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病院に着いた父は、すぐさまMRIに載せられていた。
その横の部屋からは、医師たちが交わす会話の声が漏れ聞こえてきた。
「出血・・」とか「脳内・・」とか、そんな言葉が私の耳に入ってきた。
『これはヤバイ!?』そう直感的に感じて、私は一瞬にして頭の中がパニックになり不安でいっぱいになった。
そして、脳裏に浮かんだのは父の元気な姿だった。
走馬灯のように・・とよく言うが、まさに本当にそんな風にクルクルと、私の頭の中を様々な場面での父の表情と姿が廻り過ぎた。
走馬灯の中には、私に小言を言うために大きな声で私を呼ぶ父の表情と姿もあった。
しかし、そんな鬱陶しいと思える父の姿も、この時の私には父の大切な愛しい一部分に思えた。
医師たちの会話を聞いた私は、『もしかしたら、もう父の元気な姿を見ることが出来ないのかも知れない』そう思った。
そう思うと、その父の大切な愛しい一部分と思えた表情と姿が、やたらと私の頭に浮かんでは消えた。
≪どんな父でもいい!生きていて欲しい!!≫
そんな痛切な思いと悲しみが私の心をいっぱいにした。
溢れてくる涙を抑えられない私と家族のもとに、医師がやって来てこう言った。
「ご親戚など呼んでおかれた方がいいかも知れません・・」
「・・今夜一晩が大事です」
「覚悟はしておいて下さい」
初めての体験に医師の言うまま、真夜中にもかかわらず父の兄弟姉妹に電話をかけた。
懇意にしている母方の親戚にも連絡を取り足を運んでもらった。
(今思えば・・、はるばる遠方から親戚を呼ぶほどではなかったようだ。もっと冷静に考えて行動を取るべきだったと・・・体験した後には思えるんだなあ)
説明では、左脳脳内での出血のため右半身に麻痺が残るかも知れないし、言語の分野にもかかっているので、その辺りの障害があるかも知れないとのことだった。
確かに、当初は右手を動かして食事を取ることが上手く出来なかったし、みかんを豆腐と言ったり私を自分の妹の名で呼んだり、今自分がいる場所を故郷の住所で答えたりしていた。
実際、意識無いままICUにしばらく入り、医師が「親戚を・・」と思うほど、父の脳内出血はひどかったのかも知れない。
でも、結局のところ父は一命を取り留め、病院の人たちでさえも驚くようなスピードで回復し、身体の麻痺も言語機能の低下も目立っては残らなかった。
この時、父は一度死んだのだと思う。
今後の自分(父)を通して私たちを導くように・・・と、そんな使命を生きるため、父は神様に導かれ『超人』として生まれ変わったのだと、私には思える。
≪どんな父でもいい!生きていて欲しい!!≫
あの時に沸き起こったこの感情は、私の中の「鬱陶しいと思える父の姿」をも「大切な愛しい父の一部分」だという認識に変化させた。
そして、私の悲しみいっぱいの心の中をさらに満杯にしたものは、『もっと優しくしておけばよかった!!』という身を切られるような後悔だった。
それから10年ほど、父は目立って特に障害もなく元気に過ごしていてくれた。
それに、私もまだ若く自分のことで精一杯で、刻み込んだはずの思いや気持ちを父に実践するほどの心の余裕も無かった・・。
それでも、確かに、深く刻み込まれていたあの時の後悔は、父に対する私の基本姿勢の始まりの種となっていた。
認知症の症状が出始めた頃、『後悔したくない!』という強い思いが私の中で芽吹いた。
そして、父に対してのあらゆることに『愛』を『感謝』を持って接しよう!そう思わせてくれた。
『もっと優しくしておけばよかった!!』・・・それは、自分の内にある『愛』と『感謝』を相手に表現できていなかった後悔だから・・。