きじゅからの幸せブログ

先輩から人生はこれからよ、と云われました
ブログと仲良くしながら、心豊かに歩んでまいります。

富士登山のTV映像から 

2024-07-22 10:13:08 | 日記

高校の体育の単元に、登山を入れてほしいと思います。

 

高校時代に生物クラブに加入し、

当時の指導教師の企画で植物採集の為に

3泊で尾瀬に登ぼり、初めて登山の醍醐味を体験しました。

登山靴やリック他、衣服類を含め、

物品を都心の専門店で買いましたし、

出かける場所の地理・気候・宿泊場所や、食料・衣服類、

荷物の纏め方とリックへの詰め方から、

体調が悪化した時の対策、怪我の処置も学びました。

食事の為の準備品は、献立中心に食品の全てを列挙し、

気温の変化も予測、衣服の用意は慎重にしました。

当時は油紙で包み、飯盒炊爨の練習も行い、

出来上がったリックは、担いで学校へ予行演習しました。

練習は登山靴ではなく運動靴でしたが、

思い出すと本当に良く準備をしました。

長じて職場の同僚達とも、

長期休暇が取れる度に山へ行きました。

コーデュロイでポッケが沢山付いた上着の下に着たチョキは、

冬の電車通勤の防寒用にコートの下に着ていました。

重宝したのは、定期券・社員証・自宅と必要の電話番号から、

緊急時の雨天には、リック共に身体を包むのは油紙でした。

現在の様に、雨対策用のポリエチレン系の製品は無く、

後年外国の登山にも大活用で、添乗員に褒められました。

登山される方は事故遭わずに帰宅できますように、

充分に準備をして頂きたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤トンボさんこんにちは

2024-07-18 17:53:40 | 日記

うっとうしい梅雨のお昼頃、近くの田圃で、

赤トンボが何匹も舞っていました。

早いお出ましに、車を止めて眺めていましたら、

湖の水面が異常にピクピクと動き、

お魚が口をパクパクさせていました。

眼を疑う景色で?どんよりとした曇り空に、

眼下の田圃は緑一色ですし、休憩には十二分の景色でした。

稲はシュンと空に向かって伸び、

赤トンボは青い空に舞ってこそ秋ですね、

猛暑の夏を忘れさせるものでしたが、ちょっと早いですよ。

地球自体が暑くなったのでしょうとTV報道を聴きながら、

赤トンボさんは、早く飛んで来てしまい、

「早すぎたかな?」と思っているのではないでしょうか。

猛暑はこれからですし、秋はまだすよ、と

赤トンボに知らせたいと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終・敗戦後の人々は賢明に命を繋ぎました

2024-07-15 17:02:08 | 日記

テーマの内容は、学校で学んではいません。

TVで高校講座の歴史を録画して観ていまが、

当方達の年令では、中学・高校で戦前・後の歴史は、

学んではいないと思いました。

TVの高校講座で終戦から戦後の状況が放映され、

再度拘っています。

この事は当時この単元の時期になると、学期末になり、

どの学校でも学んではいないようです。

TVを聴き観ていたら、当方が経験した事ですから、

今の若い方達には、ぜひ戦前・後の歴史・政治を教えてほしい、

 この様に思いました。

日々の食べ物の内容では、甘藷と玉蜀黍の粉が配給になり、

主婦たちは、先輩婦人等で調理方法を考えたようです。

以前この内容はブログに投稿しましたが、

現在も露西亜が、以色列に戦火が興っています、

TV報道は、他にも多くの國や地域で戦いが行われています。

当方は、傘寿から間もなく卒寿を迎えますが、

この年齢の方々がブログにも当時の経験を投稿し始め

子共や後輩に当時の生活を伝えて来なかったのです。

 

大先輩達は“負の遺産”は隠しましたし、

自分に取って悲しい記憶・記録ですから、

思い出したく有りません。

勇気をもって負は伝えないと、同じ過ちを犯します。

今日のTVの高校講座の歴史の単元は、

当方達に大反省を期待していたのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある夜の“ラジオの深夜便”も戦争がテーマでした

2024-07-04 16:41:01 | 日記

  今日の投稿は、当方の経験も加味し、

  涙でPC画面が良く観えません。

夏に向かって今年も、かの大戦の経験が放送され、

ラジオの深夜便の流れる時間には、既に寝ていますので、

相当以前から、聞き逃しチャンネルで聴いています。

先日は、戦争当時カラフトに生まれ、

戦火が激しくなって本土へ疎開する予定で、

母親と兄弟とで港に付きました。ところが、

母は、何を思ったか船に乗らずに家に戻ったのです。

まだ幼児の年令のご本人は、船に乗る嬉しさが無くなり、

兄弟達も母の行動が理解できず、反論しながら家に戻りました。

この方は後年、両親が手書きで造った地図を持ち、

生まれ育った今はサファリンと言う地域を訪ねました。

目的地当たりはロシア建築の多い所ですから、

当時の建物が無く、此処だろうと思う所にしゃがみこんで、

持って来たポリ袋に、両手で土を掬い袋に入れていたのです。

その行動を観ていた現地の人が、

怪訝そうに観ているので、通訳が説明しました。

現地の人々は“沢山持って行きなさい”と応援してくれて、

國同志の感情と、個人との違いを心から有難く思ったそうです。

本土へ疎開する際に乗る予定の船は、小笠原丸で、

後日ラジオや新聞が報じ、本土に付く前に沈没しています。

この家族は、次の船で本土に帰り今日に至っているのです。

“戦争の悲劇”何度聞いた事でしょう、

私達が住んでいる地球では、今も多くの國同志が、

今日も戦火を交えているのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする