粉雪雑記

日々つれづれ思う、くだらないことごと。

やっぱり

2005年03月26日 | Weblog
なんだか一年間の自分の頑張りに対して納得が出来ないので浪人することになりました。
皆様にはご迷惑をおかけします。



で、実はもうすでに ろ う に ん せ い だったりします(手続き締め切りが昨日だったので)
でも明後日に国立の繰上げ合格連絡が(あれば)くるそうなのでまだ分かりませんよね!
とりあえず明後日は電話にかじりついて一日を過ごします。
C大の事務の人以外粉雪さんちに電話しないでください。頼むから。
特に宗教団体霊●之光の人とセールス全般の人。
オレオレ詐欺も勘弁しといてやってください。マジでマジで。



…まあ来ないと思うけどさ_| ̄|○

国立後期

2005年03月23日 | Weblog
ダメでした。
(大方の予想通り)落ちてました。(やはりCH3などという化合物を創造してしまったのが痛かったです)(ちなみに後ろの人もやはり勇者すぎて落ちてました)

……

すいませんごめんなさい
あれだけ色々な所で受験終わったとか言っといてあれなんですけど
更新予定だけ立てておいてまだ何もしていない今現在の状況であれなんですけど
下手な鉄砲数撃ちゃ当たる理論で出願して当たりすぎたのにあれなんですけど
センリさんに八分の一の確率で同じ学校かもね!とか言っといてあれなんですけど
月影さんに合格体験記も書くからそちらも参考にとか言っといてあれなんですけど



浪人するかもしれません…


ねずみの国

2005年03月16日 | Weblog
に行ってきました(※昨日)
いやもう面白かったです。はい。
とりあえず一番最初に面白かったのは前日友人Tの家の夕飯の席で繰り広げられた会話。(違くないか)
なんかTを除く家族全員で「Tは明日誰とディズニーランドに行くでしょうクイズ」とかやってたそうで。(この時点で既に可笑しい)
ちなみに一緒に行ったのはIさん、うっちゃん(あだ名)、私です。
で私って普段Tから「ナベ」って呼ばれてまして(本名まるわかりだね!)家族に学校の話をするときもナベって言ってるみたいなんです。Tの親御さんに会うとナベさんって呼ばれます。
そのクイズでとりあえず一番にIさんの名前はすんなり出てきたそうで、その次
Tの父「あーあれだ、ほら、食器みたいな名前の子だろ」
T「??」
Tの父「ほら、ポットじゃなくて…

鍋は食器じゃありません。(←突っ込み所違います)

その後
Tの母「あ、あの子でしょ!うっちゃんって言う子さとこって言う子!」

ちなみに、うっちゃんの本名はさとこと言います。


とまあそういう訳で行きの電車の中で既に爆笑です。
そして着いたよ舞浜!
八 年 ぶ り の ディズニーランド!
…千葉県民としてこれはどうかと思います自分でも。わかってます。だから石投げないでください。
まあ八年ぶりですからいろいろ見たことないものも増えてました。
ファストパスとか便利だねあれ!ファストパスのおかげでビッグサンダーマウンテンに二回も乗れた!
実は私小学四年生のとき標準より大分チビだったんで絶叫系は軒並み乗れなかったんです。
だから全部初体験ですよ。
ビッグサンダーマウンテンって面白いね!
スペースマウンテン怖いね!
でも二度と乗りたくないような怖さではないですね。そういう意味でスプラッシュマウンテンには死んでも乗りたくありません。
であとプーさんのハニーハントにも初めて乗りました!

想 像 と 違 う 。

まず乗り物の形からして違ってました(え)
そしてさらに違ってた、というか予想外だったのがアトラクションの内容。
私が感じたことを一行で表現すると

プーさん達見ながらぎゅるぎゅる回るだけかよ!!

です。
くるくるとかじゃなくてぎゅるぎゅるです。

じゃあどんなの想像してたって聞かれると困るんですがね。


それからジャングルクルーズのガイドの人がものすごくノリが激しい人で
「えー、ではこれからジャンゴーへと向かいますが」

ジャンゴー!?

発音いいなとか思ってたんですが(全部ジャンゴーだったから)
あるとき
「このジャングル、じゃないジャンゴーでは」

わざとやってたの!?

サイが出てくるとセリフの中に三十回はサイという単語を無理やり組み込んだり
ゴリラに育てられたとか言ってみたり
子供を船に忘れるなとか忘れたら三日以内に取りにこないともう立派な船長です…そうまるで僕のようにねとか言ってみたりとか
素敵な人でした。素敵すぎました。
とりあえずゴリラに育てられたのか船の忘れ物なのかはっきりしてください。


後はアトラクション「白雪姫と七人の小人」がどう考えても「魔女と仲間たち」だろとか
入り口に「怖い魔女が登場しますので小さいお子様は十分注意してください」って書いてあったりとか
ある意味ホーンテッドマンションより怖かったりとか
何故かカリブの海賊に二回も乗ったり
女子高生四人組が「基本だよね!」とか言いながらイッツ・ア・スモールワールド乗ったりとか。
うっちゃんが私以上に絶叫系ダメーで(でも全部一緒に乗った)
レバーが降りるたびに「あー降ろしてー」とか言ったりカリブの海賊もダメだったり
一回目のビッグサンダーマウンテンのときに私とうっちゃんと並んで乗ったら
激しく聞こえてくる悲鳴がIさんとTにはとっても面白かったらしかったり、
楽しかったです。はい。いやマジで。


あ、最近日記長くてすいません…


そして予想通り

2005年03月12日 | Weblog
後期試験受けてきました。
出来は微妙です。CH3などという新しい化合物創っちゃったりしたからネ☆
でもまあ後ろの人の勇者っぷりに比べればまだましな気がするので
(彼は解答用紙六枚中化学系問題に使う二枚が真っ白でした)
どうでしょうね。五割六分取れれば可能性はあるんですが。
なにしろ採点基準も配点も当然答えもわからない…


なので22日まではもんもんとして過ごします、
と言いつつ15日は友人三人とネズミーリゾート行って来ます!(うわ)



あおーげーばーとうーとーしー

2005年03月09日 | Weblog
卒業式でした。
ぶっちゃけ進路まだ決まってないのでニート予備軍になる儀式でもあ(略

前日の学年集会で学年主任でもあるトミー(仮名)が言っていました。
「オレたぶん明日泣くかも」みたいなことを。
そして卒業式当日、私の席からは(学年主任なので校長とかと壇上にいる)トミーがよく見えました。
式は滞りなく進み、卒業証書授与へ。
返事をして立って(一番最後なので)立ってすぐ着席の合図があり(あんまりひどいんじゃないかと小一時間略)、座ってからふと壇上のトミーの方を見ましたら

マジで泣いてるゼ!!Σ(゜Д ゜ )(←もしもし)

しかも半端でない泣き方、もうボロ泣きとでも言いましょうか。
彼は眼鏡をかけているのですがしきりにそれを外しちゃあハンカチが目元に行くんですわ。
まぁ理系クラスってトミーが一番関わりあるクラスだもんね、そりゃあくるものがあるわな、と思ってました。正直視界の端っこにうつるO笠原先生が気になってしかたなかったんですその時。(←しかしそれはO笠原先生ではなかったという)(あほ)

でその後三ヵ年皆勤賞授与(無事頂きました!)、校長やら来賓やらの祝辞と続き、卒業生総代答辞。
これ毎年感動の名作だらけなんですが今年はもう本当にすごくてもうなんていうか全米が泣いた!みたいな(スケール大きすぎです)途中で総代の方もつまって読めなくなってしまったり来賓のPTA関係全員ボロボロええいああ総代からもらい泣いてたり(※PTA関係の人というのは在校生と関係があってもほとんど卒業生とは関係ない人たちです)
周りからもすすり上げる声があがり始めました。
私?ええそりゃあもう、そのときはまだ目がうるうるになる程度だったんですが、生まれて初めて卒業式で泣きましたとですたい。この後書きますがトミーのせいで。ぼろぼろとまではいかないけれど。
ともかくまあそのような感動の名作でありますのでトミーが泣かないはずもなく、ハンカチペースアップ。
そして「仰げば尊し」、「蛍の光」、校歌と続きました。
卒業生が仰げば尊し歌ってる間にトミーはなんかもうたまらなくなってきたらしくハンカチさらにペースアップ。
それから在校生と先生方が蛍の光を歌ったのですが、もちろんトミーも歌ってた(と思う)のですが、一番の終わりあたりでとうとう詰まってしまったようでした。

いつもなら私は大変にシラけた女子高生でありますので別に何とも思わないのですがそこは卒業式ですよ。そして全米が泣いた感動の答辞でうるうるになっていたせいもあり泣いてしまいました。ぼろぼろとかそういう激しい効果音はつきそうにありませんでしたが。
だってトミーですよ、一年生の時の週五時間と三年生の時の週七時間もの長きに渡り数学を見てもらったんですよ。
結局情報工学系に落ち着きましたがそもそもの最初は数学を志していた私、それほどまでに数学が好きになったのはまあ主として二年生のときのU野先生の影響が大きい気もしますが、中学までダントツに嫌いな科目だった数学が高校でいきなりダントツに好きな科目になったのは他でもないトミーのおかげなんです。多分。
そんなことを前日にぼやーと考えていたためになんかもうダメでした。

史上最低の学年主任なんかじゃないよ。史上最高の学年主任だったよトミーは。

と伝えたかった、訳ではないのですが(をい)放課後友人たちとトミーにお礼を言うべく探し回りました。
その過程でO笠原先生に遭遇したので物理Ⅱ選択者仲間で写真を撮りました。
もし物理の先生がO笠原先生じゃなかったら情報「工学」系にしようなんて全く思わなかったに違いありません!二年間ありがとうございました!愛してますO笠原先生!!(衝撃の告白)(大袈裟)そして心優しい誰か、カメラを持ってなかった私のために焼き増しさせてください(おい)
その後さらに捜索を続けますがトミーは一向に見つからず、とうとう校舎を一周してスタート位置に戻ってきてしまい『どこかに隠れておいおい泣いている』説がいよいよ信憑性を帯びてきたころ皆で「意外と前から歩いてきたりしてねー」とかって言ってたら本当に前から来たぜ。

そして少し話して、お礼も言って、最後に一人一人握手してその場を離れました。
意外と手がごつくて驚きました。そういえばトミーは剣道部だった。
三年間本当にありがとうございました。そして三年一学期の期末テスト数学Bで0点取ってごめんなさい


あとは夏に留学した子からおめでとうメールが写真つきで皆宛てに届いたり(別人のように様変わりしていました)(さすがメリケン)(←何時代の人間だ)
皆で書いたメッセージとプレゼントを担任の先生に贈ったり、
その少し前黒板に「イトウ先生ありがとうv」と書いて先生が来るのを待ち構えていたら先に副担任の伊藤先生(担当:化学)が来たりとか(ちなみに担任の先生は伊東です)
最後まで伊藤先生はステキな言をくださったり(入ってきて黒板を見て一言「あ、僕もイトウですからちょうどいいですね」)(ステキすぎる)


それから文学部の後輩たちからステキなプレゼント(ミニノートとこれ)を頂いたり(月影さんありがとう!)(大事に元気に育てます!)(←って皆にも伝えといてください!)(←待てや)
茶華道部の後輩たちから花束とハンカチ頂いたりしました。
そしてその後茶華道部の皆(6人だけだけどね☆)とご飯を食べに駅前のサティへ。
その6人中G組が4人いまして「G組率高ッ!」と笑っておりましたらオケ部のコントラバスのG組3人組がやってきましてさらに店内のG組率高くなったりもしました。



うん、まあ、三年間ありえないくらい楽しかったんだと思います。
中学の卒業式はむしろオサラバできる喜びがありましたから。
もう制服を着ることも、あの道を歩くことも、教室でアホみたいな事で大笑いすることもあの桜を見ることも物理室やら化学室やらで授業を受けることもいっちゃんに会うことも(猫)もちろんトミーやO笠原先生やダブルイトウ先生に会うこともほとんど無いのだろうな、と思うと切なくなります。
あと最後に文学部の部室に入ることが出来なかったのはちょっと悔しいです。学校遊びに行ったとしても、あんな所行かないというか行けないもんなあ。
でもやっぱり最大の悔いはS子さんのことです…一緒に卒業したかった。卒業アルバムのクラスのページにS子さんを発見したときに実は一番泣きました。彼女のこれからの事はまだ知りませんが、輝かしい未来がS子さんを待ち構えていると信じてこそこそと応援していようと思います。

というわけで卒業しました。
色々なすべての物・事・そして人に、ありがとう!