愉快な認知症🇯🇵

我が家流/父から学ぶ「これでいいのだ!」人間本来の姿

お尻プカプカ事件②

2009年02月27日 | 脳天気家族!
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さて、本題の「お尻プカプカ事件」、これもまたその頃のお話。
今となっては母と二人でないとお風呂には入れない父だが、まだかろうじて一人でお風呂に入れていた時期だった。
それでもやっぱり、お風呂上りに体を拭くことを忘れ、ビチャビチャのまま服を着てしまうなどというようなことが起こり始めていた。
実際、服を脱いでお風呂に入った父が、果たしてちゃんと石鹸を使い体を洗っているのか?シャンプーを使い髪を洗えているのか?はたまた、シャワーや水道をちゃんと使うことが出来ているのかなどが、家族の間で疑問に上るようになった。

確かめようにも、父の入浴中を勝手に覗くわけにもいかず、それまで一緒にお風呂に入っていなかった母が突然入るというのもなんだし、私はもちろん一緒に・・ってなわけにはいかなかった。
そこで、白羽の矢が立ったのがみみかである。
低学年みみかなら、祖父と一緒にお風呂に入るというのは自然なこと。
そこで【じいじと一緒にお風呂に入り、じいじが体や髪の毛をちゃんと洗えているかを確認】という任務がみみかに与えられた。

「じいじと二人だけでぇ~?」と、最初は渋っていたみみかだったが、『お気に入りのおもちゃと一緒に入っていいのなら』との条件で合意。
父のほうも、みみかと一緒のお風呂には全く抵抗なく了解。
服を脱ぎお風呂に入る直前のみみかに、任務遂行を再度確認した私。
万全の体制の中、いよいよ二人がお風呂に入り、お湯の流れる音や湯船に浸かる音などが聞こえてきた。

程なくして、お風呂場の扉が開いた。
予想より早く開けられたその扉の音に、慌てて駆けつけると、すでに父がお風呂から上がって下着を着けていた。
父の烏の行水のような速さに戸惑いながら、奥にある浴槽を覗くと、みみかが自分のお尻を湯船に浮かせ、プカプカ動かしては楽しそうに遊んでいる姿が見えた。
私がその姿を見入ってることに、全く気付く気配もなくお遊びに興じているみみか。

「みみかっ!じいじ髪の毛洗ったん!?」
私の強めの口調に、みみかは夢から醒めたようにハッとして、ビックリマナコで私を見つめこう言った。
「みみか、この子と遊んでて、じいじを見るのん忘れてしもた!!」

この子とは、その時お気に入りの『魚のおもちゃ』。
尾びれがフリフリ~と動いて水面を泳ぐのだ。

どうやら、お風呂に入った早々、みみかはそのおもちゃと遊び始め、魚のフリフリと自分のお尻のプカプカとのシンフォニーに夢中になり、重要な任務をすっかり忘れてしまったようだ。

楽しげにしかも黙々とお尻をプカプカさせるみみかが脳裏に焼き付いてしまった私。
怒るに怒り切れず、苦笑しながら溜息を付いた。
ハァ~、さすが低学年みみか、まだまだお子ちゃまですわぁ~。
それはそれで、子供らしく・・・しゃあないなぁ(仕方ないなぁ)。

あれから学年も上がり、成長したみみか。
夜中に起きてしまう父とのお付き合いで、『じいじのおかげで夜更かし(夜中の楽しいお笑い番組が見れること)が出来る』と言って、「ありがとうございます~!」と父を拝むみみかだった。
ものは考えようである。

とは言いつつも、先日のこと。
私に隠れておやつをこっそり食べたみみか。
私の無言の問い詰めに「みみか、な・なんにもつまみ食いなんかしてへんでぇ・・」と一言。
証拠隠滅したつもりのみみかの口の周りには、チョコレートがべったり一周しておりました。
ハァ~、やっぱりまだまだお子ちゃまですなぁ~。
(チャン・チャン!)


お尻プカプカ事件①

2009年02月26日 | 脳天気家族!
父の認知症の症状がポツポツ現れ出した頃、みみかは生まれた。
父にとっての初孫みみか。
すでに涙もろくなっていた父は、赤ん坊みみかとの初対面でグスグスと鼻を鳴らしながら、喜びに顔をほころばせていた。

それなりの判断力や認識力、それに行動力も持ち合わせていたその頃の父。
病院へ行くのに自分の保険証を続けて忘れたり、留守の間にかかってきた電話のことを、父からその本人に伝えられなかったりと、【今から比べれば】その当時の症状はたまに起きる出来事で、特に目立つこともなく、生活にひどく支障が出るほどでもなかった。
なので、オムツ換えや哺乳瓶での授乳、ヨチヨチ歩きの頃には一緒に散歩など、いろいろとみみかのお世話をしてくれた。

喋れるようになったみみかが「じいじぃ~!」と呼べば、待っていたかのように「ホォーイ!」と返事が遠くからでも返ってきた。
「じいじぃ~!」と「ホォーイ!」がこだまし合い、父のその声はやがて段々と大きくなり近づいてきて、みみかのいる部屋の前で止まる。
まだ小さくて重い引き戸を開けられないみみかの代わりに、父がそーっと戸を開けみみかを抱き上げ外に出してやる。
「じいじぃ~」と呼べば、カワイイ孫のため一肌も二肌も脱いでくれること知っているみみかであった。

なんだかまるで、マンガちびまる子ちゃんの「まる子」と「友蔵」のようである。
「じいじぃ~」と呼ぶみみかと「ホォーイ!」答える父、確かに干支も同じ血液型も同じ、ある占いでは仲良しのこよしの間柄。
この二人の間には何とも言えない絆がある。

みみかの物心がつき始めるのと比例するように、父の認知症の症状は変化して行った。
そして、父の言葉にならない気持ちを読み取るかのように、成長したみみかがそれに反応し連動するという出来事が多々あった。
クリアでピュアなみみかが、ピュアでクリアな父の気持ちや心に反応する、そういった目には見えない繋がりが二人にはある。

それは、まだ母が働いていて、実家から父が一人で電車を使い、我が家にやって来れた時期のこと。
我が家での時間を過ごした父が帰宅する夕方、最寄の駅へとみみかと一緒に父を送りに行くのが常だった。
父が電車に乗り込むのを確認するまで、私とみみかは絶対に帰らなかった。
切符を買うことやその運賃がいくらかなど、父がちゃんと出来るのか理解しているのか、ずいぶん怪しくなってきていたからだ。
それに、切符を気にしては座席から立ち上がりポケットのあちらこちらを探る父、そんな行動も出始めていた時期だった。

私たちに向かって軽く手を振り電車に乗り込む父。
発車の合図とともに扉が閉まり動き出す・・・と、決まってみみかがシクシク泣き始める。
父を乗せた電車がやがて遠く小さくなると、私にしがみついて号泣することもあった。
今まで一緒に遊んでいた相手が帰るときの、さびしくて泣く子供のような反応かとも最初は思ったが、みみかは毎回同じ反応を見せた。

小さい時から、訳もなく必要以上に大げさには泣かないみみか。
理由を聞いてもいっこうに分からなかった。
みみか自身がどうしてそうなるのか分からないようだったし、もちろん説明も出来なかった。
ただ漠然と『父の不安を感じるのかな?』そんな風に私は思っていた。
おそらく、きっと、そうだったんだと思う。

実際、私自身にも不安げな父の気持ちが感じられるような気はしていた。
電車に乗り込む父の姿からは、何とも心細げな雰囲気が漂っていた。
今思うと、この頃の父は(電車を使うということに)かなりのストレスとプレッシャーを抱えていたのだろう。
(それでも・・来たかったんだろうな・・・。)

ちゃんと切符を持っているかなど・・・今まで当たり前に出来ていたことが、出来なくなり始めた時期の父だった。
そんな父の表面にはまだ顕著には現れていない、そして言葉にはならない心の不安や気持ちを、みみかは感じて泣いていたのだろう。
さらには、私たちに対して(父の)変わり行く現状を、みみかが父の代わりに訴えて/伝えてくれていたのかも知れなかった。
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台所=冷蔵庫

2009年02月03日 | 脳天気家族!

父はいろんなものを隠すし探し出す。
そして、隠しては忘れ、探し出しては移動させる。
今ここにあったはずの『物』が一瞬にして消えてなくなっている、なんてことは日常茶飯事である。

小さい子供が相手なら、背丈に合わせてその目や手の届かないところに『物』を置けるし隠せるが、大人の父が相手ではそうもいかない。
私たちが苦労して父の目に触れないように(隠した)した『物』を、父それなりの知恵を絞って(動物的嗅覚を使って?)、まるでゲームを楽しむかのように『宝探し』をする。
それがまた、しっかり掘り当てられてしまう。
(特に、母の隠し方は「抜かり」ばかりで詰めが甘ーい!)

夜に外して置いていた父と母のメガネ。
次の日の朝には無くなっている。
私たちの知らぬ間に、ほんの一瞬の間に、父はそれらを移動させるスゴ技を持つ。

探し回る私たち→見つからない。そのうち躍起になる→そして疲れる。
何度そんなことがあっただろう。

だから私は、父が滅多に立ち入らない場所、台所にメガネを置く(隠す)ことにした。
「お母さん、メガネ台所に置いてるから。」
すると母は、「え!冷蔵庫!?」
『メガネ並べて冷やしてどうする気やのん!』とツッコム私。

ある日、散歩から帰宅後、母の黒のマフラーが玄関に放り出されたまま、ちゃんと仕舞われていなかった。
『黒』にご執心の父、黒いものは全部自分のものだと思ってしまい、異次元空間の自分の引き出しに仕舞い込んでしまう。

なので私は、父に気付かれる前にマフラーを台所に置いた(隠した)。
「お母さん、マフラー台所に置いてるから。」
すると母は、「え!冷蔵庫!?」
『マフラー冷やしたらこの時期さっぶいやろなー!』とツッコム私。

どうも母の頭の中には【台所=冷蔵庫】という方程式があるようだ。


脳天気家族

2009年01月28日 | 脳天気家族!
ある日のこと。
買物から帰った私、玄関を開けるなり目の前で「べえー!」と大声で言いながら、私に向かってベロンと舌を出す母に唖然。
「ギャーハハハ!なんやアンタか、みみかと思ってたぁ~!」


ある日のこと。
アッハッハッハ!やら、ワッホッホッホ!やら、ギャ~ッハハハ!やら、隣りの部屋から何やら賑やかな騒ぎ声。
そっと扉を開けみると、母がみみかに向かって何かを投げていた。
それは、ティッシュペーパーで作ったボールで、机を挟んでこちら側にいるみみかに向かって投げられていた。

「何してるん?」と冷ややかな私に、『え゛!?』とおかしな口調で振り向いたみみかの口の中には、ティッシュペーパーのボールが数個入っていた。
開けられた大口に向かって、ティッシュペーパーのボールを投げる『ストライク合戦』をしていたのだった。

『え゛!?』の間抜け顔でアホ顔のみみかに、私も思わず吹き出した。
ソフトボールでピッチャーをしていた母、孫に向かってその腕前を披露していたのだとか。
父もそれを見ながら一緒になって笑っている。

『わっほっほ、きゃっはっは、ギャーア~。』
その後も賑やかな笑い声は絶えず続く、脳天気なアホ家族である。