まず最初に挙げたいのは、「SYNの物語」の核心である「芯」章で描いた、原爆投下以前の長崎浦上の教会学校に於ける「教育」です。
そこはローマ法王廰から特別な援助をうける東洋一の教会で、代表のお清(しん)はマリアの聖号を授かり、パートナーの新之介は北海道で宣教師に師事し、浦上では雲水の老僧に師事してこの地に留まった旅人です。
この2人がプリンシパル(校長)の学校に、息子の慎語が嫁としてトゥルク(転生活仏)を伴って7年の長旅から帰って来ます。
トゥルクはインドで「教育の神 サラスワティー」と讃えられた女傑で、慎語も「平和の神 ビシュヌ」と讃えられる活躍をし、この2人の神は「インド神話(マハーバーラタ)」でも夫婦として描かれています。
更に「破壊の神 シヴア」の異名を取ったイギリス人冒険家のジョン、神の名をそのまま授けられたガネシア(富と知恵の神)、ハヌマーン(武の神)と呼ばれた秦天臣などもトゥルクのパーティーとして共に浦上に根付き、「教育」に携わります。
私の教育における「妙なる法」はこの「時」と「場所」で語り尽くした感がありますので、よかったら今年の3月に書いた「トゥルクのヴィジョン(夢)」あたりから読み返して頂けると幸いです。
ここでもう一度「長崎のクリスチャン」学校のコンセプト(構想)を紹介しますと、そこにはキリスト教のサクリファイ(犠牲)思想が底流にあり、もうすぐ原爆で全員が亡くなるのを前提に「真の教育」を描いています。
サクリファイ思想は日本人には馴染みが薄いのですが、「世の罪」を滅する為に神から選ばれた人々が犠牲となる事を、キリストの故事に倣って神聖視するモノです。
浦上の子供たちを「世の罪」を滅っする存在として描き、その「勝利」を描くのが私のコンセプトです。
その為に、トゥルクを始めとする聖なる大人達は子供たちへの協力を惜しまず、歪んだ「戦時教育」に洗脳された周りの社会に対し、子供たちを先頭にして立ち向かって行きます... これが私の考えた理想の「平和教育」です。
「教育」でもこうした文学的な二極対立があると描き易く、これは平時にはちょっと見い出し難いコトではあります。
「偏差値教育」と「自由教育」の二極対立は存在するかも知れませんが、そんな軽薄な対立を描いてもツマラナく、やはり「戦争と平和」くらいの二極対立が「教育」には相応しいかと思います。
翻って日本の「平和教育」は、一時世界に冠たるモノと賞賛された時期がありました。
今でも日本が世界一平和な国だとする意見は強いのですが、「平和ボケ」しているとの意見もしばしば見かけます。
私は「平和ボケ」の方が「戦争ボケ」よりかずっとマシだと思うので、日本の教育界はこれから米中対立が深まって行く中でも、逞しく「平和」を貫ける日本人を育てて行って欲しいと思います。
教育界があまりに不甲斐ないようならば、我々40代の人間が責任を持って子供たちを導かなければならないと思い、末筆ながらそんな気持ちを込めて物語を綴っております。