きじゅからの幸せブログ

先輩から人生はこれからよ、と云われました
ブログと仲良くしながら、心豊かに歩んでまいります。

一升瓶は大切に

2013-12-30 16:07:29 | 日記

 暮の大掃除には、あとどれだけ預かって頂けるかしらと、

 毎年倉庫に伺ってから始めます。

それでも倉庫に預けない品物は、お部屋に鎮座しますが、

それを除けて歩く事になるのです。

片づけるのが下手だと云われ、自認もしてから、うん十年になり、 

片づけるとは = 捨てる事と読んで久しいのです。

幸い、食事をしたり、休んだりする所だけは確保しますが、

今年も、似たような片づけ方で、巳年を送ることになりました。 

結局、毎年思いますのは、全て「思い出」が有る物ばかりなのです。 

中でも、今は殆ど使われない透明で緑色の一升瓶の事です。

リットル瓶より大きく、液体がゆったり入いります。

この一升瓶でお醤油やお酒を買いに行った記憶は有りませんが、

上の世代が、大事に使っていた瓶で、

それを、側で観ていましたから、手際等まで思い出します。

「品物にも心が有る」と云うのが日本人で、

品物は大事に使うようにとの教訓でしょうか。

一升瓶は当分仕舞って置く事になるでしょう。 

何時になったら、ガラス廃棄センターに届くでしょうか。 

今年も倉庫で休んで頂きます。 

    唱歌  露地の細路  2番 

         ろじの細路(ほそみち) 通りゃんせ  

         よこちょうの酒屋へ   酒買いに 

         ろじは夕顔   咲きかかり 

         斜(はす)にちょっと除け 通りゃんせ 

   明日で、巳年は過ぎようとしていますが、

   一年の歩みには、多くさんの学びがありました。

   来る午年を、更なる努力の年にいたしたく、

   我が背に鞭を打ち、健康な生活を常とし、

   ご迷惑をお掛けしない年でありたいと存じます。

   つたない投稿を開いてくださった多くの方々に、

   感謝申し上げて、本年最後の投稿に致しとう存じます。

   大変ありがとうございました。 

    唱歌  お正月  2番 

         もういくつ寝ると お正月  

         お正月には    まりついて

         おいばねついて  あそびましょ 

         はやくこいこい  お正月 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南瓜と小豆を煮ます

2013-12-24 13:45:21 | 日記

 冬至が過ぎ、今日はクリスマス祝会の日、

この頃は、柚子湯を用意しますが、もう一つは南瓜と小豆を煮て頂きます。

夏に収穫した南瓜を、大切に保存して置き、

同じように、秋に収穫した小豆と一緒に煮ました。

昔は、季節外の食品を用意するのは、非常に困難だったでしょうが、

今は各種の保存方法が発達し、輸入する事もできますから、

年間を通していただけます。

戦後間もなくは、配給の小麦粉で造ったお団子が入っていましたし、

後年は、白玉粉で造って、子供を喜ばせてくれました。

一般に栄養学的に知られていたわけではないでしょうが、

南瓜は、冬に必要な栄養を摂取するのには、よい食品で、

先輩たちの生活の知恵ですね。

最近は、夏にもこの料理は造り、生クリームを加え、

冷やしていただくと、お八つになり、今日の祝会には栄養的にも、如何?。

野菜や果物の季節感がないようなのは、困ったことでしょうが、 

南瓜は、お八つに天ぷらにポタージュや糠漬に、 

丸ごと種をくり抜き、鶏肉などを入れて蒸のもよく、

さらに、種は干して硬い皮を剝き、炒って頂けて、とにかく楽しめます。 

(種は、小鳥の餌にもしているようですが)

何時でも、食卓を賑わしてくれる南瓜には、感謝しています。 

冬至もクリスマス祝会も過ぎ、お正月の準備が忙しくなり、

郷里でお正月を過ごす方が、移動する頃にもなりますので、

そんな思いから、選んだ唱歌です。

歌っていた時代は、田舎の生活は知りませんでしたが、

今では、TV放映の動画を拝見して、情景を感じています。

  唱歌  田舎の四季  4番・冬編  

       そだを折りたく  いろりの側で (落葉樹の枝を折って囲炉裏で燃す)

       夜は、よもやま   話がはずむ  

       母がてぎわの   大根なます  

       これがいなかの  年こしざかな (酒の肴やご飯のおとも)

       棚の餅ひく      ネズミの音も  

       ふけて軒端に    雪降り積もる 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車の後ろにバサッと大きな旗が

2013-12-19 21:27:22 | 日記

 よく晴れた日の午後、真直ぐで景色がよく、黄色い線がどこまでも続く道路を、

CDを聴き景色を観ながら、40kmギリギリで、走行していました。

ところが、急に車のリヤーウンドが暗くなり、

大きな々トラックがピタリと接近し、「早く行け」と、  

背中を押されるような気がして、緊張しました。

 

前方には、椅子に掛けている警察官が何かを持って立ち上り、

後ろの車との間に、大きな旗をパサッと上手に降ろしました。

運転していた私も驚いて20m程は行ったでしょう、

左端に止まりサイドミラーで観ていましたら、運転手は車から降りました。、

さらに後ろには4~5台の車が止まりましたが、間もなく、

警察官の誘導で、車達は動き始めましたので、私もその場を離れました。

つまり「車間距離を考えて運転せよ」と云う警告ではないでしょうか。  

大きな車の真似をしないように、と云う、よい経験と勉強の日でした。

これからは、雪の日もありましょう、そんな日の運転は、要注意です。  

   唱歌  ぱらぱらおちる   2番  

        ちらちらおちる ゆきよ 雪よ 

        ちらちらちらと なぜおちる  

        葉にない枝に あたたかそうな 

        まわたの服を 着せるため 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬至はクリスマス祝会

2013-12-13 22:26:03 | 日記

日本で「クリスマス寒波」のニックネームの頃は、  

世界中でイエス キリストの生誕祭のクリスマスの時期です。

冬至の頃の寒波到来は、お正月の前の第一番目の寒波で、

それをクリスマス寒波と云うようになって、久しいようです。

澄みわたった空には、オリオン座が輝き、月齢は19日ですから、

少しふっくらな御饅頭のようなお月さまが冴えているでしょう。

我家の一番寒い場所・部屋のデシタル寒暖計がマイナスを表示します。 

キリスト生誕から2千年後の今、ツリーとケーキとお酒で、

賑やかに過ごしたい方との対局にいるのが私で、

冬至には柚子湯に入り、ゆったりとして巳年を顧みましょう。 

古代ローマ時代のクリスマスは、冬至祭りでしたが、

かの國を訪問した時、キリスト生誕祭の歓喜の祈りと合唱に参加し、

生誕当時、そこに居た分けではないのに、弐千年の昔に戻してくれました。

棕櫚の葉で飾られた教会は、世界の各民族が全て揃っているようで、

生誕の祈りが捧げられていました。

世界では、各宗教家が戦いを休戦する方向で、72億の世界の民が、

それぞれの場所でキリスト生誕の祈りが捧げられるとよいですね。

  讃美歌  1番

     ああベツレヘムよ などか一人 

     星のみ匂いて  深く眠る 

     知らずやこよい 暗き空に  

     とこよの光の  照り渡るを 

平成の今日、小さなこの我が家も、オルガンで聖歌と共に静かなクリスマスを迎え、 

引いておいたカーテンをそっと開いて、藍銅鉱色(ラピスラズリ色)の空に輝く 、

大きなお様にお会いしたいと思います。

   唱歌 冬の星座  2番  

       ほのぼの 明かりて 流るる銀河  

       オリオン 舞い立ち スバルはさざめく・・・・ 

       無窮をゆびさす 北斗の針と 

       キラメキ揺れつつ 星座はめぐる

砂漠の暑い地方も、夜間の寒暖計は零下を示し、雲の無いそれは々綺麗な空ですから、

きっと 東方の参人の博士も羊飼い達も、見上げたでしょう。

生誕当日のキャラバンサライ「駱駝と一緒の宿泊所」の海馬桶には、

砂漠では貴重であったお湯を用意し、ゆったりとした産湯が有ったでしょう、

そして生誕の祝賀会は、両親と三人の博士や羊飼いが、お祝いしました。  

  讃美歌   生誕(121) 1番 

        馬槽(まぶね)の中に 産声あげ 

        木工(たくみ)の家に 人となりて  

        貧しき憂い  生くる悩み 

        つぶさになめし この人を見よ  

聖書の記述には、間もなく当時の支配者が「王は我のみ」と命令を下し、

支配地域のおさな子は全て殺害されます。

この情報は、生誕したばかりのイエス キリストの元にも届き、

間もなく、マリアとヨハネに守られ郷里を逃れ、

エジプトへの逃避行になるのは後世、沢山の聖画に描かれています。

  讃美歌  降誕(114) 3番 

       重荷を負いつつ  世の旅路に  

       悩める人々    かしらをあげ

       栄(は)えあるこの日を  たたえうたう

       たのしき歌声   ききていこえ

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十二月八日の真珠~

2013-12-08 00:04:57 | 日記

 日本が真珠湾を攻撃した日です。

そして、今年はくしくも当時と同じく日曜日です(正確には7日でしょうか)

唱歌隊で歌った年齢の者として、毎年この日が近づくと思い出しますし、 

もしかして、この日が無かったら別の人生が・・・・・と

思い起こす方は沢山おいでかもしれませんが、人生に「もしか」は有りません。 

人は、「識者のお一人に人生をお任せし、一言を信じて着いて行く」

1億の民(たみ)は、今もこの精神で、生きているのでしょう。

1937年7月 日中戦争から始まった一億の民のその後が、今日なのです。

その当時、母の手が無くては生きていけない子供でしたが、

日本は、1941年のこの日、真珠湾を攻撃し、

1945年の終戦・敗戦を経験し、戦死や疎開、千人針・配給制度・配給キップ等

今では死後になる事象を経験しました。

急に生活の変化を感じましたのは、國民学校内でサーベルを下げた、

お髭の大将とおぼしき方がカッポされたことです。

その方は常時おいでになり、子供達はお休み時間に運動場で遊んでいても、 

近くを通られると、立ち止まり真の禮でお迎えし、通り過ぎるまで姿勢は直しません。

  (真の禮とは、ほぼ90度まで腰を折りました。)

教室には、大きな世界地図が張られていまして、

当然中心は一等國日本で、地図の色は日本國旗の色でした・・・・・・・

    今日は此処までに致したく存じます。 

 この唱歌を彷彿とさせる地図を背に、唱歌隊で歌いました。

   唱歌 蛍の光 4番 

           ちしまのおくも おきなわも    やしまのうちの まもりなり  

           いたらん國に いさおしく    つとめよ わがせ つつがなく 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする