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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

自転車交通違反で逮捕

2023-10-06 21:58:59 | ライフワーク

東京都内の交通事故で、自転車が関係する事故の占める割合は年々増加傾向となっている。
警視庁は、自転車の悪質な交通違反についてこれまで「警告」にとどめていた違反にも刑事罰が適用される。対象となる交通切符、いわゆる「赤切符」を交付して検挙する方針を固めた。

そんな当局の思惑にまさかと思ったが、はまってしまった。

<豊田駅北口の正面の通りでたましんの看板の先、車が停まっているが、その先がスクランブル交差点である>

①9月某日、立川の病院行きに自転車で豊田駅へ
イオン前のスクランブルで見張っていた交通機動隊に声を掛けられた。

信号無視をした、してないでもめたが、其の場は身分を明かし電話番号告げた。
何時も通る場所だけにまさか、それが捕縛の一歩とは思いもよらなかった。


②数日後、約束通り、覆面パトカーで近所へ来る。
車に誘導され、当日の隊員と調書取の警官2名で車の中で約1時間半、息の詰まるような尋問の嵐とそのやり取りで、時間を労した。
当時の情況を再現し、スクランブルに入る前の状態から、スクランブルが開く迄、不確かな当時の情況を再現し、先方が見ている状況と照合する。
信号無視、した、しないなど、スクランブルでの行動を事細かに散々もめたが、向こうの言い分となった。
速度計も付いてないのに、その時のスピード迄、問われ呆れて、返事もしなかった。

当時の情況を事細かに言葉で交わしながら、文書に記述するので、時間もかかった。
供述調書を取られ、違反キップが発行される為のメモ紙、数枚びっしり書かれた。
結果的にはスクランブルで自転車乗ったまま渡ったことであった。

一連の記録が書き終わった後、最後に期日、時間指定で栽培所への出頭命令が出る
③出頭迄約1か月、
手許に残されたキップを前に果たして重罰か、結果を貰うまで鬱な日を送る。
③裁判所
愈々出頭日、立川からモノレール高松駅で下車する

<駅から徒歩5分、これから向かう出頭先の獄門は10階以上の真新しいビルであった>


玄関口から入ると持参のバック含め、取り上げられ厳しい関門
玄関口から建物内をスルー、向かいの出口に出て建物の外周沿いの一角に愈々獄門場所へ向かう。
控室を前に受付でキップを提出、番号札を渡される。
向かい側に警務課と検察課が夫々隣り合わせ、表示灯で番号案内されるので夫々の課のカウンターに向かう。
1)警務課
最初にこれまでの違反内容を再び確認する
ここで、反論し意義を申し立てれば裁判にかけられるが
もはや、其の元気もなく罰金刑があっても覚悟し、早く終わらせたいと簡易手続きの道をを選ぶ
2)検察課
警務課終了後、一旦待合で待機
検察課へ愈々入門
閻魔大王の怒り狂った顔を思い浮かべたが、冷静な対応でいよいよ、最後の判定を言い渡される
検察官と向き合い、ああ~神様とその差配を待つ。安全のため刑法を順守することを言い渡され処罰なし、罰金刑もなく放免された


④終わって
重い重罰を覚悟に、何ともいやな思いが課せられた期間であった。
厳しい取締を聞いてはいたが腰痛の為、歩くのもやっとの、老体を苦しめるのかと腹が立つ


我が家から、何処に出るにも距離があり歩くのは困難で、自転車が足替わりであるが、規制強化で益々乗りにくくなる。
替わりにバスもあるが、最近は減便となり、1時間或いは数時間に1本と足回りが不便になった。
そんな折に起きた自転車規制強化、益々外に出る機会は失われていくことを危惧する。

自動車の違反はその場でキップを受け取り、後で7000円の支払いは痛かったが、処理はその場で終わった。
事故を想定しても、自動車の感覚がこの程度に済んだのに、何故自転車がこんな重い重罰を食らうのか、正直言って判らない。


体の衰えを前に闘う

2023-05-29 11:33:52 | ライフワーク

加齢と共に自らの筋力の劣化は信じられない程、進んでいる。
その、代表の一つは腰痛でなかろうか
悩み深い、同病者が多数いることから、痛み解消の薬用を勧めている公告が新聞紙上で賑わしている
その効果は様々であろうが、此処では薬用とは別にそれ以外に出来ることはないのか、模索しながら日頃の活動を紹介する。

(1)痺れ、痛みの要因は

腰椎は5個の椎骨から成っており、椎間板、椎間関節、靭帯により連結されている。
体全体を支えているため、大きな力がかかっている。
腰椎の椎間板や椎間関節が動くことにより、体を曲げたり伸ばしたりでき。
脊柱管内で神経を保護している。
上半身の体重を支え続ける腰。特に重い物を持ったり、立ったり、座ったりは大きな負担になる
それを長年繰り返し継続した結果、腰の骨の間を通る神経の道は細く閉ざされいき、結果として痺れや痛みを発症させてしまう。
特に座骨神経痛は腰から下半身にかけて枝分かれしながら、伸び続けているため、根元が損傷すると影響は下半身全体に現れることもある。
車の運転など長い時間、同じ姿勢を続けることで、腰椎回りの血流を悪くする。
血流の流が滞留してくれば、筋肉の中で出来た疲労物質や痛みを発する物質もそこに居座り、腰痛を感じる。
お尻から太もも。すね、ふくらはぎにかけて、鋭い痛みや痺れに、悩まされているなら、まず腰の部分の神経の損傷を疑ってみるべきであろう。
2)骨全体はS字状のわん曲構造
また人間の骨には側面から見ると独得のS字状のわん曲があって、この形を支えるのは腹筋と背筋の役割である。
所が加齢と共に自然に劣化し、この生理的なわん曲を維持できない。これも腰痛の避けて通れない現象である。
3)急性期腰痛の保存的治療
安静と活動の継続
急性期で炎症が強く痛みが激しいときには、安静にすることが大切である。
しかし、動ける程度の痛みならば、安静から、一歩踏み出し、通常の活動を継続したほうが早く回復し、慢性化を防ぐことができるとも言われている。

◇筋肉の活性化
以上を背景に動けるうちは動こうと、身の丈にあった朝の散歩を心掛けた
1)思わぬ落とし穴に遭遇
路面のちょっとした段差も、踏み違え、バランスを失い、転倒事故に繋がる、事故回避から、路上の段差、障害物はより慎重に身構えないといけない。
普段何気ない歩行もどうしても楽な姿勢をとりたく、前かがみになってしまう。
路面の突起物に一端、引っかかると、体のバランスを失い、前のめり気味の傾斜は、最早復元力を失い勢い余って、そのまま、前のめりに倒れてしまった。
歩道の段差の縁を踏み外し、加速のついた体が,静止効かず、そのまま空中ダイブした。
その折に運悪く路壁に顔面を殴打した。
事故当初は直接顔面を壁面に叩きつけ、ショックは大きかったが、打撲の痛みは大したことなく、外傷もなかったことから、そのまま放置した。
所が、数日後殴打した部分が膨れ上がり、黒シミがどんどん広がり、鏡に既に張を失い、しぼんだ薄暗い面相に、正に死相に溢れた妖怪姿であった。
これは大変だと、変容した顔でかかりつけの脳外科に、飛込、危急で早速見て貰う。
レントゲンの撮影結果は骨折はなかったのは幸いした。
但し、腫れた顔面から、内出血しており、その間、頭の中に血液が溜まる可能性を秘めており、1~2か月後にMRI検査することになった。色々な角度から撮られた画像から、心配した血液の塊はなかったことに安堵する。
自ら招いた、つまずき事故、大事にならずに、一先ず収束した。
一瞬の先は予想も付かない危険の世界を改めて思い知らされた。

2)周辺を一回り
我が家の背後には我が家から100m程北側に位置する黒川公園である。10数mの段丘になっており、周辺一体は生い茂った樹木に覆われ、段丘の下は絶えず湧き水が流れ武蔵野の面影を残す自然一杯の場所である。
周辺の宅地開発が進む中、唯一残され自然が守られている市内の代表的な公園の一つである。
湿地帯と、人も入れぬ鬱蒼とした藪には動物達の格好の居場所なのか、まむし注意の看板もあり、当地にきてから何度か、ぎょっとするご対面もある。
四季を通じて、散策や犬の散歩、ストレッチするおばさんの群れが訪れるほか、湧水では真夏に水遊びする子供たちなど、自然が住む住民の中に溶け合う場所である。
高低差を持ち、この変化に飛んだ自然路を中心に、最早劣化した足の筋肉と腰痛を抱えながら、身の丈のあった散策を心掛ける。

坂道は足の筋肉に負担がかかる。痛いことが判っても、それを避けることは筋力増強に繋がらない。本人のみぞ知りうる痛みの限界、無理せず何処まで頑張れるか、痛みとの戦いでもある。

(1)黒川の段丘を越え日野バイパスへ
  コンクリートで舗装され住宅地から、湧水路を越え黒川公園に入る。

 草、切り株に覆われた自然路の中、突き進むと緩やかな勾配の坂道が続く。尚坂道を進むと急こう配の傾斜路に出る。足場は材木が横に敷かれ階段状になっている。道の両脇はロープが掛けられ、一応手摺になっているが、歩行位置と離れており手摺になっていない。足場の間隔があり、急傾斜の場所での登降りは掴まるものが無く大変危険である。漸く1人歩ける狭い道、転倒経験から、転ばぬ先の杖、一歩一歩、足場を確かめながらの歩行は殆ど視線は下向きになる。先の見通しが立たないために、突如、人との遭遇に、始めて気付く。道脇の隅で待機し、すれ違いの事故回避に謝意の挨拶を告げる。

狭い道に左右から雑草が生い茂り、行く手を阻まれる以前なら一気に登れたが、息が切れ、途中で一呼吸する。

(2)バイパスをひたすら東下する
 この急坂を上りきると、一気に開け、コンクリートの平たん路に出る。住宅に囲まれた路地を暫く行くと、多摩地域と都心を結ぶ輸送ルートで目の前を走行する車両の轟音の渦に入る。片側2車線で左右とも車両が列をなし、何時も車の渦であるが、何故か御覧の通り、少なかった。

急坂から平たん路になったが急坂で既に足腰が負担がかかり、足元が怪しくふら付く。

バイパス路を真っすぐ向かうと、坂に出て万願寺方面から多摩川に繋がる。右側が黒川段丘の頂部になり、 道沿いに樹林帯の縁になり、季節によっては黄金色に輝く樹木の落ち葉が、光輝く。生い茂った樹林帯は動植物の生息地帯で兜山とも言われ、子供たちの兜を追う、山野でもある


(3)頂部で休息
 バイパスを暫く東下すると神明の急坂との交差点に到着する。交差点は神明の坂の頂部に当たり、付近を俯瞰出来る

大変眺めの良い所である。坂道を挟んで道脇にはベンチが設置され休むことが出来る。

 

バイパスから離れ、坂道を下り方向に目を転じるとその先が多摩丘陵、その右手のが高層ビル群が更にその先が霞がかかった奥多摩方面が伺える。

 

散策を始めて、山を登り、此処まで辿り付き、登ってきた丘陵方面を振り返ることが出来る。奮闘した坂道を克服し、此処まで辿り着くと、矢張り痺れを感じ始め、ベンチで一休みする。

ベンチから、右手に丘陵地帯、その一角に白い姿のマンションが見える。その付近が我が家に近く、当日登ってきた軌跡をたどることが出来る、ゴールまでは未だ未だ道のりは遠い。その丘陵地帯の上に多摩平の森に新たな高層のマンションが建ち、周辺を俯瞰するような姿が聳え立っている。

暫くの痺れの回復を待って、この坂道を下り、腰を折り曲げ、揺れながらコースの終幕を迎える。

何度か歩くうちに、痺れの限界は時間の経過で予測できる。痺れを引きづりながらの歩行は大変辛い。しかし、此処で一休みすると、痛みはリセットされ、魔法の力が備わる。

3)果てさて、継続は力なり
 同じ道歩きでは、飽きてしまう。お陰様で地域的に起伏に富んだ山道が周辺に存在する。幾つかのコースメニュウを 準備し、一つ、一つ徒破し筋肉劣化対策としている。


新旧物置の更新

2022-11-28 13:40:15 | ライフワーク

長い間使い続けた物置も屋外で風雨に晒され錆が全体に及んでいる。
雨水が溜まりやすい天井部や内部の床部分などは特に浸食が激しい。
前面の左右の扉は下部に車が付き、床部分のレールに乗せられ、開閉が出来た。
しかし、車も脱落し、レールも錆びつき、破れ、穴が開き、最早、鉄の塊でレールの面影がない。
こんな状態で、無理きり扉を開け閉めすると、扉が思わぬ方向に脱線し、修復に開け閉め操作を繰り返す必要がある。
思うがままに開閉出来ず、鉄箱にガタンガタンと壮烈な叫び声が響き渡る。
設置場所は狭い路地を挟んで隣接する隣の家とは塀で仕切られているが、猶更反響する。
こんな物置に『もう限界だぞと』そそのかされて、在来品は幕引きの時期と解体処分し新規品に置き換わり世代交代の時期と判断した。

◇解体処理
早速、ネット上で物置の解体作業処理を調べてみる。
設置済みの物置の解体作業は専門業者があり、作業着姿の御兄さんが物置に乗っかる写真入りの記事がネット上で賑やかに載って居る。
解体対象の大きさで、費用が決まるようであるが、今回の対象物件では、その事例から、解体、引き取り含め15、000円が相場の様であった。
新品の物置の価格はピンキリで色々あるが、ほぼそれに近いものがある。
解体、引き取り費用は新規購入品と同程度の価格が掛かることが判った。
価格に改めて驚くが、職人さんの費用、引き取り代を含めると、そんなものかとも一方では思える。
しかし今回はリスク承知で解体作業を自ら取り組み、解体品を整理し、市の粗大ごみ処理で引き取りすることで、結果的に引き取り費用1,000円のみで済む道を選んだ。

◇立ちはだかる鋼材
たかが鉄箱、ネジさえ緩めれば解体分離出来ると思っていたが、鉄材同志の長年の堅い絆はがっちりと固まり、ガンとして許さず分離は撥ねつけられた。
ネジと締め付けられた鋼材部分が錆で一つの塊になっていた。
そこで文明の利器KURE 5-56が登場し、錆を落とし、接合部の動きを呼び起こす溶剤にかけた。
これでかなり抵抗した部分は遂に崩落し、無駄な抵抗はこれまでと遂に、緩め分離に成功した。
しかし、それでも残りの幾つかは最後まで抵抗した。
板金は鉄材として処理そのまま再利用も無かろうと、最期まで抵抗する鋼材目掛けて、腰を曲げての、ハンマーを打ち下ろし、ペンチで捻り、ねじ切った。
『バコーン、バコーン』と静寂な住宅地に時ならぬハンマーの打ち下ろしから激しい衝撃音が鳴り響き辺りを憚ったが、咎められることなく、爆裂音は収まり解体処理は何とか収まった。
何とも騒々しいが、解体処理の幕引きを告げる、響きでもあった。
解体した板金、鉄材は壁際に集め、整理し、1週間後の回収を待つのみとなった。

◇物置の購入
在来品の解体処理に併せ、新機購入品の選定が必要であった。
ホームセンターで組み込み完成品を現物確認し選定するか、ネットで探すか迷った。
結局、自前で組み立てする山善製HSSBー098 で材質は多少グレードを上げ亜鉛メッキ鋼板とした、廉価版が魅力的であった。
商品に関し、売り手側の一方通行の宣伝だけに留まらず、気になる点が購入者の目からレビューされており、良いものもあれば厳しい意見も賑わい、参考になる。
組み立て加工に果たして素人が出来るのか一抹の不安もあったが、ネット上でも同様の意見があったが何とかこなしている記事もあり、組み立ても自前という事にした。
そんな情報を読み取り、amazon経由で購入することに決定、早速申し込み、購入の番号を確認し近くのコンビニ端末から代金を支払う。
その間、製造元の出荷先から都内到着、市内配送と配送ルート上で、  現在何処に在るのか、メールで逐一連絡が来る。
発注後翌々日に手許へ配送された。


物置写真の大きさのイメージがあったが、板金と骨材が重ねられ圧縮されたコンパクトの梱包で纏められていた。
  トラックから配送業者が軽々と担がれ受領確認の上手許へ、届けられる。重量20㌔もあり、1人では扱いきれぬ重量であった。目の前を悠々と運ぶ配送業者さんの姿に、逞しく鍛えられた体力を見せつけられた。

◇いよいよ組み立て
さーて、いよいよ組み立て開始にかかるが圧縮された梱包材を前に果たしてどんな姿で目の前に現れるか、ワクワクする戦い前の一時であった。
組み立て説明書が同梱されており、早速開いてみる。
12pに及ぶ説明書で、素人でも組み立て出来るように、画主体の手法で組み立て開始から完成まで順番で描かれている。取りつけは全てネジでドライバーがあれば組み立てられる様工夫されている。
最初の取っ掛かりの組み込みは、支えるものがないフラットな底板を倒れないように支え、立てた状態で側板をはめ込む。支えながらの組み込みの一人作業は厳しく、二人作業を薦めている。
どうつなぎ合わせるか、説明書の絵と現物が中々会わない。
戸惑ったが何とかはめ込みに成功し、組み立て品が自立出来ることで、漸く最初の山を越え、後は順次組み立て品を加えて行く。
組み込みが順次進み、筐体として形が整い、組み立て細工のようで楽しくなっていく。


写真は既に自立し、背面部の取り付けに掛かるところ。

◇部品番号の表記が組み立て支援
多数ある組み立て構成品は夫々番号が貼られ、現物の識別が番号で確認出来る。現物に貼られた番号の向きが説明書の表記と一致しており、組み立て時の、上下、左右の位置関係がこの番号札で判り易くなっている。

◇組み立て完了
◇扉はレール上に載せる
扉の上部には車が付いており、扉を斜めにして、下図のようにして内側からレールに載せる。レールは外側から見えないため、はめ込みに苦労する。車が上手くレールに乗ると快適に扉の開閉が出来る。
前面左右の扉を奥に位置する左側の扉をからはめ込み、次いで右側の扉を手前にはめ込み、一応完成する。

◇収納庫のねじりから扉閉まらず
据え付け後、シャリシャリと軽い音を立て扉はスムースに動いた。
しかし、矢視表記されている扉の当る部分と扉の間に隙間が生まれ、完全に閉まらず機密性が失われる難問に遭遇する。

原因は底板の水平が取れておらず、『収納庫がねじれている』のが原因と考えられ、収納庫が水平になるように調整する。…組み立て説明書による
ネットワーク上でも、この種のトラブルが発生していることが上げられ、それぞれ対策されているが、果たしてどのように処置すべきか悩みどころでもあった。
◇ねじれへの挑戦
基礎部分はコンクリートのブロック片を4個置き並べその上に収納庫を載せているだけで、水平が取れているか余り意識はなかった。
だいたいねじりのメカニズムと言われても、据えられた収納庫の外観の姿からとても判りずらかった。
ならばと下図のように、収納庫と基礎材の間にスペサーを入れ、様子を見たら、収納庫が傾きが微妙に変化し、閉まらなかった扉の隙間も変わってきた。


試行錯誤で絵の表示の通り、スペサー片の枚数を変えるなどして、一番良い所を探して、完璧に隙間が無くなり収まった。

◇漸く完成
組み立て作業は予想しなかった幾つかの節目を、越えて何とか完成する。
錆びつき、ぼろぼろであった旧品からテカテカに輝く立派な佇まいに一新され、置き換えられた。

早速、屋外にむき出した庭の補修用としての砂利、肥料、薬品、道具など新しい物置に入れ変わった。
物の出し入れに、がたびし音を立て騒々しかった物置も、静かに扱えるようになった。
◇回収作業
指定日に回収トラックがやってきた。既に大型家具が積まれた荷台に解体された物置の鉄板類が跡形も無く次々と投げ込まれ、片付いた。

休みもなくあっという間の回収作業、回収トラックは次の回収場所に向かっていった。
走り去るトラックに一連の作業はこれで終わった。幕引きを飾るに相応しいトラックの見送りであった。
時代の遺物を前に解体、引き取り、組み立ての一連の作業は容易ならざる事を実感したが、金を掛けずに殆ど自前でやり遂げられた。

多種の構成部品に素人向けに如何にして組み立てし易くするか、工夫され、こちらでも紹介されてます。ご覧ください。
『物置』置き換への挑戦


舞い込んだ一枚の手紙

2020-01-20 15:13:00 | ライフワーク
新年開けて間もなく、折り畳みのはがきが届いた。
はがきの内側は、艶々の表面にコーテイングされた手の込んだ
立派なものであった。
送り先は内閣府、大臣官房政府広報室からの世論調査であった。


目的は国の政策立案に対する意識調査と漠然としたもので、ある
が住民基本台帳から選ばれた全国1万人の一人とあった。

中身はともかくこのような立派に装丁されたはがきに、これまで
縁の遠い内閣府から直々の通達に名誉あるものであった。
実際の調査は情報管理を徹底されプライバシーマークの認定受け
、内閣府から依頼された専門商社と表記されている


しかし、今周辺には手の込んだなりすましが、多く率直には受け
入れがたい。
ネットの世界では混迷を深める疑問に解決に繋げようと安易に検索
をかけると、海千山千の渦が引く手あまたでやってくる。
真に解決に結びつければ目出度いが、世の中それ程甘くなく
それが糸口になって、巧みに引きずり込んで何か買わせよう、契約
させようと、金がらみに繋がってくる。
一方では架空の全国信用債権事務局を語り、サイトの利用請求を
するハガキなど、送り付けられ、水際まで魔の手が及んでいること
を体験している。
そんなことから、見ず知らずの処からの来信は先ず疑いを持っ
てかかることが、自然に身を着けてしまった。
<パソコン画面の向こう側から、何やら怪しい妖怪が身を潜め
獲物を狙っている>


この手の類は内閣府を語る、なにか仕掛けが隠されているのでは
と一瞬思いこんでしまうぐらいに、周りは油断も隙も無い世界が
蔓延している。
然るべき筋に確認することもあったが、今回は暫くは様子見にし
てみた。

そのうちに面接の日を問いかけるメモがのポストに投函された。
案内先に電話し、面接日を決めた。
前述のなりすましのことも背景に半ば警戒し、調査員を迎いいれた。
いざお会いして調査員として経験を踏まえ品のある、老獪な女性
の応対ぶりに、一気に警戒心が解き放され、余計な心配であること
が判った。
電話から伝わる声からもっと若いお兄さんとイメージされていた
ようであったが、しょぼくれた爺さん姿の対面で驚いたのではな
かろうか・・・。
多数用意された質問集から、選択回答する形で進められたが、具体
的な話が浮かんでこないが、我々国民が期待するまでに至らない
ことが率直な現実の姿ではなかろうか
質疑過程で、地域の歴史施設の案内に関わっていることを,吐露
してしまい、地域の歴史話に話が盛り上がってしまい、通常
10分程で済む調査が、40分ほど引き留めてしまった。
こうした人々の努力でコツコツと個別訪問で調査で積み上げ結果
が吸い上げられる。
地道な努力を、無為にならないよう受け止めて欲しい。

送り火となってしまった

2019-08-10 20:25:00 | ライフワーク
梅雨明け宣言で熱気がまとわりつく熱帯夜で寝苦しい夜であった
未だ駆け出しの夏に、クーラーを使えず、扇風機で熱気をまき散らすだけの寝苦しく、漸く眠りに付いた矢先に電話がかかった。
こんな深夜未明に誰と駆けめぐったが、不吉な予想が当たってしまった。
前後の状況から大凡想像が付いてたが、紛れもなく、病院からの危急を告げる緊急通報であった。
未だ脳味噌が覚醒ままならず、夢の中での、手さぐりの車発進であった。
普段とは全く別世界、真っ暗闇の世界に時折輝く光は不吉な送り火でもあった。


病院にたどり着くも、時間が時間だけに病院そのものも眠ったままの世界であった。、
漸く病棟に案内されるが、相部屋のため、僅かな照明を便りに、カーテンで仕切られたベットにたどり着く。
ベット後部に据えられた心臓の動きを監視するモニターの画像は、脈動の波形は無くなり水平線になっており、既に事絶たれていたことが、説明受けるまでもなく明らかであった。
再び上下に振れることなく、水平の線となったダイナミックな画像の変化が生命の終幕を告げる象徴的画像であった。


到着後、医師が駆けつけ、保護者立ち会いのもと、形式的な診察が始まる。
瞼を開け、ペンライトの光をあて瞳孔の反応がないこと、胸部に聴診器を当て、心臓停止を確認し、この時の時刻を持って死亡を確認され、告げられる。
その間、淡々と事務的に処理され、あっけない幕引きであった。

養護施設で倒れ、以来問いかけに全く反応もなく、長い長い夢の世界から抜け出すことも出来なかった。
こうした仮死のまま、脳梗塞は現代医学を持っても回復は叶わなかった。
むしろ当院へ搬送され数カ月の延命は義母、当人の生命力と懇切に支えられた病院によるものと思われる。
駆けつけた時は体に巻きつく管が生命線であったが、既に血流が止まり、体は冷たくなっていた。

ベットから搬送ベットに移され、そのまま病室から搬送され、エレバータから1階の廊下を通じて、専用の搬送車に乗せられ、安置所へ向かった。
その間、専門業者さん一人で、仏様の着替え、搬出、車での搬送まで、一人でやってのけるプロの手腕の凄さに驚く。

◇仏様になった義母は
大正から始まり、戦中戦後の苦難の昭和、復興に沸き立ち活力あふれる平成、そして幕開け間もない令和とそんな4世代を乗り越えての生涯であった。
100歳越えに、市から長寿命で報恩を受けた一人であった。
ご主人の仕事柄、典型的な転勤属で仙台、横浜、久留米、最後は東京の多摩地域と国内を又に駆け回ったあげく、ご主人は早世であった。
そんな環境の中、ご主人亡き後、長い間、女手一人で子供たちを立派に育て、上げた。
日本古来の伝統的な、茶道を嗜み、師として看板を掲げ、多くのお弟子さんが、義母の元に集まり、茶道を通じて礼儀作法を教えた。評判が口コミで広がり、通うお弟子さんが義母邸には賑わいを見せていた。

◇南多摩斎場
数日後、舞台は斎場へ
この時期、市内の斎場は休止中で、八王子・町田・多摩・稲城・日野の5市で運営・管理する共同の南多摩葬場に漸く決まった。設立されて以来増設に継ぐ増設で現在は火葬炉12基・式場3式場・待合室13室・霊安室6体 収容される巨大な施設になっている。
人間の営みが行われて、やがて迎える終末処理であるが、人口増加に併せて、施設も必須であるが、環境 問題など中々新設出来ないのであろうか・・・。
周りには何もない、辺鄙な場所であるが、 勢い、こんな施設もフル稼働で、5市から続々と御霊車がやってくる。
予約制であるが、次々に埋まってしまい、大事な昇華の儀式も此処の施設の空き具合なのである

南多摩斎場は八王子と町田が隣接し、住宅地など人里から離れた広漠たる一角にある。
広大な敷地に樹木が植えられ手入れの行き届き、仏様の別れを飾るに相応しい場所である。
日中35~6℃の記録的な暑さの中、冷房の効いた休憩室から外部に出ると熱気がまとわりつき思わず目眩する、尋常では無かった世界であった。
日本庭園風に整備され静かで落ち着いた雰囲気で、とても焼き場とは思えない、イメージを大切に仏様との惜別に配慮されている。
いよいよ火葬の声に、待合室から、屋根付きの回廊で結ばれる火葬場へ、最後の別れに向かう。
当日は浄土真のご住職をお招きし、故人と遺族との最後の別れで、火葬炉の前に棺を置き、ご住職の読経を行う「納めの式」が麗々しく行われる。
納めの式が終わると、棺に花や思い入れの品、そして子供たちは手紙を入れ、棺は火葬炉に入れて火葬が始まる。
厳粛な中、お経も終わり、ご住職から大事な、ご高説が語られる最中、階上の方から流れる賛美歌でかき消されてしまった。突如の変事に殆ど聞き取れなく、残念であった。
フル稼働の火葬ラッシュで、仏教もキリスト教も、関係なし、宗派を超えての混雑ぶりが、こんな所まで及ぶとは予想つかなかった。
火葬が終わると、テーブルに乗せられ、既に変わり果てた骨と対面し、仏様が「三途の川を渡る」ため、一つの骨を二人でつかみ、橋渡しで壷に納める「骨上げ」が行われる。
川のほとりに潜む鬼を前に無事に冥土に行かれますようにと願いを込めて、見送る。やれやれ、漸く、義母の見送りを滞りなく無事に終えた。暑い真夏の一日であった。
ほっと一息それぞれの車で南多摩斎場を後にする。


永久の旅立ちに、見送る
こちらでも紹介してます。ご覧ください

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/