しかし秀祥もかつてはか弱い唯の女の子で、その頃に経験した特別な事柄から、彼女は「歌わずには居られない」境涯となります。
これについては「Shu-Shan」の物語の「秀」章で詳しく描きましたが(21年7月)、ここでは特に象徴的な、彼女が生涯ずっと愛用するコトとなる靴について振り返ります。
それは父である孫文徳の靴で、ヒマラヤを越えて亡命する時、足が凍傷に罹ってしまった秀祥に履かせられたモノです。
当時14歳だった秀祥は、自分の足のタメに最愛の父が命を捨てるコトなど容認できませんでしたが、文徳は自分が党から刺客を向けられているコトを知り、妻と娘を巻き添えにしないタメにヒマラヤの峠で靴を脱いでしまいます。
サラは文徳の決心が揺るがないコトを察し、秀祥に無理やりその靴を履かせて、追っ手が迫るなかで秀祥を引っ張って峠から下ろしました。
この父との別れのシーンは秀祥の記憶に生涯残り、それは夢の中に何度も現れて、そのつど文徳は彼女に特別な助言を与えました。
チベット人のタメに生涯を捧げた医聖である父は、娘に対して最期まで微笑みを絶やさず、彼の愛は秀祥の心に真っ直ぐに届きました。
秀祥はその愛をずっと足からも感じ続け、文徳の革靴は何度も修繕されていつしか特別な芸術作品となります。
ここで「秀祥の歌」に話を移しますと、ピーター-ポール&マリーが「Song is Love」で謳っている様に、歌とはつまり愛だと言えます。
その愛を多くの人に伝えるタメに秀祥は歌い続け、それはいつしか彼女に「Love Light」を与えるまでになります。
この「愛の光」については次回に、光復党(Light Revival Party)の4thアルバムとして、モデルとする歌を挙げて行きます。
今回は最後に、「秀祥の歌」のタイトルを1つ考えますと、父の靴についての歌では「In Your Shoes」が良いかと思います。
この「あなたの靴を履く」という言い回しは英語では「同じ境涯に立つ」と云った意味を持ち、秀祥は父の跡を継いで医聖としての道を歩みます。
その第一歩は、ヒマラヤ越えで凍傷に罹って足を失った子供たちのケアとし、彼等に合った義足を作って歩行のリハビリを支援します。
チベット人難民の学校にはそうした子供たちが多く居り、彼等を励ますタメにも秀祥は笑顔で明るい歌を唄います。