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青春の嵐 第18話「母と子と」

2015年11月30日 21時46分35秒 | 青春の嵐
勘吉の初七日の法要が過ぎてから、加奈子にはまるで縋る者が
何も無くなってしまった思いのようだった。
法要が過ぎてからの加奈子は何においてもやる気が無く
家事全般において手抜きが目立ち出した。

それを見て、寛一は加奈子がこのまま魂の抜け殻のようになり
若くして呆けてしまい耄碌してしまわなければ良いのだがと周りの誰もが懸念せずには居られなかった。
このとき母である皆村加奈子は四十歳であった。
だが、彼女にはまるで人生の目標とという生き甲斐と感じられるモノが何も感じられない。
それを見るにつけ寛一は子供とは思えぬほど考え込む。
(まあ、無理も無いだろうな。)
そう思うしかない。いくら最後まで自分ら母子を歓迎しなかったとはいえ
自分にとっては亭主だったんだし、世が世なら自分は継母としてあの屋敷に
寛一の母親にして後見人として君臨しようと思えば、情勢とやり方次第では
出来なくも無かっただろう。だが、その夢を台無しにしたのが
戦後から今日まで、古くから日本国内で悪事の限りを尽くし
その度に日本の社会に対し戦前や戦中における、自分らと日本との間に起こった出来事を
盾にして、数々の悪事を正当化し続けて来た在日韓国籍や朝鮮籍の人間と中国人たちだ。
あの窃盗と殺人に加え放火まてしておきながら、戦前・戦中において自分らや自分らの国と
日本との間に起こった出来事の数々を理由にして、無罪を主張し
償うべき罪から逃れようとしたあの糞忌々しさは今でも腹が立つし、
今の母加奈子がこのようになった原因もアイツらだ。
だが、今の寛一にとって問題とすべきなのは今後、もう生ける屍も同然と化した
魂の抜け殻に等しい、加奈子はどうするのかである。
いくら同世代の子らを既に問題にせぬ非凡な寛一といっても所詮は、
来春、中学に上がるべきの子供でしかないのである。
いくら寛一がデイトレードで一日に今の時点で、三千七百万円の平均五パーセントを稼ぐとはいえ
その稼ぎをもってして人に頼むというという事って果たして出来るのだろうか?
本来、義務教育を受ける子の面倒を見るべき保護者である立場の母親が
認知症の老人の如き呆けようを為しているというだけでも世間からは、
如何なものかというのに、小学生の息子に行政福祉とそのための金を出して貰うというのでは
寛一からすれば親孝行をしたつもりでも、
加奈子にとっては母親としての面目を傷つけることでしかない行為でしかない。
学校を休んで母加奈子の面倒を見るという事も又、義務教育を受けねばならぬ立場として
出来ぬ話であるのも、寛一にとって現実に対する呪わしい思いである。
そうあれこれ悩みながら、学校生活をそこそこに奔走している日々を送ってた。

そんなとある晩秋の日の夕暮れ時。
並木道の紅葉が朱に染まるように色づき、黄色くなった銀杏の葉も地面に落ち
それを竹箒で折角かき集めたのを風が撒き散らし、それに竹箒で集めていた
並木道の落ち葉を竹箒で掃いていた人たちが恨めしげにしている。
そんな彼らを横目に、寛一は屋台で買った鯛焼きを食べホットの緑茶を飲みながら
物思いに耽っていた。ところがである。
鯛焼きを食べ、緑茶を飲み干した後、家路に着こうと歩き始めたら
懐のスマホが鳴り響く。それを受け取った寛一はそれを耳に当てる。
通話の相手は警察からであった。それというのも母加奈子が自宅に押し入った
犯人に強姦された挙句、台所にあった包丁で殺されたというのであった。
それを聞いた寛一は、警察署に向かった。
死体の確認に立ち会った寛一は、その死体は間違いなく母加奈子である事を認めざるを得なかった。
それだけでもショックなのに、それから数時間後に別件で逮捕された犯人が
あろうことか父勘吉一家の件で犯行グループの一員として事件に関与し、
その事で裁判所から懲役八年、執行猶予五年の
有罪判決を受けて、今その執行猶予中の在日韓国籍の男性であったという事が
次の日の朝に警察から知らされるにつれ
寛一にとって在日も含む、極東アジア系外国人に対する感情は遂に決定的となった。



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