「宮古そば」という麺を使ったお蕎麦が全て「宮古そば」と言うならば、この島のおおよその蕎麦は宮古そばに違いない。
どんな具材を使おうと、その麺は紛れもなく宮古そばなのだ。
コロナ禍を乗り越え、次々と新規オープンの飲食店が増える宮古島で、久しぶりに感動的な出会いがあったので、備忘録として書きとめたい。
先日、地元の先輩から沖釣りの誘いがあった。
その船は、夏に宮古島に運んだばかりの新艇で、島の某ビーチにあるらしい。
38フィートの和船とは聞いているが、どんな魚種が狙えるのか、周辺海域の下見も兼ねて、ボートの設備を確認するため、妻とドライブがてら久しぶりに遠出した。
夏の混雑は落ち着き、すれ違うレンタカーの数もめっぽう少なくなり、もうすぐ島も閑散期を迎える。
僕にとっては絶好の釣りシーズン到来だ。
周囲をサトウキビ畑に囲まれた田舎道に、どこにでもあるような見慣れた幟(のぼり)がはためいていた。
宮古そば
新しい店だ
Instagramで下調べをし、「昔ながらの製法にこだわった」の文字に惹かれて暖簾をくぐったのはちょうどお昼12時を少し過ぎた頃だった。
清潔感のある店内は、30人も座ればいっぱいだろうか、中には地元のおじいおばあが合コンのような会話で盛り上がっていた。
他には観光客と思われるファミリーが2組くらい、昼時にしてはそれほど混雑していない。
そばのメニュー3つ
それぞれ小、中、大からサイズが選べる。
・三枚肉そば
・ソーキそば
・その両方を合わせたそば
トッピングは
・ジューシーご飯
・三昧肉のネギ塩丼
味見も兼ねて、2人で全部オーダー
妻は両合わせの小にジューシー
僕は両合わせの大にネギ塩丼
店員さんからのオススメでネギ塩丼に無料のマヨネーズを付けてもらった。
結果、ネギ塩丼はオマケみたいなものだったが。
そばが来るまで、オジイオバアの合コントークに耳を傾ける。
ひとりのオジイは、可愛いらしい子が見たいようで、その中に好みのオバアはいないようだった。
いや、マジであれは合コンだった、はず。
それほどの間も無く、注文の宮古そばが運ばれてきた。
香り、スープの色、ジューシーの艶
料理の写真を撮りながら、僕の中で、どこか懐かしさが込み上げてきた。
お出汁の風味がとても好みで、すぐにお椀からスープをすする。
熱々過ぎてあまり味がわからん…。
据付のレンゲを使い、もうひとくち…。
これだ!
味の深みと奥行き、それでいてしつこくない優しい味わい。
一瞬で出汁に興味を奪われ、妻のジューシーに手がのびた。
やっぱりそうだ!
豚のガラで、それこそ昔ながらの製法で出汁をとっている。
豚ガラも鶏ガラもパックで簡単にスープの素が手に入る時代に、この店は真面目にあのガラから出汁を取ってるに違いない。
そばをすする前にInstagramのストーリーズを更新した。
宮古そばランキング
変更のお知らせ
人には好みがある。
僕はそばが好きでね、人気店の近くを通れば必ず行ったよ。
沖縄本島では片道2時間以上、そば遠征に出かけたことも何度もある。
そばの美味しい店はいっぱいあって、オススメしたい店も沢山知ってるけど、そばを食べて、心から感動したのは初めてだよ。
正直、誰にも教えたくない。
今の宮古島は観光ブームでね、並ばれたくないんだ。
その昔、宮古そばは庶民のファストフード的なもので、具材は無し(もしくは麺の下に隠す)で、厳しいと年貢の取り立てに対し、貧しさをアピールしたとも言われている。
出汁には豚と鰹を使う。
豚は骨を砕いて大鍋で釜戸に薪をくべ火を入れる。
テビチ(豚足)、チラガー(面の皮)、ミミガー(耳の皮)、チーイリチー(豚の血炒め)、その当時の沖縄で豚はとても貴重で、毛以外を全て食材として大事に使っていた。
家の庭に豚小屋があり、食用として飼育していた。
祝い事があると親族友人が集まり、声の大きなオジイの指示を受け、豚の屠殺が始まる。
衛生上、流石に今はなくなったが、僕が子供の頃は、刀を持ったオジサン達があーでもないこーでもないと、豚の開き方や肉の切り方を方言で議論していたことを覚えている。
牛刀や斧に鉈(ナタ)を持っての言い合いは、今思うと、それだけで事件だよね。
ほんと怖いw
雪の降らない高温多湿の環境下で、豚の保存は海水から作られる塩だ。
塩漬けされた豚は、スーチカーと呼ばれ、最近は沖縄料理屋などでよく見かけるようになったが、当時のスーチカーは塩辛すぎて今のように沢山食べられるようなものではなかったと、近所のオバアが教えてくれた。
あの時は貧しかったからねぇ、豚は飼っていたけどあまり食べれなかったさぁ、と。
貴重な豚の骨は石や斧を使って砕き、出汁として使う。
一頭の豚から骨はいっぱいとれるからね、もったいないから骨は大きな鍋で炊くさ。
普通のお玉じゃ混ぜられないからね、サバニ(小舟)のッザク(楷・カイ・パドル)を使って混ぜていたよ。
でもいつでも小麦があるわけじゃないからね、ないときは、畑のお芋を入れて食べたときもあったさぁ。
そんなオバアの昔話と、優しく懐かしいあの頃が蘇る。
ずっとこの味を求めていたのかもしれない。
ひとくち、またひとくちと味わいながら、最後の一滴を飲み干した。
ご馳走様でした。
会計時、地元出身の作り手の方と出汁について少しだけ話した。
カウンター越しの厨房には通常のガスコンロではなく、鋳物コンロが置かれ、大きな寸胴鍋から湯気が立っていた。
子供の頃に見ていたお祝いの光景だ。
その当時は当たり前だった製法で作られた普通の宮古そば
何故かもったいなくて自分だけのものにしたいような、あまり知られたくない本物の宮古そばは、フラッと立ち寄ったオープン間もない、味にまっすぐな店だった。