真の動物福祉牧場を目指して

修羅道からの解脱

以前、小清(シャオチン)の助力によって餓鬼道に堕ちることから救われる、といったストーリーを書きましたが、今回は修羅道から救われるストーリーを考えてみます。

希聖(シーシェン)が堕ちる恐れが非常に強かったのがこの2つの悪道で、そこから湧き出て来る多くの憤怒尊の裁きに耐えて、彼の背負った特別に深い業(カルマ)を浄化しなければなりません。

その前に、少し寄り道して毛沢東の死について触れます。
彼は'76年に老衰で亡くなり、晩年は睡眠薬のオーバードース(若い頃から)が祟って混沌とした意識状態だったみたいです。

ちょうど物語でシーシェンがバルドゥに入った頃、沢東(ヅェドン)も生死の境を彷徨っているので、この宿念の革命家2人のバルドゥが結ばれて共に裁きを受けるのも佳いかと思います。

まあそこまでやると流石に中国では発禁になりそうですが、逆に台湾や香港ではウケるかと思い、やはりなんらかの形でヅェドンのバルドゥも描きたいと思います。

しかしそれはどう考えても悲惨なバルドゥしか描けず、行善のような類い希な導師にでも恵まれない限り、地獄道に堕ちることは避けられないかと思います。
そういうネガティブな物語はなるべく描きたくないので、魔王ヅェドンをも救うパワーをシーシェンのバルドゥに持たせられたら善いと思います。

そもそも革命の修羅道にシーシェンを引き入れたのはヅェドンであり、彼の右腕としてシーシェンは鋼鉄に鍛えられました。
5.30事件で数百人の労働組合員が虐殺された時も、怒りで労働者達を団結させる計略が働いていたのは明確であり、シーシェンはヅェドンからそうした謀略を学びました。

その後、シーシェンは絶え間ない闘争の中で専ら汚れ役をこなして行き、ヅェドンがトップにのし上がるのを支えました。
それには延安での内ゲバの嵐(整風運動 - Wikipedia) も含まれ、これは共に戦った戦友達を葬る政争だったので、シーシェンには特別辛かったことでしょう。

しかしこうした修羅の道は、チベットで優樹反乱軍に軍師として加わったことで救いを得ます。
五年間の勝利はシーシェンの存在無くしてはあり得ず、共に戦った傑仁やモンゴル、チベットの戦友たちとの絆をバルドゥで活かそうと思います。

また、太平天国と共に散った同名の祖父も、希聖が来世で再び修羅の道を歩まないように導いてくれる。なんてストーリーも佳いかと思います。

今回も物語のアイデアを述べるのに留めさせて貰いますが、どなたでも一緒に物語を紡いでほしいと希望しており、コメントに書き込んで頂けると幸いです。


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