祉牧場を目指して

人類の悪しきカルマ

 チベット仏教の転生思想には、どうして「憤怒尊」などと言う恐ろしい神が登場するのでしょう?
 そんな死者に試練を課すような神など必要ない、と考える方も多いかと思います。

 しかし、現実として地球上には「人類の悪しきカルマ」がハビコっており、それに対して神が憤怒するのも当然に思え、それぞれの死者に対して「悪しきカルマ」とどう向き合って来たかを問うのも、納得のいく話です。

 人にとって一番悪いカルマは殺人かと思い、それを犯した死者はバルドゥで憤怒尊にこっぴどく絞られて、その試練に堪えられたならば修羅界に転生しますが、大抵は心が折れて地獄か畜生界に堕ちてしまう様です。

 しかし私は前々回の物語「Shu-Shan」で、人類史上最大級の大虐殺を行った魔王-曹希聖が、地獄に堕ちるハズの毛沢東(魔王ヅェドン)をも救い上げて、恋人や戦友やご先祖様と一緒に天界へ昇るバルドゥを描きました。

 これは例外中の例外なので、物語るのに1ヶ月以上もかかりましたが、少しだけ振り返りますとまずは、希聖が罪滅ぼしの為に行ったカルマが評価されます。
 彼は優樹国の防衛戦に大いに貢献し、後の文化大革命に於いては批判大会で共産主義革命を総括し、命を差し出して革命に終止符を打ちました。

 その後のバルドゥは法王-行善によって導かれて、初めの週では恋人の小清と「幸せな夢」を深く見れ、憤怒尊との対峙では臆するコトなく全ての「罪と罰」を受け入れられました。

 そんな希聖のバルドゥには、共に戦った愛新覚羅傑仁や、太平天国を最期まで戦った祖父、そして遥かなご先祖である曹操までもが力を貸します。
 こうした戦友達はみんな殺人のカルマを背負っていますが、それでも地獄や畜生界に堕ちないだけの徳と正義を持っており、希聖の憤怒尊との戦いに勝機を与えてくれました。

 話が飛んだので、秀祥と憤怒尊との戦いは次回に描くとしますが、そもそも秀祥は神を怒られるコトなど殆どして来なかったので、憤怒尊も初めから優しい対応で臨んでくれます。
 

 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「農業」カテゴリーもっと見る