歩くか、ママチャリの人

生活感、人と人が行き交う、自然な会話が生まれる場所へ

焦茶の棚と、ビビットな付箋の池袋

2021-08-12 01:38:00 | 日記
(記事を間違えて削除してしまったため再掲しました)

緊急事態宣言が続く中、小売業が厳しい局面を迎えている

緊急事態宣言が東京だけでなく、当方の居住地にも発令されとうとう不完全燃焼で上京を断念した
池袋で大型店舗が閉店となる(なった〕

今回は当方の居住地にはまだ宣言が出ていなかったときの状況を、記す事となる


丸善

池袋店は7月末で既に過去形になった。今では、丸善ジュンク堂書店と聞く機会が増えた。ここでは、丸善が閉店という。どちらかというと当方、丸善は丸善、ジュンク堂はジュンク堂という方が馴染みがある
池袋ではないがよく見に行った。

(※日本橋店は地下に向かう階段に以前、花屋さんが出入り。店舗内には、洋品を少し取り扱っていたのではないだろうか。丸善屋上には、昭和30年少し前より始まったとされる、レストランもあった)

池袋ジュンク堂書店は、細長く位置する池袋西武百貨店がすぐ近く。東通りの手前に位置している
というか、丸善ジュンク堂書店として閉店するのではなく、丸善として閉店する事を間違いなきよう
みたいな文言をどこかで見掛けた

当初、自分ですら勘違いしていた

池袋駅東口の駅から、近い位置にある。建物のある通りは、7〜10階建てくらいのビルでそれほど圧迫感なく、建物一階の殆んどが飲食店で構成。衣料品のサカゼン、早稲田アカデミーなども入っているビルもある
(サカゼンさんのテントがひときわ目立つかも)

丸善がある建物の藤久ビル周囲は、整備された道路に囲まれており、この辺り裏に行くと、高いと言える建物は然程ないためのんびり歩ける。東京福祉大学があるのだが、この建物も低い。2階建てだろうか
花屋さんもあったし。歩けば個性を大事にしている飲食店も同じ道に並んでいる

歩くに良いかもしれない

賑やかだけど落ち着いたビジネス街に見える(周りの大通りに出てしまえば賑やか)
少しだけ歩けば、南池袋公園や、反対側に西武百貨店が見える位置

1階。きれいなガラスの向こう、カフエが見えていた。ハヤシライス(早矢仕)。丸善の創業者であるとの事。同時に、地下1階と2階に行かれる階段も直ぐ目の前
シルバー色のキッチンで働く、白と黒の制服で料理を提供するスタッフさんの姿
左側には高級感ある焦茶色の棚がある。ランチの見本が飾ってあり、見本も棚もいい感じで引きたてあっていた

それはまるで、油絵やデザイン画のように見えた、焦茶色の棚

テーブルは、細かく配置。出来るだけ多くの会社員が、昼食で立ち寄るのを想定した印象が強かった

(※ハヤシ、カレーの缶詰を数十年前に買ったことがある。当時の缶詰でも1000円はした記憶がある。一度は家で食べたものの、非常用でも買った。あのレンガ色の紙に巻かれた缶詰も懐かしく思う「新厨房楽」と
ゴールド色で印刷されている。明治時代からの、医師を目指し病院長となった早矢仕氏の創業当初より
古い歴史を思わせるような配色)

という光景を、紺地に白でデザインされた、丸善のフクロウがカフエと日頃の池袋を、2階から凛と静かに眺めている様子だった

地下1階が、文具売り場、、か
2階には、革製品、萬年筆が階段上がり直ぐの位置にあった以前
海外製のキレイな万年筆

LAMY、Parker、他にもあるが、パイロット、プラチナ、セーラーの国内のブランドよりも派手に見える
国内の製品だと、シンプルに無地のモノ以外では、蒔絵の万年筆だろうか

(※パイロット万年筆の喫茶店が、中央区京橋に。かなり以前、知り合いと昼間カウンター越しで、コーヒー飲みながら、2階の万年筆ギャラリーに行ったときもあったのを、ふと思い出した)

インクもメーカーによって、ブラック、ブルーブラック、ブルーと同じ名前でも色みが少し異なる
赤みがかったとか、緑がかったとかメーカーによって色々
試してみないとわからない

好みの色をボトルで買い、ペン先に〔その都度)つけながら書くのも、濃淡がありながら万年筆の楽しみ方だ。ペン先の掃除も欠かせない

革製品も、動物キーホルダーからIDカード入れ、筆記具入れ、眼鏡立て、お財布、色々、。2階に上がると正面に展開されていた

金額が高めながらも、フロアー全体の売り場のつくりは統一されていた記憶がある。革製品も同じ、明るい照明の下にあったのではないだろうか(棚はあったかと)

閉店間近の日、地下のセール会場化し、若い男性がスマホの電卓たたきながら、数点ほど革製品をカゴに入れている光景や
ボールペンの替芯を、目を凝らしながら透明ケースの中にある商品の品番を、黙って探す男性の姿も

(※替芯は他店舗で買った事あるが、ボールペンの中の空芯を取り出す。透明の芯に小さな文字で品番が記載されていて、メガネを掛けているにもかかわらず、さらに虫眼鏡越しに確認し、ケースの棚の品番を見つけ、空の芯と商品が、間違いねく本体に入るものなのか品番の照合、やっと会計で、こちらでよろしいですかと言われる前に、一緒に確認してもらう)

何種類も必要で、製造メーカーと品番が合うまで探しながら、本体ごと買った方が良かったと思う事も

透明引き出しを、開けたり閉めたり/開けたり閉めたり/取り出したり戻したりとしているうちに何回やればいいんだよと時間が経過

面倒かも。そんな自分の、

※替芯の買い物ごときで、足の裏は痛くなってくる大変だった事を、思い出す※

裏に廻るとサルスベリの薄紫の花が惜しむようにひっそりと咲いていた。そよ風に揺られながら、ガラス張りの向こう

紺と白のフクロウを見つめるように


池袋丸井

地区計画の中に入っているのだろうか、西池袋3丁目に位置。祥雲寺坂に向かう方向
全体的な印象。スクランブル交差点を目の前。周りが緑溢れている東京芸術劇場さん、西武百貨店、東武百貨店とは違い、想像つかないほどの意外とちいさな(家庭的な〕売り場。一階入り口から見た催事場の天井が高い。これだけでは店内全体も広そうだが、プロパーの売り場は天井がグッと低くなる。通路の幅も狭くエスカレーター上り下りの周りをぐるっと歩く。あっという間に次の階へ移動することになる

エスカレーターを取り囲むように売り場が存在しているが、エスカレーターから放射状に見ると、店舗としては奥行きが感じられない
この配置が、ふと人混みの駅ビルを連想させる

意外なことに。テナントとして、仏具屋さんが入っている。且つ丸井のある大通りを挟み向こう側には、石材店のビル
カフェ、レストラン、アウトドア用品店、ランドセルを扱うお店、周りに

ターゲットの客層は若いが、仏具店がテナントとして。また丸井の前の道路挟み、石材店とも共存してきたという池袋丸井。当方でも見掛けない光景だった

44年間ありがとうございました

ドラえもん、アンパンマン、髪の毛の長い女の子の顔、ピカチュウ、などのイラスト、が多い中、黒いペンで『これからどうすればいいんだ』とか『今から取り止めにならないか』の逼迫感すら感じさせるようなメッセージ。『昔このお店で働いていました』とか『また来ます』とか、

『いつも雨の中も、、』

というメッセージは、取り分け印象に強く心に深く残る。雨の中もと書くくらい丸井に立ち寄ったかたの想いも

44年間ありがとうと書かれたメッセージからは、20、30代に買い物を楽しんだ記憶のあるかただろう。今を言いたいのではなく、過去に遡り感謝の気持ちが見え隠れする。友達や子供と、池袋店のドアを繰り返し開けてきた人達

アパレルよりも売り場面積が広いセリア。100均には見えず雑貨屋を思わせる。売り場のカタチが、長方形ではなかった

この売り場は一部、通路に対して壁面が斜めになっている。細長く動きのある且つ一部奥行きや広がりのある展開だった。加えて黒色の天井であった事も

製菓キッチン用品の上の天井は白色で、商品を明るく引き立てていた。他は黒色の天井の下に配置されていた

なので離れた所からでは、100均には見えにくい

レジ近くの白い大きなボードには、正方形のビビッドなオレンジ、ピンク、イエロー、グリーン、ブルーの付箋が
タイルのごとくきれいに貼られてきていた

そのズレない貼り方の中にも、丸井とともにあった人々の、感謝の気持ちと、それまでの自身の人生を振り返り懐かしむような
人々の各々の想いが

太いペンの筆圧から声が聞こえてくる

それはスタジオを思わせるような、黒い天井の
ライトに照らされながら

沢山の声だらけで付箋はすでに、無い

当方もこの数年、通りに自分の想い出を重ねて来た。良いも悪いも

繁華街も数回歩き、外泊した翌朝5時過ぎ、丸井を見た
ここを通過して来ただけに、大型店舗が閉店になるのは淋しいものがある。44年間営業なされたとの話、建物そのものも古いのだろう

自分が行こうとしていた、丸井の最後営業日。が、その先には
大事な人達が居る。誰にでも居る

大事な人

たとえ、違う方角を向いて歩く事になったとしても


変わらずいてくれればいい


田んぼの見える郊外より、この画面の向こう。

そう願いながら。

緊急事態宣言。不完全燃焼で、口惜しさが残る

東急ハンズへ行く日は、来るのか

今日の文章を一旦、終わらせようと思う


「こんにちは」のひと言
さらっと交わす日を
迎えられるように