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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

多摩平の森に遺志を残した牧師

2021-02-13 17:14:00 | 多摩の四季
◇カナダの宣教師の布教活動
カナダからアルフレッド・ラッセル・ストーン牧師戦前から布教活動で長野県を中心に「農村伝道」の実践をしてきた。
終戦後昭和21年(1946)戦争で荒廃した日本に再び来日し、農村伝道を始めた。

◇此処多摩平の森の出会い
当時、日本には未だ布教活動の拠点と言えるようなものがなく、農村伝道の拠点作りに東京近郊をあちこち探し回り 昭和22年(1947)彼の故郷を思わせる美しい森である、此処多摩平の森に出会う。
この樹林はもともと大正天皇の御料地として宮内庁が造林した森で、ストーン牧師は一目見て、感動した。

昭和23年(1948)4月14日、念願であった農村伝道の拠点、「中央農村教化研究所」をこの地多摩平に作った。
<ストーン牧師の足跡物語がこのとんがり帽子の展示物に詳しく描かれる。>

当時の写真から 教会の開所式を祝福するかのように桜が満開であった。(現水道局の桜と推定される)

◇洞爺丸事故に遭遇し不慮の死
ストーン牧師は「日本復興のために農村伝道に身を捧げるよう、新たな決意を胸に誓った。
その後、東京近郊から日本全国に跳び回る多忙な日々を送る事になり、農村伝道の活動は北海道にまでに及んだ。
昭和29年(1954)9月、函館の教会で説教を終えたストーン牧師は東京へ戻るため、青函連絡船に乗り込もうとしていたが、不運にも洞爺丸事故に遭遇する。
身につけた救命胴衣を外し、日本は若い人が作りあげるのだと言って青年に譲り渡す。
この後、洞爺丸は沈没し、死者1155名、生存者僅か159名のという、タイタニック号に匹敵する海難事故になった。
9月28日の朝、ストーン牧師は遺体となって発見された、享年52歳。一緒であった米国出身でキリスト教宣教師ディーン・リーパーも亡くなる。享年33歳。
遭難の翌日、それぞれの母親によって、米国人宣教師に救命胴衣をもらって助かったという情報が新聞社に持ち込まれ、「北海に散った神の使徒」という題で報道された。
死後に、勲五等双光旭日章を追贈された。
作家三浦綾子氏の小説「氷点」の中でも洞爺丸に乗り合わせた悲憤の牧師のモデルになっている。

◇日野台幼稚園の歴史
1947年現在の多摩平の森に相当する土地はストーン牧師の尽力により宮内庁から購入する。造林した土地で、その規模は3万2千余坪に及び、当時の面影は今日にも散見される。
1951年(昭和26年)この一画約800坪は教会堂と園舎と宣教師住宅が残された農村伝道神学校
と附属保育園として日野台保育園が誕生する。
その後、取得した大半の土地は日本住宅公団に譲渡され、今日の公団の原型となる。
1959年、保育園から日野台教会附属幼稚園となる。
当園は、日野市で最初に認可された幼稚園で、当初からキリスト教保育を掲げてきた。
<植え込みの中、現在の日野台教会附属幼稚園で背後は協会が隣接する>


我が家の子供たちも、今は成人し、それぞれ独立したが、学校に上がる前の幼児時代に此処で世話になった。
父兄として、クリスマスや幼稚園の定例行事など呼び出され、園舎やグランドで一緒に、楽しみ、子供たちの逞しい成育振りを見守った。

◇その遺志が今日に継がれる
ストーン牧師は日野台の森にユートピアを作ろうと思っていた。この森を作り育て、ストーン牧師の精神と共に次世代引き継ぐものである
前述の通り、ストーン牧師は志半ば、不慮の事故で亡くなってしまったが、最後の最後まで、愛の手は差し伸べ、尽くされた。


日野台教会附属幼稚園では毎年、冬の時期になると、大きな木に電飾が飾られ、頂上には十字架が周囲を見下ろすようにさんぜんと輝いている。
ストーン牧師の追悼にも、思えてくるかがり火である。
子どもたちが、神様の愛に守られて、生きることの喜びを感じ、人間性豊かな心が育まれることを祈る。
そんなメーセージが託された、特別な意味を込められた、正に巨大なクリスマスツリーである。
一方ではストーン牧師が広大な大正天皇の御料地を買い上げ、此処に教会や保育園を建て、活動の拠点としている。後に周辺一帯は多摩平の森となる中核になり、このツリーがそのシンボル的な存在の役割を果たしている。


季節柄厳寒の中、人影も見えない漆黒の世界に、色取り取りの光が、クリスマスの温かい雰囲気を造っている。

遠目では見ていたが、一度、真直にこの姿を捉えて見たかった。
三脚を持参し、カメラを固定し、ISOの感度200、シャッター速度を2秒の長秒時撮影で、こんな画像が捉えられた。
真っ暗闇の世界で、見た目はもっと暗いが、シャッターの長時間解放が路面の様子までくっきりと、別次元の世界を捉えることが出来る。
『さあ~夜明けだ』漆黒の闇の世界がら、日の出を迎え、ロマンを呼んだ幻想の世界は終わった。

極寒の中、黒川公園を歩む

2020-12-18 21:58:00 | 多摩の四季
本格的冬将軍到来か、此処の所寒さが日増しに厳しく、とうとう氷点下の世界に突入した。
大陸から寒気団が日本海の湿り気を吸い上げ、山間部で大雪を降らし、乾燥した寒気が一気に関東地方に降りてくる。
日本海側では一晩で2mを越える突如の大雪に、たちまち輸送路を直撃、1000台余りの車両が積雪に埋もれ、身動きが取れなくなってしまった。

そんな寒気の中、朝の5~6時台は未だ真っ暗闇の世界、綺羅星の天空の乾燥下に放射冷却で、寒さが一層、迫って来る。
真っ暗闇の世界、平坦な道なら未だしも、高台に位置する多摩平側に抜けるには、自然の山道で木の切り株が走り、凹凸があり、しかも落ち葉の絨毯が敷かれ、殆ど見えない世界を登って行かねばならない。
加齢と共に足腰の筋肉が劣化する中、つまずくと、最早、跳ね返す反射能力もなく、そのまま、前のめりに突っ込むなど、危険極まりない。
滑った、転んだで整形外科に駆け込む老人ラッシュで賑わいを見せている。
それでなくても腰痛で前かがりで、危険予知で、難路を転ぶまいと、一歩一歩確かめながら、悪路の山道を越え、真っ平らなコンクリート道に出ると、ほっとする。
<中央高速道路を前に>
コース半ば多数の階段を登りきると、目の前を都心と多摩地区を結ぶ一大輸送路の中央高速とその先の奥多摩の山々の開けた世界を俯瞰することが出来る。

真っ暗闇の世界から、登ったばかりのお天道さんに照らされ、夜明けの関東平野の眺望を確かめる事が出来る。
写真の左側に高速を沿いを挟む形で色付く森が見える。写真では森の陰で見えないが、高架橋を渡り高速道を挟んで対岸の森付近も、一回りして帰って来ることも、別のコースメニュウに含まれる。
改めて、この高台からの眺望にその距離の長さを実感できる。
<黒川清流公園>
市街地を一回りしてスタートの黒川清流公園に戻ってきた。
真っ暗闇の世界から一転して、日が昇り、厚い落ち葉の絨毯が敷き詰められ地表が全く見えない。
落ち葉の中に、踏み固められた道との境界が見えない。

赤ズボンと白のトレナーの派手なユニホーム姿の高校生の集団が、目の前を走り抜けてゆく。よたよた足場を確かめながら疑心安危の爺の前をあざ笑うように、さっそうと走り抜ける姿に、唯々羨ましく、言葉もない。
<側道を歩む>
一面と広々とした高台から、宅地に抜ける急坂の側道出る。

人が一人歩ける幅の道の両脇に原野との境界を等間隔にポールと縄で繋がる柵が、道案内してくれる。
急坂でもあり、道を横棒が走り、階段状になっているが、ここも落ち葉が深く積まれ、路面が殆んど見えない。階段の節を足裏で確かめながら、降りてゆくが、節の見えないところで、節を踏み損ない、ふあっとしたまま、足を救われ、思わずバラスを失い、倒れそうになる。『危ない危ない』と自問自答の世界で危険な坂道を緊張感を持って降りてゆく。

小道は右に左に曲がり、繋がり、下に行くほど、落ち葉の絨毯は益々深く、何処までも坂は続く。
漸く坂道は終わり、道は平たんになるが、切り株などの突起物が,絨毯に身を潜め、油断も出来ない。
<池と鴨の風情>
最下層は湧き水が人工的に作られた導水路を経て池になっている。
池の水面は周辺の情況を映し出しているが水面が揺らぎ、光や影で鮮やかな曲面や変形を描き、美しい姿が目に留まる。

本来変化のない平面の水面である筈が群れなす鴨さんが水中で懸命に足さばきして、思うがままに遊泳し、彼らが移動する所が波になって伝わり、水面を緩やかな波が生まれている。
こうして、水面に光と陰を伴い、変化に飛んだモザイク模様が、眼に停まり、独得の雰囲気を生み出している。
親子の鴨であろうか、寄り添う様に泊り、周辺を伺っているものもあれば、群れで動いているものがさまざまな世界があった。

群れなす鴨は総じて殆どが茶系統の地味な色の姿をしている。
しかし、中には頭部が鮮やかな緑の原色の鴨が異彩を放っている。
美しい緑色の頭を持つマガモのオスである。
派手な色は、オスがメスへのアピールのためと言われている。
『どうだ!!男前だろうと』鴨仲間にも色気で訴えているのであろうか、
野外で実際に見てみると、日の光に当たって緑色に輝く姿は本当に美しい。

<水路は続く>
池から溢れた水が、再び水路を辿って、下流へ流れていく。
旺盛な落ち葉が降り注ぎ、水路を塞ぎ、たちまち水路から溢れ、周辺はたちまち水びだしになっている。
此処の所、殆ど降雨が無く、からから天気が続くが、多摩平側の地下湧き水の勢いは留まらず、黒川公園側に流れている。

『ああ~無事に完歩できたぞ~』

異常な暑さ

2018-08-05 21:12:00 | 多摩の四季
去年は8月9日午前中で36℃越えで、我慢比べも限界でクーラを入れた。
今年は7月14日既に40℃越えでクーラを入れ、昨年対比で4週間ほど早い
酷暑の襲来である。
7月から暑さが蓄積され、如何に今年が暑いか、よく判る。
猛烈な暑さは台風で多少のお湿りがあったが、その冷気も何処へやら
連日の猛暑は何処まで続くか、もううんざりである。

普段、活躍の機会の少ない、散水機であるが、ひっぱりだして見たが、
本体の樹脂が経年劣化でひび割れし、劣化している。
ホースを吸水口に繋ぎ、吸水口を開栓すると、散水機本体から、思い
切り水が吹き出し、暴れ回り既に散水機能は失っている。

この暑さにいても立ってもいられない、焼け石に水かも知れないが
早速代替品を購入した。

水道栓にホースを差し込む。
水道栓を開き蛇がくねくねと動き出し、水が勢い良く、ホースを通じて
流れ込む様子が、ホースから伝わってくる。
従来であると、この辺で水が漏れ出すが、全然、そんな兆候もなく、
やっぱり、新品の違いを感じさせられる。

散水機のアクアガンのレバーを挟むと勢い良く、シャワー が出る。
この細かい霧状のシャワーから自然と冷気が伝わり、見ていても
気分が良い。


庭の草花が熱気で干上がり、からから、精気を失い、うなだれて
いるものもあり、水気を欲しがっている。

次々に散水すると、霧で濡れた草花が、生き返ったように元気を
取り戻し輝いて見える。




やつあたりではないが、ガンの矛先は草木に留まらず、
籠もっている、熱を少しでも飛ばしたい。
コンクリートの壁が、熱気で熱くなり、触るとかなり温度が
高くなっていることが判る。
ガンを壁に当てると、湯気が立つように感じるが、壁が
冷やされ周辺の空気も涼気が漂う。
水で濡れた壁もたちまち乾いてしまう。

大地が計り知れなく、熱くなってしまった。
各地で観測依頼の高温記録が報じられる中、防ぎようも無く
ささやかな抵抗に、気分だけでも水撒きにかきたてられる。

日中、温まった空気が滞留し、夜間も30℃をキープ、寝苦しい
日々が何時まで続くやら。

「おのれ!!天敵め」

2018-07-17 15:10:00 | 多摩の四季
未だ7月半ばなのに、連日、異常な暑さ、梅雨らしき
ものないままいきなり盛夏を迎えてしまった。

この暑さに、毛虫が異常繁殖し、紅葉の葉っぱを
喰い荒らし枯れてしまった。
葉っぱが、明らかに虫に食われすかすかになっている。
こんな劣化した姿が、紅葉全体に及んでいる。
その幼虫は「ヒロヘリアオイラガ」と言われる。

日本の毛虫の中ではいちばんの毒虫で背中にイガのような
トゲトゲがびっしりついている。
目線を凝らすまでもなく、白に近い緑の派手な色の毛虫が
いるいる。
派手な姿だけに、居場所が直ぐ判る。
あそこも、ここも、群れをなしている。
葉っぱの蔭で潜んでいた敵も、殆ど動かないが、捕縛
した瞬間体全体をよじり、異常事態を察知し、抵抗を示す。
葉っぱや枝にこびりついている毛虫を長挟みで、つまみ
あげる。
一匹、二匹、捕っても、捕っても、その夥しい数に、
捕縛に追われる。
一匹捕まえてから、溝にぶち込んだが、捕縛現場から
溝までの移動が何ともかったるい。まして高所となると、
その度の梯子の上がり、下りが、非効率である。
そこで、手許に袋を準備し、捕縛後、フクロにぶち込んだ。

見るだけで気持ち悪いが
こいつに触れてしまうと大変危険である。

捕縛して用意したフクロに入れるが、揺れる梯子に、
長挟みにフクロ更に殺虫剤を抱え、不安定である。
グラグラ揺れる梯子に両手が塞がり、倒れまいとすること
に集中し、つい手許がおろそかになる。
そんな折にむき出しの手に刺さり、一瞬凄い激痛が走る。
毛虫に直接さされなくとも、フクロに付着したトゲが刺
さったのであろうか何処で刺さったか判らない。、
ガムテープを準備し、刺さった部分にテープの付着力で
なで、その部分にキンカンを塗り、その場を修めた。

「元々毒を持った人種だけに、毒を持って、毒を制する」
なんて高をくくっていたが、後になって、刺された部分
が赤く腫れ上がり、かゆみが残った。
揺れる梯子にその数30匹以上は捕縛したが、未だその
群れの仲間の存在が認められるが、その繁殖力の凄さに
驚かされる。
連日、この天敵退治に追われてしまった。
終わりなき、戦い、未だ黒黒とした糞が、残党の存在を
認められる。
「おのれ天敵め」

こちらでも書いてしまった

土木作業、妖怪との出会い

2018-06-07 16:37:00 | 多摩の四季

季節を告げるように、梅雨時に次々と花開くが、朝に開花し、夕方には落花する短命な一日花である。
開花した花に後発のツボミが控え、それぞれ順番待ちで開花してゆくので、複数のツボミが順次開くことによって細々と1輪、2輪で花開き、開花の繋ぎ役を果たしている。

何処からも無く「カナブン」がやってきた。1匹、2匹窓越しの明かりに吊られ「ブンブン」と激しい音を立て騒がし存在であった。、
その「カナブン」は夏つばきの葉が好餌で、貪欲な食欲にどんどん食い荒らし、夏つばきの葉っぱが無残にも食いちぎられる。限定的であった被害が、ドンドン広がり、樹木全体に及んでしまった。
にっくき「カナブン」テロに何とかならないかと思案の挙げ句、ふと目にとまり、登場したのが世紀の味方、「オルトランC]であった。
缶入りのスプレー方式で、ワンプッシュで一網打尽これは確かに扱いは簡単だ!!
夏椿が最も咲く時期に、「かなぶん」テロは最盛期であった頃合い見計らって、噴霧作戦を敢行する。
葉っぱの表裏、徹底した噴霧作戦は敵の殲滅に怨恨も込められていた。
翌日、木の下に累々と「かなぶん」の死体が多数、散乱し噴霧作戦は敵の殲滅に繋がり、 大成功であった。

しかし、テロ撲滅作戦が終了し、やれやれと思ったが、年を越えて、春を迎え、初夏になり夏椿の異変に気がついた。夏椿が完全に休眠、否仮死してしまったのである。
敏感で、一見、ひ弱な、夏椿までが、「オルトランC]の強い薬液に虫退治は元より、植物の生態系である、幹まで やられてしまったのである。
太い幹に、ぶちゅっと穴を開け、「一発、入魂」メネデールと言われる樹幹注入に、樹木活性化に望を駆けた。しかし、そんな願いも全く適わず、樹木に変化は現れず再び息を吹き返すことはなかった。
既にモニュメント化してしまった樹木をこ のまま何時までも、晒すわけにも行かず、重い決断に撤去にかかることにした。
短命の花だからこそ、華やいだ一瞬の出会いが、断ち切られ、後ろ髪引かれる想いであった。

◇伐採作業
愈、伐採作業にかかる。等身大の高さに鋸を入れる。徐々に頂部の重さに傾ぎ、手を差し伸べる間もなく、一瞬にして「ズシン」と道路側に倒れる。
綱でもかけ、安全に誘導すべきであったが、予想以上の重さに、為す術もなく、ただただ成り行きに任せてしまった。 幸いに実害はなかったが、正に倒木の終末を告げる歴史的な瞬間であった。
1本の切り落としに、腰痛を伴う体力消耗の気合と根性の戦いで幹の部分は直径10㎝余、長さ 50㎝程に分断し、搬出可能な形態に加工する。

◇根株の掘り起こしの挑戦
大工さんから穴堀りの土木屋に変わる。
簡単に考えていた穴の深さが膝を没する位に大きくなり、先の進まぬ地球の穴堀りに、気持ちも萎えてくる。
大量な堆積量になり、排出される土の量も半端では無く、 置き場所に困る位に多くなってきた。
堀割の過程で、スコップの先に固いものが当たり、何か異物を感じる。被った土を払うと、巨大な木の根っこが外周部覆い、頑迷に根を張っていることが判ってくる
張りめぐらされた根っこの全貌を明らかにすると、鋸による切断が必要になる。鋸が使える空間を作るため、更に掘り起こしは必要のため、益々大がかりにな ってくる。
掘っても掘っても進まぬ空間に、屈み込んだ不自然な姿勢は腰は完全に悲鳴をあげ限界を感じる


◇口開いた不気味な妖怪の姿
重い根株をごっそり穴の中から引き揚げ地表へ引き揚げ、難渋作業も節目を迎えほっとする。 初めて地上に現れた その姿は、恐ろしい妖怪であった。

根株の底の部分はご覧の通り、口を大きく開き、鋭い眼光で睨め付ける、奇々怪々の異様な姿が、浮かびあがる。
夏つばき様の薬害犠牲に始末されていく己に、このような形相で、睨みつけ、怨恨を晴らしてやると言わんばかりで あった。

この形相を生み出すそれぞれの穴は虫類の格好の餌場で浸食されていた。空洞の土を書き出すと、芋虫のような不気味な幼虫が、数匹排出された。居心地の良い暗い住み処から、いきなり明るい世界に放り出され、戸惑っていた。
貪欲な虫の前に内部の浸食は激しく、薄い皮一枚で囲い部屋が仕切られていた。

戦いの跡を物語る深い穴は根っこを一掃して、ご覧のような姿の空洞に変わる。周辺に排出された土を埋め戻し にかかり、土まみれの土木作業は終わった。

穴は完全に埋め戻され、平坦な土地になった。かって此処で四季を彩った夏つばきも痕跡残さず一掃され元の自然の土に帰った。重い重量物の掘り起こし、地表への引き揚げ、裁断とこれまでの激闘の姿が凝縮される。
一気に作業が出来ず、日にちをかけて根気のいる作業は、何とか終わった。久しぶりの肉体労働も腰痛に限界を究め、 やり終えた達成感より、激痛からの解放であった。

作業の詳細はこちらでも載っています、ご覧ください。
消してしまった「夏つばき」

ようこそ松崎家の世界へ

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