愉快な認知症🇯🇵

我が家流/父から学ぶ「これでいいのだ!」人間本来の姿

父との楽しいおもひで①/突然のマジック

2016年12月24日 | 出来事日記
ちょっと昔の文章を読み返してみた。
こっちに転載してなかったので、そのまま載せておこう。
在りし日の父との楽しいおもひで。

(ブログ【神子屋教育】 2007.06.21掲載文から)
地域にあるスポーツサークルをみみかが見学したいと言うので、父と3人で行った時の出来事。
体育館の片隅で、子供たちのスポーツする姿を3人座って見学していました。
ほんの短時間でも興味がないとソワソワする父でしたが、子供たちのサークルだということもあり(父は子供が好き・仲間だと思っているようなところがあるので)、球技スポーツのやり取りにしばし大人しく見入っていました。
どれだけの時間が経ったのか、想像以上に父は大人しく静かに見学していました。
しかし、さすがにそろそろ飽き始めたのか、自分のショルダーバックのジッパーを開けたり閉めたりゴソゴソし始めました。(何もすることがなくなると、家の中でもかばんを開けたり閉じたり繰り返します)

そのうちに、突然『ボリッボリッ!』と何かこもったような音が、父の方向から響いてきました。
『ヘッ?』と思っていると、横にいたみみかが「ジジ、何か食べてる!」と私に言います。
慌てて父を見ると、確かにもぐもぐと口元が動いています。
基本的に父に食べ物は持たせていませんので、何を食べているのはさっぱり見当がつきません。
どうやら、音の正体はショルダーバックのポケットの中から取り出され、口の中に運ばれているようでした。

「ちょっと見せてえ」と上手にお願いして調べてみると、それは『うすピー』という豆菓子でした。
そう言えば、母が前日の夜に父と一緒に食べていて、そのまま父の目に付くところに置きっ放しにされていました。
誰も気付かぬうちに、それらの粒たちは父の手によって裸のまま、バックの中に放り込まれていたのでした。
今までも、父の持っていたかばんや着ていた服のポケットから、飴やらチョコレートやらが突如として出てくることがあり、父が見せる突然のマジックに私たちは驚かされていました。

そんなこんなで最近は、父の目に付くところに食べ物を置かないようにはしていたのですが・・・ひやぁ~!びっくりしました!!
しかも、休憩時間以外は水分も取れない子供たちを尻目に、堂々と『ボリッボリッ!』と音を立てもぐもぐと食べている父。
私もみみかも慌てて口の中のものを飲み込ませようとしますが、ここで父の反感を買って怒らせてはもっと大変です。
私もみみかも優しくなだめるようになるべく急いで飲み込ませたのですが、その努力も空しく父のマジックは続けられ、次から次に『うすピー』たちがバッグのポケットから現れては父の口に運ばれて行きました。

真剣なサークル活動を前にあまりに大袈裟な動きも出来ず、至って冷静を装って私とみみかは父のマジックをなんとか阻止しました。(・・というより、全て食べ尽くしたので終わったのですが。)
その上、お腹が満たされてご機嫌な父は、球技で失敗する子供たちを見て「ワッハッハ!」と楽しそうに大笑いする始末。
そんな父の態度に私とみみかは更にひやぁ~!となり、内心穏やかではいられませんでした。
子供たちの失敗を決してバカにして笑っているのではないと、私たち家族には理解できますが、一所懸命ボールを追って頑張る子供たちにそれが通用するはずも無く、本当に非常にハラハラものでした。
しかし幸いなことに、広い体育館の片隅での『ボリッボリッ!』音や大笑いの声は、当の子供たちには届いていなかったようで、ホッ!と安心胸を撫で下ろしました。

「父の目に付くようなところに食べ物は置かないよう注意!」そう思った一件でした。
おやつの時間なども一緒に食べ始め食べ終わることをしないと、出しっ放しの『かりんと』や『うすピー』やらを知らぬまに、そのままダイレクトに胸ポケットやズボンのポケットなどにしまい込んで、父の突然のマジックで私たちを驚かせるのです。
ワッ!ビックリ!!の素晴らしいマジックなのですが、ポケットの底などはしっかり染みだらけでお洗濯が大変だったりもするのです。


父、亡くなって四年

2016年05月08日 | その他
またもや、1年ぶりの更新。

昨日の5月7日は父の命日。

あれから四年が経った。

早いようなそうでもないような・・・。


父の肉体的存在はもうこの世にはない。

だけど、父は生きている。

あちらの世界でちゃんと生きている。


父のことを書いた「愉快な認知症」。

父のことを書いたあの本が今動き出した。


熊本出身の父。

今回の熊本地震の支援に、本の収益を全額使って頂けることになった。

「無償の愛」を生きる父。

父の故郷、熊本のために生かされる父の本。

やっと巡り会えた、父に相応しい形。


良かった。

有り難い。

本当に有り難い。


きっと父が動いている。

相変わらず私たちを導いてくれている。

そう思わずにはいられない不思議な巡り合わせ。


これからもいろんな人や物や事を巻き込んで、父はきっと導いてくれる。

間違いなく「愛」の世界へと。

ありがとう、お父さん。

相変わらずスゴいね、超人だね!


父、亡くなって三年

2015年05月08日 | その他
昨日5月7日は父の命日。
このブログに記事を書くのも、またもや一年ぶり。

父が亡くなってから三年が経った。
もう三年?、まだ三年?とも思う。

家族みんな、自分たちに出来る事を精一杯やって来た。
そんなやりきった感で終えた父の介護。
でも、思い返すと「あのときああしておけば良かったなあ」と思う事も正直ある。

だけど、ああしておけば、じゃあどうなったのだろう?

私たちが後悔や自分を責めてばかりしていたら、介護された父も寂しい気持ちになるのかも。
もし、私がみみかに介護されて、それがどんな介護であっても、感謝こそすれ親不孝だとは思わない。
(そりゃ、ちょっと文句の小言は言ったりするかも知れないけどさっ)

もしも、みみかが私の介護を終えたあと、後悔や自分を責めてばかりいたなら、私は私を責めるかも知れない。
こんな私のせいで・・・。
こんな私のせいでみみかが苦しんでる・・・。
愛する子供を私は不幸にしている・・・と。

「子供が幸せでありますように」
それが親の願いだから。

私は、父にいっぱい感謝している。
他人から見れば完璧な介護ではなかったかも知れないが、精一杯の介護を受け入れてくれたこと。
精一杯の愛を受け入れてくれたこと。
そして、自分が父に愛されていたことを教えてくれたこと。

私は幸せだよ。
認知症の、それも愉快な認知症のお父さんの介護をさせてもらえたこと。
こんなに素晴らしい体験はなかなか出来ないね。

父は幸せだった、そう思う。
父の人生を私は心から祝福できる。
有り難いことだね。


いずれにしても、父は霊界で大いに活躍していることでしょう。
そのことを感じさせてくれる証がちゃーんとありました。
また、書く機会があればいいなあ。

ちなみに、みみかのブログに父の命日のこと掲載中
みみかのいろいろ研究♪


父の三周忌

2014年05月07日 | その他
たしか・・・

「早いもので、今日は父の一周忌だ。
(まだ、父の葬儀の様子を最後まで掲載していないのに・・・・・苦笑)
昨年5月のこの日、愉快な認知症に扮した最愛の父は逝ってしまった。」

・・・なんて記事を書いたっきり、また1年が経ってしまってる。


早いもので、父が亡くなってから2年、今日は父の三周忌。
(来年の命日までには、父の葬儀の様子を最後まで掲載するぞ~・・・苦笑)

それに、今日は霊界にいる父の導きによって始まる新たな展開の出発日。

父がかつて営んでいた縫製業。
熊本県水俣地方出身であった父、そのときの屋号を「水俣縫工所」としていた。
幻となった2代目をぶっ飛ばし、不登校児で今年春に中学校を卒業した孫のみみかが「3代目」として継承。
その名も「3代目 みなまた縫工所」として復活。

手づくり作品ネットショップ「3代目 みなまた縫工所」の始動です!(現在は稼働しておりません)
相変わらずのマイペースぶりで本日、出発進行!



昨年の父の一周忌の記事にも書いたけれど・・・
生命は生き通しであること。
死後も父は霊界で生きていること。
しかも、イキイキとエネルギッシュに明るく楽しく!

・・・やっぱり、今も今日もこの瞬間も、私にはそう感じられる。
そう、あの世とこの世の間の扉が開いていることも。

求めよ!さらば与えられん
尋ねよ!さらば見出さん
叩けよ!さらば開かれん

それにそれに、
やっぱり「無償の愛」なんだよね、「愛」しかないんだよねえ~。
(そうだね!お父さん!)
(霊界からの導き、ありがとうございます!)

父の一周忌

2013年05月07日 | その他
早いもので、今日は父の一周忌だ。
(まだ、父の葬儀の様子を最後まで掲載していないのに・・・・・苦笑)
昨年5月のこの日、愉快な認知症に扮した最愛の父は逝ってしまった。

愉快な認知症の父、死す。/父は死んじまっただあ~!②
「父の最期の日を迎える、それぞれ」

にあるように、私は「父の死」を受け入れることが出来たはずだった。

それに、もともと「神の御心のまま(大いなる自然の力・愛に全託)」を実践し、
『神性の自覚』と『霊性の復活』をテーマに、
あの世とこの世の間の扉が開くことを予感していた私。

しかし、そんな予感とは裏腹に、私は「金が土台」の現実世界に囚われ、
深い眠りに入ってしまった。

だけど、私は「シルバーバーチ」に出会った。
それは私の眠りを覚まさせてくれた。

生命は生き通しであること。
死後も父は霊界で生きていること。
しかも、イキイキとエネルギッシュに明るく楽しく!

根強くあった「死」に対する恐怖や悲しみや悪いものという先入観が一新された。
(むしろ、霊界への憧れが強くなった!)

それにやっぱり、
「無償の愛」なんだよね、「愛」しかないんだよねえ。
と、再確認と再認識。
(だよね?お父さん!)

霊界誕生一周年、おめでとう!

◎当ブログで掲載した文章を、挿絵漫画入りで本にしました。
詳しくはこちら!
虹色アーチ/ウェブサイト版「愉快な認知症」