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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

春たけなわ 三浦半島

2010-03-19 16:26:00 | 旅先にて

温かさに吊られ、三浦半島の先端、鴨居から観音崎、山越えして走水まで、色々な顔を持つ半島の魅力に取りつかれ、また来てしまった。
鴨居海岸から、たたら浜へ、潮が引き、大小の岩が顔を出し、その岩間におばさんが、ゆっくり取りつく姿が、目に入る。(写真中央部)
観音崎近くの、遠浅の磯の鴨居や走水ではワカメ養殖が盛んであり、丁度、大潮の干潮時期を岩脇の周辺の波に揺れるワカメを取っているんであろう。
僅かな水面に遠目越しに、砂底がくっきり見えるぐらいに、此処では透明で実に綺麗である。
我が家を出た時は少々寒く、ジャンパーを羽織ったが、小春日和のここではもう暑かった。潮騒と潮の匂いが、海岸の風景とも併せ心地よい。

半島の突端だけに対岸の房総半島がボンヤリであるが、確かめることができる。その間をゆっくりとマンモスタンカーが移動する。丸で動いているのか、判らない位の速度であるが、その間を高速の貨物船が瞬く間に追い越して行く。大小織りまぜ、実にアグレッシブに動いているのが、産業の輸送を担い、逞しく見えてくる。
このパノラマを俯瞰しながら、観音崎公園のMATERIAで地魚ランチとビールを飲みながらの贅沢を味わった。気ぜわしく追われる毎日にこの、のんびりした世界が何とも言えない位に安らぎを感じさせられる。適当な暖房とアルコールの酔いに、緊張がほぐれ、此処からの離脱に勇気がいる。

海岸線から観音崎公園の山頂部をひたすら歩き、国道16号の走水に降りる。
市内唯一の水源地で豊富な湧水はミネラル含んだ貴重な水脈をほこっている。
大泉寺の一角に水琴窟が目に止まり、案内板に従って、耳を当てる。落ちるしずくの音が反響して、高い金属音の、深い音の世界に運んでくれる。しずくの風情を既に江戸時代から楽しんでいたようであったが、同じ音を通じて、旅人気分でタイムカプセル出来る。
色々な顔を持つ半島、でもごく一部しか見ていないような感じがする。また来て見たい場所である。

国際化の渦のなかで

2009-10-12 14:38:00 | 旅先にて

<1番目>
遥か遠目で眺めていたものの、一度上がって見たかった、都庁のビッグタワー。西新宿に用事があり、帰りに寄ってみた。
大きな建物だけに居並ぶ新宿副都心高層ビルの中でも一際目立つ建物である。所が何処から上がれるやら、お上りさんは外周部ウロウロ、漸く入り口を見つけ出した。案内誘導に従い、エレベータ口につくと、監視の目も鋭く、一斉に荷物検査が行われ、丸で飛行機の搭乗口のようである。次から次へとやってくる来館者に2台のエレベータはフル稼働のピストン輸送を行っている。鳥籠に押し込められると、中は青い目、黒い目、赤い目は己だけか?、中は正に国際化のるつぼであった。45階までじっと静かにしているは日本人、当たりを憚らず、しゃべりまくっているのは欧州人、韓国人、中国人であった。
ようやっと鳥籠から開放され、45階の展望室へ、少しもやがかかっていたが神宮の森、始め都心が一望出来る。エレベータで予想したが、ここも正に此処も正に国際化の渦、飛び交う外国語の影に果たして何割日本人が居るのか、判らないぐらいに外国人パワーに圧倒された。
再び、階下におりて、はとバスや観光バスの渦。成るほど此処が、観光拠点の一つである事が漸く判った。

<2番目>
温泉旅行で那須へ。東京駅からバスパックで乗り換えなしでホテルまで運んでくれる便利な、輸送手段である。車運転の責務もなく、朝から御神酒も入り、宴会モードで贅沢な気分で旅を楽しむ事が出来る。首都高を出て、東北道を一気に走り、ホテルに着いてしまった。
ホテルにつくやいなや、ご覧のお姉様が、いきなり車内に乗り込み、流暢な日本語「ようこそいらっしゃいました」の歓迎のお出迎えと簡単なホテルの案内があった。
「いかんいかん、顔と姿形で判断しては」と思いつつも、綺麗な日本語に皆あっけにとられる。翌日の大内宿ネイチャーツアーに研修で一緒に同行した。日本人の添乗員から彼女の粋な紹介で「マリナーズの一郎の親戚」「??・・・・?」「無安打」つまり「ムアンダ」さんで紹介され、大笑いであった。5、6か国語をこなす才覚豊かなアフリカの人であった。

<そして最後は>
何処かで見た顔、今をときめく「よんさま」ペイ・ヨンジュンさまと、お忍びで出会った????。北海道の道東を中心に廻り、知床第一ホテルのロビーラウンジにて素敵なロビーコンサートが行われ、旅の一時をジャズ、ポップスで楽しむ事ができた。
札幌はもとより道内、東京、横浜など日本中を駆けめぐるHoneu Veeのコーラスで電子ピアノとボーカルを担当する自称「よんさま」こと「箭原顕」さんであった。
あのお馴染みのフユソナのバックミュージックで弾き語りで、登場する姿に、韓流で染まった叔母様方から、思わずときめきの声が、あがった。ふっくらした顔立ち、メガネ越しの微笑みが、まさに北の「よんさま」であった。
思わず「ヨボセヨ、ペイ・ヨンジュン イムニカ?」と声をかけたくなってしまった。
たまたま最近出会ったことがら、「国際化の渦」の中に、居るのではと思ってしまった。

自動車運転と新幹線

2009-03-24 22:23:00 | 旅先にて

伊豆半島を周回し沼津icから東名を利用して帰ってくる。
1ッ月経たないうちに、似たような道のりを静岡から新幹線で帰ってきた。
同じ高速の輸送手段であるが、前者は自らハンドルを握り安全を心がけ、緊張で張りつめながらも運転を楽しむ世界と後者は高速車両に身を委ね、貴方任せで運んで貰う世界を体感した。
普段買い物カーに成り下がってしまった愛車でのドライブ。
常速100㎞から、時には追い越しに120㎞の世界は慣れるまで結構神経を使う。ハンドルのぶれはふらつきや路線の偏りに繋がり姿勢正しく、緊張感を持って、高速道路上を適正位置にキープさせることを心がける。
時にはミラーを見て、背後から「おんどりゃ、どけどけ」と言わんばかりに迫ってくるマナーの悪い車が来たら、構えず、争わず先を譲るだけの気持ちのゆとりを持って走る。
前方をしっかり見つめ、肩の力を抜き、ハンドルを握りしめ、足から伝わるアクセル、ブレーキの感覚にスピードを滑らかに制御する。五官を使い、時には車の振動から異常も判断する。
などなど運転教則にあるような、車の流れに乗って、連続して走り続ける緊張感は、走り終わるとどっと疲れを呼ぶ。

一方では列車旅を振り返る。見学の目的を果たし、一段落し、フリーなこだまで、帰路につくだけである。キヨスクで買い込んだ缶ビールと蒲鉾のつまみを抱え込み車窓に並べ、2列席を独り占めした特別席でリッチな気分で列車旅を飾る。車窓越しに移り変わる景色をぼんやり眺めながらのささやかな一人宴会を始める。
車運転では禁手となった酒酔いも、列車旅は何も咎められず、心地よい酔いが体全体を包み、幸せな気分で旅の世界を演出してくれる。缶ビールに飽き足らず、缶チューハイにもエスカレート、窓越しの走馬灯のように移り変わる山間の姿はコンクリートに埋めつくされたビル群に変わり、1.5時間で終着へ。
車運転ではdoor to door、目的地から自宅まで、重たい荷物を乗せ座ったまま辿り着けるが、列車旅は1時間以上ローカル線に乗り換えがある。のんびりした旅気分から、人ごみにまみえ、せせこましい世界に目が覚める。
それぞれ、一長一短があるが、ダイナミックな車運転よりも安全な列車旅が、自然と受け入れるような感じがするが、それもこれも年取ったせいなのであろうか・・・。
いやいや、それ以上に、飲んべえ癖が旅の共に付いて廻っているからである。

伊豆堂ヶ島へ

2009-02-21 15:27:00 | 旅先にて
◇沼津から富士の霊峰
いち早く、春を呼ぶ伊豆に行ってみたいと、久しぶりに愛車を駆使して伊豆半島へ、向かう。
東名の横浜icから沼津icへ、折角の遠出に、このところ安定した天気が崩れるという。しかし当日の朝はそんな予想を覆し、車窓から日が眩しく、入ってくる。90㎞代の走行車線に目を慣らし、追い越し車線へ、あれほど詰まっていた車両が西下するに連れ、減ってきて快適な運転が出来る。
見え隠れしていた富士山が、ワイドスクリーンに大きく迫ってくると、最早そのまま見過ごすには勿体ないと、足柄saで休憩。広い駐車場を駆け回り、ベストポジションで富士山を捉える。


こうして近接で見ると、山裾は雪も溶け、真っ黒い被写体が目に映り、これも暖冬の影響と地球規模の温暖化かと思えてくる。
◇伊豆半島南下
<下加茂温泉の桜風景>

沼津icから、車両ラッシュは相変わらずの1号線へ、さらに136号線に出て、伊豆半島の中央部をひたすら南下する。しかし、渋滞の渦は続き修善寺の温泉と河津桜見物の観客で、平日にも関わらず、大変な混みようである。
136号線から、更に414号線で南下、天城峠越えとトンネルが続き、段々深い山に入って行く。
やがて半島のほぼ南端に近い下田に入り、なんと言っても吉田松陰が捕まった幕末遺跡に吸い込まれる様に下田の町で休息する。拝の幕末好きに、廻りも諦め、4回目?の開国博物館であった。
ここで、渋滞ラッシュの続く河津桜を避けて、下加茂温泉へ。
青野川沿いの堰堤に桃色の桜と菜の花の黄色が見事に咲いており、2009年は2月5日~3月10日までは町を挙げて、てんこもりのまつりイベントが行われている。この花の賑わいに春の季節は既に南の伊豆から始まっている。
1~1.5車線のくねくね曲がった山道の県道を通り、スリル満点で一気に西海岸へ。殆ど車なし、先の見通しの効かない角にはミラーがあるが、何時、向かい側に対向車が現れるかと危険と背中併せの走行に全神経を張りつめ、山岳路を克服し、海岸線の片側2車線に出た時はほっとさせられる。
◇堂ヶ島
夕陽が落ちる前に何とか堂ヶ島に到着する。

堂ヶ島温泉ホテルに到着。
案内された1室の眼下には海触され、荒々しい岩肌のリアス式海岸が手に取るように見える。内海なのか完全にべた凪、静かな海面に絵の具を落としたようにエメラルドグリーンに輝いている。崖にへばりつくように建てられたホテルの7階はフロントに繋がっており、海岸を一望出来る場所に椅子が用意されている。夕陽を眺めながら、日没を確かめられる最高のビュウーポイントであり、その巡り合わせが生れればワインサービスが付くが、当日は雲がかかり、生憎中止であった。折角夕陽に間に合わすべく、ホテル到着はその時間に間に合うように頑張ったが、不運にも願いは叶わなかった。
明日の予報は雨、ならば今しかない。陽も落ちかける時間にがけ下の海岸に降りてみた。

浜に打ち上げられた漂流物に混じって、ご覧のような大きな鯛が目をむき出し、不気味に睨んでいた。浅瀬に迷走し、鳥に襲撃され、無惨な最期を遂げたようだ。胴体の半面だけ骨を残して綺麗に食べているが、その半面は肉はついたまま、随分贅沢な勿体ない食べ方である。自然の中の動物たちがまさに生きる世界を目の前で見るようである。

荒々しい岸壁に取りついた大小の岩、頼り無い吊り橋に恐る恐る、足場を確かめながら海岸線を歩いてみる。岸壁を越えると遮られた姿が一面に開け、新たな展望が確かめられる。
陽も落ちかけ、足元が怪しくなり、急ぎ部屋に戻る。

楽しみはまさに目の前の御馳走である。豊富な海産物が綺麗に飾られ、勢を尽くしたお作りの逸品に、貧乏人は箸を付けるのも勿体ないと思えてしまう。
伊勢海老、スズキのポワレ、ウニ、烏賊の黄身焼き、甘鯛・・・。
アルコールもじっくりと廻り、心地よい酔いに包まれながら、じっくり食を楽しむ。話しも弾み宴もたけなわ、大食堂に廻りを見たら、最後に残ったのは我々4人のテーブルだけであった。翌日チエックアウト、玄関口で、厚化粧に着物姿、ン十年前のお嬢さんに見送られて、次の目的地へ向かう。
これも地方でのワークシエアーか、一列に行儀よく並び、深々と頭下げ、周知徹底されたサービス精神を備えた大量な女将の数に、圧倒される。
◇松崎の町
翌朝は朝から雨と風が吹きまくり、前日とはうって変わった、横殴りの荒れ狂った天気。傘を差しながら、松崎の町を歩き、重要文化財の岩科学校(明治12年)、長八美術館、明治商家邸や町を覆うナマコ壁の独特の雰囲気と歴史文化の町を、じっくり楽しむ事ができた。
歴史を感じる明治の洋風建物の岩科学校の隣に、近代的な学校が並んであったが、その学校も今は使われていないようで、廃校になっていたのが、何とも象徴的であった。
<岩科学校で傘をさしながら見学する小学生の一団>


江戸の左官で比類なき名人と讃えられた入江長八は町を代表する人物である。長八の菩提寺である浄感寺は天井や欄間に残した代表的な作品があり、熱帯びたガイドさんが漆喰芸術の凄さをたっぷり紹介された。
寺のお堂で降りやまぬ雨は、情緒たっぷりに、舞台を作ってくれる。これも雨のお蔭で、集中できたことであった。

波浪たつ荒々しい西海岸を横目に、たっぷり楽しみ一路、東京に帰った。

都会に情けが、 六本木

2008-11-28 17:22:00 | 旅先にて

赤坂、六本木、華のお江戸のど真ん中、○○タワー、△△ヒルズ、アカサカサカスと横文字のネーミング名が付けられ見上げリャ、とてつもないビッグタワー乱立し、街ぐるみ、地域ぐるみ、大型の開発が進みふらりとやってくる田舎者には何処が、何処だかさっぱり判らない。
まして、一歩脇道に入ると、曲がりくねった道と、榎坂、うどん坂、南部坂、薬研坂、乃木坂、安鎮坂、ころび坂etcと赤坂だけで20近くの坂道が網の目のように走っている。
起伏の激しい立地を無節操につなぎ合わせた江戸時代あるいはそれ以前からの名残をそのまま引き継いでもいるようである。
そんなことから、そこを根城にしている連中なら未だしも、よそ者には判り辛くしているようで、一旦迷うと袋小路に入ってしまう。
周辺は江戸城を囲むように大小の有力大名が多数住んでいたが、ご維新と共に屋敷は払い下げられ中央官庁街に企業のオフイスビル街に変貌していった。都会の一等地として多くの人を抱え込み、其処から吐き出される人の渦で埋まり、絶えることが無い。当たり前のことだが、この雑踏の中これだけ多くの人が行き交い、人との関わりを余り持たず、よそよそしく無関心で居られるのも、都会の姿である。

そんなところで六本木の交差点の案内板の前で、地図をかざし、目指す目標の○○ビルの方向は確かにこの方角で間違いないと思うのだが、置かれる周囲の状況から自信持てず、しばしこの案内板の前で思案していた。
その姿に背後から、お嬢さんが声を掛けてくれ、「どうしましたか?」と助け船。
「そちらの方向に、間違いありません」の一言が天の神に思え、嬉しかった。礼もそこそこに背中を押されるように自信を持ってそちらに向かった。
ん~ん、覚めた都会の中で、人と人と関わりが薄い時代に、極く稀であろうが思いやりや、情けが脈々と続いているのだと改めて、感心させられた。
それが、若い女性であったことも、幸運であったのかも知れない。(笑い)

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/