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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

柴又の下町文化

2008-07-03 10:54:00 | 旅先にて
朝から生憎の大雨、柴又でクラス会があった。
JRで新宿、日暮里、京成で高砂で乗り換え、ようやく柴又に辿り着く、2時間の旅は同じ都内でも、西の端から東の端に位置するのか非常に遠い所にある。柴又帝釈天に繋がる、柴又駅からの帝釈天参道は僅かな道のりであるが、虎さんに代表せれる気取らず、慣れ親しい、下町文化がぎっちり濃縮されている。

◇昭和の時代のレトロな雰囲気
そんな街中におもちゃ博物館が昭和の時代のレトロな雰囲気で出迎えてくれる。


ユーモラスなロボット人形の自動販売機が店先に立ち、人招きしている。おもちゃ以外も店先のキンチョールとかアース渦巻きの広告看板が30数年前の歴史を伝えている。
既に立ち消えてしまった「駄菓子屋」「オモチャ屋」「射的」「プロマイド」と、個人で蒐集されたコレクションが満載され、古き良き時代に育ったオジサン、オバサン達のふるさと回帰をここで演出するものであろう。
目まぐるしく変化の激しい時代に逆らうようであるが、こうした立ち戻りの文化に何か見失った物を見るようで、実に新鮮で楽しく、心揺さぶられる。

◇「かつしか語り隊」

ごったがえす人ごみに「かつしか語り隊」と背番号を背負ったジャンパーのおじさんが街中に立ち、彼等の経験から生まれた蘊蓄を背景に沢山披露頂き、道案内してくれる。
帝釈天を中心に「虎さん記念館」、「山本邸」など下町文化の一遍を知りたければ、柴又へ来いとでも、言うのか街ぐるみ、町おこしの取組が見える。
傍から、観光バスのおねえ様ガイドの旗に引率された、群れ集が観光バスから吐き出され、大量にやってきた。
折からの、激しい雨もなんのその、此処では関係なく、賑やかであった。

◇虎さんとの出会い


小さな柴又駅に、吐き出される客は殆どが帝釈天へ、中には黒のスーツ姿もここでの法事がおこなわれるようである。柴又駅前は既に帝釈天に通じる、道に繋がっており、駅前に虎さんの銅像が出迎えてくれる。その銅像前に背広に帽子、大きなカバンを下げた虎さんが何処からか現れ、たちまち観光客に囲まれ、愛嬌をふりまき、写真撮りに特段のサービスを行っている。
観光案内に大事な一役をかっており、3、4人で交替で担っている。

◇香ばしい匂いのアーケード街

アーケード街に入ると、プーンと香ばしい醤油の匂いが、胃袋を刺激する。老舗の看板の団子屋類が軒を並べ、参拝客を呼び声の声で手招きしている。雨音も激しく、降る雨も激しいのにも関わらず、切れ目ない参拝客の渦で、賑やかである。
此処ではもう気取りもない、伝統の江戸っ子下町文化の真っ只中である。

◇帝釈天
帝釈天に上がり、お参り。池と手入れの行き届いた広い庭園を網の目のように繋がる回廊から雨の降る風情は新緑が一段と輝き、見事であった。圧巻は式の草花と鳥や物語風の見事な彫刻が堂の外壁を覆い、その規模、繊細な仕上がりは、これまで見た彫刻でも一、二を争うぐらいの素晴らしいものであった。
「屋切の渡し」など江戸川の風情も見たかったが、滴る雨に既に全身つぶぬれ、靴も水中に没する激しい雨に、ここで断念し、川魚料理で有名な「川甚」で宴会を行い、旧懇を温めた。
天気のよい日に改めて、虎さん風情に心酔したい下町の一角であった。

梅雨の合間に 甲州古道

2008-06-11 11:58:00 | 旅先にて

うっとうしい梅雨も一休み、ならばと前回預かりとなっていた甲州古道に再チャレンジ、高尾から小淵沢行きに飛び乗った。高尾からたったの一駅の相模湖であるが、小仏越えが回りの世界を一変するぐらいに、遠い世界である。
前回はこの小仏越えで甲州古道を小原宿に入ったが、今回は相模湖駅から戻ってリスタートした。甲州古道は小仏を越えてもう山道はないが、現甲州街道と重なったり、離れたり、頼り無い地図と写真のような僅かな古道案内を頼りに西下する。
地図も案内碑も全く頼りならず、途中迷走することもしばしばながらの旅は行きつ戻りつの繰り返しで、決して順調な道のりではなかった。

途中、山道に入ったり、高速道の下を潜ったり、徐々に狭くなる現甲州街道をダンプが直ぐ脇を通りすぎる危険な場所もあるが、その宿々に古い家並みや樹木に埋もれた中に本陣跡や関所跡を往時の姿を重ねながら、一つ一つ丹念に、潰していく。
小原宿から始まり、今回、足回りの関係から上野原に辿り着ければまあ良しとする、目安を持ち、途中の節目の一つは吉野宿の五層の建物であった本陣跡であった。明治29年の火事で僅かな土蔵と旅籠「ふじや」が残すだけであったが、ダンプが走り抜ける脇をけなげに生き残っていた。資料館として開放し、畳み部屋に当時の旅籠にそのまま触れられることが大変嬉しかった。
この古道の脇には巨大な相模湖が遥か眼下に見え、大小様々の山を含め、懐の深い自然の中に居ることで、旅の行く手を慰めてくれる。
途中で同じ道を歩む、ご婦人と後半は上野原宿までご一緒できた。道々お互いに確かめあいながら、歩んだが関野宿の坂道での分岐で、思い切り道を外し、2~3㎞は逆走してしまうなどハプニングもあったが、何とか上野宿に辿り着いた。炎天下遮る物も無く、目一杯汗をかき、足はまさに棒のようであったが、思い切り、足を鍛えた1日であった。

みなと横浜の姿

2007-01-27 14:14:00 | 旅先にて
◇氷川丸

みなと横浜に代表される氷川丸とマリンタワーは観光の目玉として輝いていた。
今にも動きそうに見える氷川丸はスクリュウと方向蛇を落とし、巨大な浮島化している。
憧れのシアトル就航の貨客船として登場したが、復員船など多目的に利用されるなど、戦前、戦後の中に生き抜く、数少ない歴史の生き証人でもある。
太平洋を往復し10、000トンを越える船がこの大都市で手短に見られることで、大変人気を呼んだ。
一方では世界一の高さを誇る灯台として、マリンタワーも横浜名物として人気をはくした。
しかし、訪れる観光客の趣向の変化により観光客が激減し、遂に昨年末を持って、両者共閉鎖に追い込まれた。
その運営維持を当たっていた「氷川丸マリンタワー株式会社」の手から離れ行方がどうなるか心配したが、マリンタワーは横浜市へ、氷川丸は日本郵船の手にそれぞれ渡り、化粧直しの上、再び、復活するとの朗報に安堵した。
これらの馴染みの観光施設とも併せ、大桟橋始め、桜木町側の三菱造船跡地がみなと未来を思考した街づくりで大きく変わろうとしている。
大桟橋から眺める炯眼にレインボーブリッジや、マリンタワーより高い巨大な風力発電所の出現など大胆に変化する姿が手に取れるように見える。
造船跡地や周辺の再利用では赤煉瓦建物、歴史的な遺産のドックヤードをそっくり残し、ドックヤードガーデンなどで新たな観光の目玉となっている。
古き伝統を生かしながら、新しいものを模索し、未来に挑戦するエネルギーに、感心する。

◇大桟橋、海岸沿いの赤レンガ、など港歩き

大桟橋から停泊中のにっぽん丸、海岸沿いの対岸にお馴染みの赤レンガがとその背後にランドマークタワー他、みなと未来の大構想の中で誕生した高層建物群が立ち並ぶ姿が目に入る。
お手軽で楽しめる港横浜、港の見える丘公園の海岸側の駐車場に車を置き、其処からテクテクと海岸線を歩き古さと新しさを混ぜ合わせた街を歩く。
横浜と言えば代表的な名物の二つが昨年末を期限で一先ず幕引きを迎えた。その一つ氷川丸は停泊した姿はそのまま残すものの、金網で遮られ、再び船内に入ることは出来なくなってしまった。
風に煽られ波うつ雄姿と人が与える餌に寄りつき、人を恐れないカモメの泣きわめく姿はそのままであったが、寂しかった。
丘側のもう一つの名物マンリンタワーも大きな別れの挨拶分の白紙に閉鎖が告げられていた。
但し、コチラの方は改称後装いも新たに最登場するようである。
洋上レストラン、結婚式場、観覧場等々港横浜を訪れる人々の集客に役割を果たしたが、世の中の趣向の変化にかっての光を浴びた物も客足が落ち、淘汰されていったのであろう。
山下公園を通り、大桟橋へ向かう、写真の大型客船が停泊していた。
桟橋の建屋にみやげ屋が目白押しに並ぶ姿は変わらないが、その建物外側が何処までも緩い曲線で外装され、コンコースになっている。
港に突き出た桟橋からベイブリッジなど360°の眺望が楽しめる。
コースは板が張りつめてあったり、緩やかな凹凸のついた人口芝など人に優しい空間は散策を楽しめ、かったんも思い切り走りまくって、逞しく楽しんでいた。
桟橋から赤煉瓦側の岸壁に辿り着いた頃、この大きな客船がタグボートに引かれ、大きな汽笛を2、3度鳴らし桟橋をゆっくりと離れていった。
ものものしい見物客の中、何時の間にか登場した制服姿の音楽隊がマーチを鳴らし、派手な見送りのセレモニーに遭遇できた。
その船影を見送りつつ、赤煉瓦で買い物し、日の落ち掛けた港から足早に帰路についた。

僅かな一角ですがここでご案内しています。

みなと横浜ぶらり旅


格好良く長生き 西伊豆

2005-12-10 10:06:00 | 旅先にて
◇東名海老名で合流、土肥へ
夫々、別々に出発した各車が無事に海老名で合流する。
「あっ!!ジイジイ」とにこにこ愛想をふりながら手を振るカッタンらを見つけ出し、物凄い混雑の中で東名海老名パーキングに全員集合。4台の車両がそれぞれの所から駆けつけ、大キャラバン隊が列をなし、沼津icから西伊豆スカイラインを通って、修善寺経由で土肥に向かう。
天気はそこそこ晴れであったが、スカイライン山頂は物凄い風、吹き飛ばされそうであった。

◇西伊豆スカイライン

尾根伝いのきつい急カーブが続く。ガードレールの向こうは谷底、一歩間違えれば、谷底ダイブ息の抜けない運転ではあるが、一方ではダイナミックな連続操作は山岳ドライブの醍醐味でもある。
直線路からコーナーに入る時はブレーキングしてスピードを落とし、カーブの頂点を目標に進入し、頂点を過ぎた頃合いを見て、アクセルを強く踏み込み加速する。これの繰り返し操作である。
道幅の広い西伊豆スカイライン未だ良く、余裕を持って走れる。
この山岳ドライブは思いの外、同乗者にはきつかった。そんな中にあって、拝車には後部座席に米寿の義母、助手席にはかみさんが乗った。
時折、様子伺いに義母に「大丈夫か」と声をかけたが、意に返さず「大丈夫」の声にそのまま走り続けた。
スカイラインの戸田で小休止、しかし物凄い烈風が吹きまくり、休む所では無かった。遥か山間に戸田港とその先に繋がる駿河湾の素晴らしい眺望見えるが、吹かれる風に体が浮き上がり、とても落ち着いて見られる状態ではなかった。
当日、何とかそのまま、つづら折りを降りて、無事に土肥の温泉宿にたどり着け、早速入浴、思い切り足を延ばした。途中でカッタン昼寝したせいもあってか、大宴会場では大ハッスル、ステージでの踊り、皆に振りまく愛嬌に完全に主役となってしまった。

◇翌日、土肥金山~沼津~東名~帰宅

写真の花時計での素足で周回出来るようになっているが、とんがった石で固められた部分もあり、周回どころか、数歩で諦めるなど、挑戦し、楽しんだ。
旅人岬で海岸線の眺望を楽しみ、近くの土肥金山等に寄って、海岸線を一路、沼津へ向かったが、途中で雨が降り出した。
宿を出て西海岸の県道17号を沼津に向かう。
西海岸を走る県道17号は山あり、海岸線ぎりぎり、道幅も狭く、場所によっては両側合わせて1.5車線なんて所もあり、いい気になって走っていると、いきなり対向車なんてことも予想され、神経張りつめて、運転した。前日以上にカーブがきつかった。
途中で隣のかみさんが気分が悪くなり、顔面蒼白、戻しそうであったが、先行の車がスクランブルがあったようで、途中で止まった。出るまで元気であった、カッタンがどうやら、犠牲者になってしまったようだ。
始末をして再びキャラバン隊は発車、暫くは拝車の中も助手席は激闘が続いたが、薬も効いたのか落ち着き寝てしまった。
沼津の魚市場で昼食を取ったが、観光客で大ラッシュ。雨の中観光を諦め、買物・食事に押し寄せたのか、駐車場の順番待ちで身動きが取れなかった。

◇事故渋滞の渦
その間、東名の事故渋滞に巻き込まれ、延々の長時間乗車であった
沼津市内で既に大渋滞、おまけに東名、上り車線で海老名付近での乗用車の追突事故で35キロの渋滞に巻き込まれる。
平均時速5~10キロ、アクセル、ブレーキの繰り返し、耐久レースに流石の右足もしびれてくる。ようやく我が家に到着、疲れて横になっても、眩しい車のライトの光の渦に居る様で、久しぶりのドライブに興奮していた。

◇強さの義母
義母は姿勢を崩さず、目は廻りの景色を追いながら、何事もなかったように平然と乗っていた。
筋金入りの強さは微塵にも揺るがない、まさに格好良く、長生き出来る姿があった。

お台場風景

2005-02-18 11:04:00 | 旅先にて

前日の寒さがが嘘のように、風もなく穏やかな、のどかな一日であった。都心に用事が有り、時間調整の一時お台場に寄ってみた。台場から海浜公園沿いを船の博物館まで、のんびりと歩いてみた。何故に今頃と思うが、暮れに行った韮山の江川太郎左衛門英龍の一大偉業の一つ、台場のたたずまいを確かめたく、自然に足が向いてしまった。
黒船来航により、国を震撼させ、急遽人工島を作り、大砲を据え事を構えた。某隣国が原子爆弾を持ち、核の背景から脅しをする、類ははるか遠い江戸時代の黒船と余り変わっていない。
お台場は狭い要路を立ちはだかるように、船の航路を邪魔している。砂浜沿いに広がるパノラマはレインボーブリッジ始め、高層の住宅など近代的な建築物が立ち並ぶ中、船が目の前を通りすぎる。
砂浜上や周辺にはやたら目立つのは警告看板の多さに、辟易するが、此処までやらないと、環境がすぐ崩れてしまうのであろう。一面に繰り広がる砂浜はゴミも無く、水がとってもきれいであったのが何とも救われる。爽やかに吹く海風にビールを飲みながら、対岸に映る景色を楽しんだ。砂浜に戯れる群れ、一方では昼寝をむさぼる娘、のんびりした一時であった。

ようこそ松崎家の世界へ

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