きじゅからの幸せブログ

先輩から人生はこれからよ、と云われました
ブログと仲良くしながら、心豊かに歩んでまいります。

待つことは忍耐ですね

2014-07-31 14:40:50 | 日記

病院受診は、ほぼ毎回、「待つ」ことが第一の用事です。

此の日を一日間の計画で出かけます。

月に1回程の間隔で診察を受けに行きますが、昨日の状況は、

   ちなみに、病院の開門はAM7時です。

朝9時20分に病院に着き、受付に診察券を出して、

3時間後の12時20分頃から、問診と2種類の検査と、

診察に処置が終了し、会計後お薬を頂いて玄関を出ましたら、

午後1時30分、合計4時間10分病院におりました。

大きな検査の場合は予約しますので、2時間ほどで終了しますが、

普段は毎月病院の待会室で過ごす時間はこのようです

    <最近は驚きません>

長年お世話になっていますから、心穏やかに「待つ」ことにしています。

手持ちのバックの中に欠かせないのは、季節により冷と温の水分で、

各種のミネラルを加えた長年愛用している、

薬剤師の友人の勧めを受けた薬草茶と、

季節の果実とカロリー補給のミニの食品、さらに、薄手の本です。

担当医師が緊急の手術をする事になると、覚悟を決めて、

パクパク・むしゃむしゃに、ゴクゴクと口に入れ、

本を読み+居眠りしながら待ちます。

ありがたいのは、TVから00市は40℃で熱中症予防の報道も、

雪の状況が流れて、さんさんと降る大雪にも、

なんのその心地よく、お「待ち」できます。

 

「待つ」ことは、ストレスになり、体力のいる作業ですが、その代表は、

子育ての際の、トイレの習慣を獲得する事と、母乳離れの完成です。

転びながらも一人で歩けるまで、過剰な手助けをせず、

これら全てを「待ち」ながら、完成するまで成長を見守ります。

次に大きなストレスになる「待つ」事は、高齢者に関する事で、

やっと立てる場合、立てない方を手伝う場合、

一人での食事が遅い場合に手伝います。

そして、食事の後は、トイレです。

この世に生まれ先輩の様に動けるまでの手助けは母親が行い、

この世を去るまでのバックアップの代表も、ほぼ女性です。

女性は、ヒステリックになりやすいと云われますが、

そうではなく、とても辛抱強い「御仁」です。

女性は偉大ですね、出生の全てに携わり、

世を去るまで、懸命に力を尽くしています。

   万歳三唱しましょう。

最近は「男子厨房に入ろう」と、お店で男性が買い物をしています。

男性だけの生活の方のみならず、ご家族が有っても、

男性が家事を担当している場合もありましょう。

   こちらにも、万歳三唱します。

人生最後に「待つ」のは、お迎えを頂くまで、

焦らずゆったりと「お待ち」します。

何を準備しますか、「い」ってしまった方の助言はありませんね。   

   唱歌  待ちぼうけ

      待ちぼうけ   待ちぼうけ  

        しめた   これから寝て待とか

         待てば  獲ものは  駆けてくる

        兎ぶつかり  木のねっこ

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TVを観ていて、勿体ないはよ~

2014-07-23 22:28:40 | 日記

客布団3組を残して後は捨てる、

コーヒーカップ5客組のセット類の内、飾り用の1客を残して後は捨てる。

   我が家では、見習えないですよ、そうなのでしょうが、

      キッチンを見渡して、よそ様宅に有って我が家に無い物は、

      電気釜・電子レンジ・ミキサー・クッキングチョッパー系、

       しかし、倉庫には有りますから、場所が変わっただけでした。

   理由、電気類はあの震災の時から一時不在です。

一間の押し入れの上段全部4間分と、半間分1つ分を占拠しているもの、

それは布団類で、普段は使わないが水害に遭った経験から、何組有るやら。

ベッドは、=電動ギャッジ付・も畳んで、

普段用は起きたら、雨天も良しの、布団専用干し場に置くので、

毎日、風に当てていますから、押し入れは覗きませんね。

   TVでは、客布団は3客分を残して、後は捨てるとか、

   これも、見習えません。

大きい物では、昔の大きな炬燵布団ですが、若い頃には、

   冬季用に母は毎年、夏には布団の皮を洗い、

    打ち直してもらった綿を入れるのを、

    勤務から帰ると、綿入れを手伝わされました。

    布団のみならず、大人も子供も着られる、丹前や袢纏

    掻巻=かいまき、家族用は当然で、180cmの男の子?用も。

活字を打っていて、我が世代で、この技術を消してしまったんだは、と、

TVの事は、参考になったのでしょうか、

結局、邪魔をしているのは思い出ですね、

家の布団一枚づつに、母の心が籠っているのですもの。

独立する者には、必ず布団を造って持たせ、

小さい子供には、専用の布団を用意していました。

薄手と厚手の二種類の炬燵布団がありますが、

子供が育つ時代に、

   小さい子は、出来立ての布団に、ごろごろと転がりましたので、

   6人くらいは転がって寝ました。

   出来上がった晩に、電気を消し、窓を開け蚊取り線香を付けて、

   寝ましたね、40年も前のことですが、心豊かな時代でした。   

   塀を超えて入ってくるのは、泥棒さんではなく、蚊だけでしたから。

   どうしましょう~~~~~~~捨てられないは。

今はサッシ戸になり、夜間も冷房中では、蚊はどちらで寝るのでしょう、

この先、一体こんな大きな布団は何に使かうのかしら、

真冬でもいらないわよと、云われる代物に成り下がりました。

同級生曰く、木綿の布団は少しづつゴミセンターへ運んだわ。

あ~・・・・・そうなるのでしょうか、

早くしないと、こちらも、生命の期限切れがやってきます。

   唱歌  わかれ  2番

       (ドイツ民謡の「別れ」で、訳詩は沢山あり)

      さらば さらば わが友

      しばしの 別れぞ 今は

      声高く歌えや  別れの歌を

      いつの日にか  また 会い見ん

      さきくませ  わが友

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山には登らせて頂く精神で

2014-07-15 09:30:09 | 日記

登山の経験を投稿したのは、夏山の開山間近の6月7日でした。

その第2段、70歳の時に、お稽古場で誘われ、久しぶりに出かけました。

15人パーティーで、標高の低い近所の山ですから、

麓まで車で出かけ、皆わいわい・がやがや様でした。

初めての参加で新参者との自覚がありましたから、

グループ分けも何番目を歩くのかの指示も無いので、

パーティの中央に位置をとって歩き、登り始めました。

皆、おしゃべり続出で・・・・・聞いていただけでしたが、

景色が変わると、数人がパチリの為にお休みしますから、

他の方はどんどん先へ行ってしまいます。

私は、前の方がパチリの時は待ちましたが、後ろの方々は、追い越して行き、

新参者は・・・・・・・・・無言で待つ事に徹しました。

誰かが、リックを降ろしてお菓子を出し、前を行く方に声を掛けて配り、

後ろの方が来るまで待って差し上げ・・・・・つまり、

なんとなく集まり、何となく登り始めます。

前も後ろも大声でおしゃべりしますが、標高が上がると次第に静かでした。

誘って下さった方とは、お昼ごはんの時におしゃべりしただけですが、

   これでよいのです、山登りに来たんですもの。

そこで、私の行動が話題になり、リーダーの少しの説明から、

公表されてしまいました。

さて、帰途・下山ですが、だんだんだん・ずーずーずーっと先へ行く人あり、

のろのろパチリの人、私がどうしたかと云いますと、

なんとなく、中央当たりに位置していましたが、

山の経験の少々が公表されましたの、

行程3分の1を残し、リーダーの許可を得て、

サーサーサッ、っと、ピッチを上げて降りました。

    すいません、心が疲れましたので。

    は~は~はなく、これが普通の下山行動です。

そして、車に着いて、「足が強いのね~~~」??・・・・

    自分では普通ですが、とは云えません。

生まれて初めて歩く時に、歩き方は教わりませんでしたが、

登山の場合は、登山時の足の運び方と姿勢、下山時のそれを教わり、

同時に、休憩の方法・水分の補給。カロリー補給の時間と間隔も、

登山が平地から、何となく上を向いて歩けばよいのではない事、

荷造りと服装・荷物の量・時間配分・行動を変更する場合、

リーダーに申し出る事や、登り時間、下山時間の申し合わせも。

全員が計画書を承知しているのは、当然の事で(この時は無し)

60年が経過しても、身体に付いているのには感謝でした。

この登山する為の学問(免許とは云いませんが)を学んでから、

登るべきではないでしょうか。

1000m登ったは、1500m?大丈夫よ、と一気に2700mへとは。

無謀で自殺行為ではないかと思います。

だって、1500mが大丈夫だったんだもの~~~~は危険ですね。

2700mをつっかけで行った人、1000mで遭難しないわよ。

   は、ありません。

冒頭に書きましたが近所の山が、以外にも・案外・危険です。

普段見慣れた山で、家の前庭のつもりで登りますと、

無言の山も「誰だ挨拶無に入ったのは」と、遭難の危機に合うのです。

   麓に着いたら「ただ今から、入らせていただきます」と、

   山に挨拶しましょう、山は神の坐する所と思いましょう。

   日本人の先輩は、富士山に柏手を打ち、眼をつぶり祈りますね。

数年前から、高齢者登山の事故死をTVや新聞で見聞きするにつけ、

健康な登り方が、明日の山登りを許されるのでわないでしょうか。

   唱歌  雪山賛歌  7番  

      雪のまに間に  キラキラ光る

      明日は登ろう  あの頂きに

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捨てられないの?~~

2014-07-07 20:01:41 | 日記

勤務時代のある日、四人が車で出張した帰り、家が一番近い男性宅に着き、

「お茶でも飲んで行けよ」と、車を降りた彼、

奥さんの車はあるのに、留守なのに気が付いて、

「あ、そうだ、軽トラを借りて、出かけているんだ」

「おふくろ:母:の箪笥をゴミセンターへ持って行くって言ってた」

   それが、なんと、あの桐箪笥でした。

過ぐる日、男性のお母さんが亡くなり、お通夜に駆けつけ、

お母様が長年お使いだった、桐の箪笥は承知していました。

お葬式には、事務作業等を手伝って、まだ、一周忌を経ていないこの日、

桐箪笥が無いお部屋の景色は想像できません。

 

男性と女性二人づつ、中央庁舎等で会議・連絡・報告等や提出書類を持って

個々の目的は異なりましたが、似た時間に仕事が有り、

出張票を係りに出しながら、

あれ~会議は何階・何処?裏庁舎か・じゃ~一緒に行くか~・・・と男性2人

女性二人は、隣同志の部に用事が有り、X氏+Z氏も行くわよ、

と、滅多にない4人が似た場所へ行くことになり、

お昼は久しぶりに、00だ、こんな時のストレス解消店は決まりだ、と。

荷物を分散して運んだり、持ち帰り書類も助けあったり、

本当に、遠足風になりました。

 

ところが、奥さんが桐の箪笥を捨てに行った、と、聞いた女性二人、

   桐が「霧」に化けてしまい、声を揃えて

「私が貰ったのに・・・・、どうして止めなかったの」

云われた男性は、きょと~~~ん として、  申し上げます。

   桐の箪笥は、大々財産ですよ、

   火事の時だって燃えないとは云いませんが、火事からは遠い家具。

桐の箪笥は、100年いや、日本が無くなっても存在します。

女性2人は、桐箪笥は鉋=カンナで削り、取っ手を磨いて付ければ、

新品ですよ、なんで勿体ない事をするのよ。

   我を忘れて、男性に叱っているではありませんか。

そう云った女性二人は共に「喜寿」も遠に過ぎ、傘寿にタッチです、

今は、本人だけでなく、上世代の方々の持ち物を整理する時を迎えました。

桐箪笥はともかく、勤務時代のスーツ・オーバーコート・靴にバック、

仕事に使った、参考書やプレゼンの原稿まで・・・・・、どうしよう。

触るのがいやで、今だにそのまま。

そ~~っと、気にならないように、振りむかないように・・・・・

   言い換えれば、ほったらかしで、今後、どうしたらよいのか、

   書籍類の本棚・本箱は、今では病院受診時の際、

   待ち時間に読む新参者の本がはみ出し、座る場所が無い状態です。

   その部屋は、どなたの部屋??、っと云う<(_ _)>で暮らしています。

最近、TVの画面から、上の世代の方々の持ち物を整理する話題が放映されますが、

どうも、日々近づいていて、

「これ、どうしよう、ま~いいわ・・・・・・」と、どんどん溜まります。

    先日のOB会でも、退職時のダンボールが倉庫にそのままよ。

    と云う彼女、男性にもそんなのが、いました=失礼。

捨てる基準が曖昧だからですね、と、人様には言えますが、

自分に置き換えると「ゴミの中で暮らすのですか」と、

下の世代から云われます。

捨てる基準は、人それぞれで、マニュアルは無いですね。

捨てられない性格が有るのでしょうか。

基準を教わらず、捨てる技術も習わず、学習もせずに今日に至りました。

ただ突っ込んだだけで、触れたくないのですね。

    思い出なのです、思い出は、高価ですね、

今日に至ってしまいました・・・・・どうします??

当時同行して、桐箪笥に執着した女性は、母屋をそのまま倉庫にし、

庭に新築して、相変わらず孫を追っかけて今日に至り、

先日、数人で食事をした時に話題になりました。

あの、桐箪笥の男性は、奥さんから「捨てる」と云われた時、

止めなかったそうです、なぜでしょうか? 理由は分からないとか。

箪笥は霧となって消えてしまいました。

捨てる目標の、理想・夢・~~~現実?そうなるのかしら。

“京間の八畳分にまで縮めましょう、あ、いいえ、御所間かな”

畳サイズの大きい順は、御所間・京間・田舎間・ダンチサイズ、だったかな。

   唱歌  わかれ  1番  (ドイツ民謡の「別れ」で、訳詩は沢山あり)

        さらば さらば わが友

        しばしの 別れぞ 今は

        身ははなれ 行くとも 心は一つ

        いつの日にか  また 相見ん

        さきくませ  わが友

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