前回、12月19日の投稿の際、
唱歌の最後のフレーズを入れずに投稿し、
申し訳ありません。
最後は 「いざ棹させよな 窮理の船に」です。
母は、散歩から帰ると、庭に面したサンルームの籐椅子に腰掛け、
ゆっくりお茶を飲みながら庭に眼をやると、
庭にくる鳥に、お茶を飲む手が止まります。
TVをつけ、読んでいた愛読書を開き、
聴いているのか、読んでいるのか、
はた目にも悠々自適とは、こんな姿なのね~~~~~と、
そして、活躍しているのはTVだけで、
すやすやと昼寝タイムが進んでいるのです。
これは、96歳まで続いた母の日々でした。
当時は「独居老人」と云う言葉が人生で最悪の言葉で、
身内にそんな人が居るのは恥ずかしい事ですし、
子供達は親不幸者と忌み嫌われました。
「最近、介護離職」こんな言葉が聞かれ、
問題として、議論がなされています。
介護される人、する人、退職されてしまった職場は、
最後を「看とり=手と目で観察し、護もる=看護」で逝くります。
そして、その方の家族も、介護離職になるのでしょうか。
少し前の時代の母を記録したくなりました。
70歳まで公職にありましたから、
じきに大変手が係る人になるかな?
子供・身内の間では、母には内緒をしていました。
一人暮らしの母は「困った」等とは云わず、
勤務時代からの友人と、
美術館へ行き、観劇に出かけ、旅行にも行っていました。
しかし、年齢を重ねてからは、
子供から見て気になり、なんとなく支えるようになり、
最晩年になって、一年間は皆で観察することにしました。
健康者が寒いのに、反応は?
この時間なら空腹になるでしょうに?
暑さや寒さの感じ方は、
どのような時間に散歩に出るのか、
冷蔵庫は何時観るかしら、
好き嫌い、これは分かっているはずでしたが、でも?
等々、そして、結論は「自然が良い」と云うことでした。
「もう帰らないの?」とか
「泊まっていくの?」等は云いません。
身内が空気のように次々訪問していたので、
早めに帰る場合もメモを残し、
夜分に帰る時は、区切りを付けて帰るのではなく、
なんとなく、さよならしていました。
夜9時にはベットへ行く母の背を観て帰る時も、
お茶を飲みながら、時間が経過し片づけて帰りました。
そんな時も「何時に帰ったわよと」メモを残し、
自然な日々が続くのでした。
これより先は、来年に致します。
唱歌 埴生の宿 1番
埴生の宿も わが宿
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春のそら
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
たのしとも たのもしや
常日ごろ訪問してくださって、ありがとうございました。
きたる年が、良い年でありますよう祈念し、
本年最後の投稿と致します。