前回で「末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)」に触れましたので、まずはその補足をさせて貰います。
モルモン教では信徒の義務として海外宣教が課されており、だいたい20歳位でペアを組んで2年間も海外で布教活動をしています。
上のブログではそんなモルモン青年と仲良くなった経緯が語られていますが、わたしはモルモン教の本拠地ユタ州のホピ族の村に行った時、宣教師として旅立つ前の青年たちの訓練を見学させて貰ったコトがあります。
その経緯については前に書いたので省略しますが、訓練では一人暮らしのお年寄りの家を訪ねて料理や掃除や話し相手をする「ホームヘルパー」の仕事をしたり、みんなで集まって料理教室を開いたりしていました。
これは宣教師として海外に出た時に自炊生活するからで、若い彼等・彼女等(女性には宣教の義務はないけれど希望者は行ける)は乏しい基金でなんとか生活して行かなければなりません。
ここまで熱心な布教活動を行っている教団は他に無いかと思え、それはこの教団が辿って来た過酷な弾圧の歴史によると思えます。
ここでは「ユタ戦争」について詳しく書かれていませんが、モルモン教徒はユタでネイティブ-アメリカンと共に独立戦争を戦っており、それには破れましたがネイティブ(原住民)との絆は強く残りました。
それは「ネイティブのキリスト」が再臨するという教義にも現れており、「Sunの物語」ではユタ州のウラン鉱山で働いて殆どが肺ガンに罹ったナバホ族を秀祥(しゅうしゃん)が救ったコトで、モルモン教徒から「ネイティブのキリスト」に認定された経緯を描きました。
秀祥はチベット仏教でトゥルク(転生活仏)にも認定されており、彼女は生涯を懸けてキリスト教と仏教の懸け橋に成ろうと努めました。
その功徳はモルモン教を超えてより広くキリスト教に伝わりましたが、やはり「キリストの再誕はネイティブからしか有り得ない」とするモルモン教徒には強く秀祥の「癒しの奇跡」が響き、トゥルクは転生すると信じるチベット仏教にも大きな関心が寄せられます。
多くのモルモン教徒はチベット仏教徒と同じく「キリスト(救世主)の転生」を信じ、それを実現させたアデを「聖母マリア」と讃えます。
それまでチベット原住民のアデは漢族から動物のように見下されて来ましたが、「キリストの再誕」を祝うタメにカイラスまでやって来た多くのモルモン教徒達から聖なる母と尊敬され、そうした「敬施」によってアデは本物の聖母たらんと努めるようになります。