真の動物福祉牧場を目指して

バングラデシュの苦難

これは、ジョーン-バエズの「バングラデシュ」という歌がよく感じを伝えてくれ、それは政治闘争と学生運動の苦難を歌っております。
そんな苦難の学生運動から、原爆をテーマとした劇が生まれました。バングラはイスラムなのに歌と踊りが大好きで、女性はカラフルなサリーを決して譲らない、なかなか面白い国です。


私がバングラを旅して観てきた感じでは、この国ほどフランク(正直)なイスラムの国は無いなー、といった所です。
これは勿論良い意味で、神の元の平等とか、迷信や恐れに対する革命、そして真の平和主義といった、イスラムの本当の教えが元気に生きずいている国だと感じました。

この国では銀行は儲け主義を脱しており、グラミン銀行はノーベル平和賞を取って日本にも支店を展開しております。(grameen.jp)

こうした人情味の有るベンガル人の難民に対して、山の民は暖かく支援の手を差し伸べます。こうした絆は打ちひしがれたベンガル人の心を癒やして行きます。

19に成長したトゥルクは既にシタール弾きの才を開花させており、難民の子供達から歌を教わって、速やかにベンガル語を話せる様になります。
彼女の通訳によって、ジョンやブータン王の意向はちゃんと伝え広められます。

ジョンの意向は、「イギリス人として私は祖国を代表してベンガル人に謝罪する」と云うもので、それが伝わらなければ決して彼は援助の輪には入れなかったでしょう。
それ程当時の政治問題はピリピリしており、それは当然イギリスによる補償が全く行われない事への不満も有りました。
数世紀に渡って搾取され続けて来た歴史(終戦間際まで飢餓が頻発してた)が、今回の分離独立に結びついている事は否めなく、ジョンの補償は困難を極めます。
彼は日本から舎弟を数人連れて来ており、彼等は良くジョンをサポートします。ジョンによって救われた帰還兵や広島青年は日本にしっかりとした足場を築いており、特に広島ヤクザが開いた農場は発展して町となり、多くの難民を受け入れる力を持ちます。

ブータン王ウゲンも難民の受け入れを宣言し、その声は山を降りて直接伝えられます。彼はこの救援活動を最後に王座を譲る積もりで山を降りており、その後パーティーと行動を共にします。

さて、慎語には何を語らせましょうか?
それを語るには、論文「1971年のパキスタン」を読まなければならず、勉強不足なのでここで一度筆をおかせて貰います。




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