前回「愛国教育」について語りましたので、今回は「国」について掘り下げます。
今、地球上には197ヶ国があるとされますが、台湾やイスラム国やクルド国などの承認されていないのも数えると200ヶ国に成ります。
よくもまあこんなに分化したものだと神も呆れているコトでしょうが、それらの国々は殆どが独自の神から承認を受けて独立したと主張しております。
しかし現実にはそんな神は存在せず、人同士が違いを主張した為に「国」が生まれたに過ぎません。
日本の様な島国ならば他国との「違い」は顕著になり、愛国心がズバ抜けて高いのも理解できますが、ユーラシアやアフリカ、中南米でかくも多くの国々が分化しているのは理解に苦しみます。
それは恐らく古代からの覇権争いが由来しているのでしょうが、そんな悪しき過去を現代まで引き摺る必要性は無いかと思います。
さて、ここで「Sayの物語」に入りますと、1万年前のシャングリラはちょうどその7千年後のガンダーラ(クシャナ朝)と同様に、「愛の国」の国境をインド平野にまで広げました。
その首都は、夏場40℃にもなるラホールから涼しいシャングリラに移され、ヒマラヤの山国には人口が一気に流れ込みます。
多くの人が不老長寿の里に住みたいと思う気持ちは止められず、アッシリアに占領される前に共生の道を選らんだのは賢明でしたが、山国で多くの人口を養うのは至難の技でした。
アッシリア人とシャングリラ人の間では必然的に諍いが起こり、兵士達の中には王(パル)の平和路線に反対して戦争を望む者達もおり、クーデターが起こります。
これには熊のテディに対応して貰い、「1 vs 100」で兵士達の戦意を挫きます。 ここでテディには死んで貰おうかとも思い、そのトモライを兵士達にさせるコトで自分達の愚かさを悟って貰います。
この事変によって、アッシリア人とシャングリラ人は一つの民族と成り、共に未来を切り開いて行く道を選択します。
それはヒマラヤ山脈の向こうに広がる広大なチベット高原の開拓で、これには戦争よりも遥かに多くの国力と勇気を必要としました。