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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

氷見線万歳

2012-10-12 10:37:00 | イベント

氷見線"のうまち駅"で待機中の車両が弩派手のラッピング車両に度肝を抜かれました。
青地の車両全面に思い切り、忍者ハットリくんが描かれたのラッピングで包まれた愉快な列車である。
青い空にたなびく雲に忍者姿のハットリ君が思うがまま、飛び跳ねるように、楽しそうな列車である。
原作の藤子不二雄氏は曹洞宗49代目住職の息子として氷見町(現:氷見市)の光禅寺で誕生するが、漫画家となり、才気を発揮する、変った遍歴の持ち主である。地元氷見が生んだ人気漫画家として、氷見線の宣伝に一役買っている。


「氷見線」は北陸本線から分岐するローカル線のひとつであり、高岡から氷見間の富山湾岸を走る僅か25分余りの短い距離であった。
生れて以来、太平洋岸に生息し、南北に伸びる国土で仕事に遊びに旅行先は殆どが太平洋側に限られていた。
日本海に出ることも珍しいが、海岸線を通る列車旅なんてのは想像するだけでわくわくしてくる
デビュウーし112年も経過する歴史的な路線であるが、乗客が少なく、赤字路線で撤廃の憂き目を抱えながら、懸命に走り続けている。
海の上を走る路線はTV朝日の看板番組「世界の車窓から」を思い起こすような、「雨晴海岸」であった。
大興奮した"乗り鉄"の様子はここで紹介してます。是非見てやってください。
富山湾を疾走「永見線」

疲れた老人暴走族 勝沼IC

2012-09-09 07:19:00 | イベント

かってはきら星の如く輝いていた車の運転
正直言って神経を張りつめ運転走行も加齢により、少々おっくうになってしまった。
もっぱら近場の買い物で運搬役を務めるサンデードライバーに成り下がってしまった。
ガソリン代もシリア等中東の不安要素から、ガソリン価格も高値に高止まってしまった。あそこも、ここもかっては賑わいを見せていた、ガソリンスタンドも閉鎖に追い込まれたのは車に乗らなくなってしまったのであろうか。

そんな折り、さる友人から、ぶどうが豊熟であり、お誘いもあり、勝沼までひとっ走りしてきた。

サンデードライバーの成り下の身分に、高速道の走行は何時以来であろうか?
やはり、スピード感覚の慣れの問題もあり、出来るだけ慎重に、慎重に。料金所を過ぎて高速に入っても、次々と追い抜いて行かれる
高速化に研ぎ澄まされたセダン車はまだしも、軽まがいの小型車までも、人を馬鹿にしたように追い抜いてゆく。
でもここは我慢、我慢ぐっと堪えて、キープレフトへ!!
一気にこのまま勝沼まで行っても良かったが、時間調整で談合坂で休憩し、昼食を取る。
平日に関わらず、何処に行くのか、ごった返す人の群れに驚く。

<目的地付近で迷走>
<大善寺山頂から、右側が20号線(バイパス)、左側が中央高速>

談合坂から出発、直ぐに勝沼ICへ
ところが、高速路とバイパスが入り組んでおり、ナミゲータが細かい所まで表示してない。
そんな粗いナビゲータはラフな設定に留め、目的場所を明記したGoogleの地図を準備した。
ところが、地図もとんでもない落とし穴、同じ番地で、もう一軒、別の家があり、そちらの居住地が表示してあった。
しかも、周辺は畑の中、車1台ががやっと通れる、農道のような狭い道が入り組んで居り、完全に袋小路に迷走してしまう。
狭い道沿いには用水がはしり、一歩間違えれば、用水ダイビング、脱輪、こすりを気にしながら恐る恐るの、最徐行であった。
人に聞き、何とかたどり着くことができた。

<帰路は危なっかしくも大胆に>
<思い切って追い越し車線で>

日が落ちるのは早くなった。出来ればお天道様が沈む前に帰りたかった。
でも観光帰りか、東京方面の上り車線は混んでいた。
慎重な走りで走行車線にキープしたが、車間距離が詰まってくるので
80㎞/h前後の加速と減速の繰り返しはリズムに乗れず、返って疲れる。
流れにそぐわず、自然と体が反応し、ちょっと、追い越してしまえと
頃合いを見計らって、、一気に110㎞/hへ加速、追い越し車線へ
この一連の追い越しが終われば、いつまでも先頭を切るわけにも行かず、
ここは冷静に、冷静にと言い聞かせて、車間距離確かめ走行車線に再び戻ろうと。
しかし、詰まっている走行車線に、中々戻るタイミングが合わず躊躇していると、背後から、「おんどりゃ、どけどけ」といわんばかり煽ってくる。
恐らく130㎞/hは出ていると思われるが、左右にフェイントかけ、背後から威嚇は恐ろしく、身の縮む思いがするが、こんなことが天下の公道で平然と行われている。
くわばら、くわばら、むきになって、こんな者に関わったら、側壁に激突、「運転手のミスから、成仏」何て事に成りうる。「身の程、知らずの馬鹿め」言われるのが関の山、未だ未だ現世にはたっぷり未練を残している。

中央高速道の八王子から西側は秩父多摩の山岳部の路線だけに、アップダウンとカーブの多い、道である。
一歩、操作を間違えれば、大変な事故と背中合わせである。
そんなところに一気に100㎞/h以上の高速の世界は、車の共振、タイヤの走行音などが体に駆けめぐり、神経を目一杯張りつめ、握るハンドルも何時しか力も入り、大変疲れる。
八王子ICで降りて、16号との合流は相変わらずの混みよう、この混雑ラッシュを抜け、馴染みの近場へ、やっと平静に戻る。
この疲労感は加齢のせいか、何時まで乗れるのか、自問自答してしまった。

エレクトーン・スタジオ・ライブ

2012-03-26 21:36:00 | イベント

銀座通りは、歩行者天国で、日曜日の午後、買い物、散歩で相変わらず人で、一杯。
観光バスがあちこちで止まっているが、バスから中国人の観光客が吐きだされ更に賑わっている


横浜から主役のかりん姫も、到来し、銀座の人になっている。
会場のヤマハのホールに向かうが、全然余裕しゃくしゃくである。
スタジオ・ライブに入って見る。
幼稚園から小学校、中学校、高校、大人の幅広い演奏者と付き添い家族で一杯である。



かなり暗めのライブ ステージに立つ、出演者に
七色の光線にスポットライトが当てられ、雰囲気作りに一役買っている。
やがて、頭部が光ってまぶしい、司会者が流暢に案内され、この日のために、練習した成果を発表していく。
最初はペダルが遥か遠い、幼児が、椅子の上にちょこんと座り、上手に演奏していく


さ~て、いよいよ、かりん姫の出番だ~
黒目のステージ衣装に着飾り、一段高いステージに上がっていく
演奏曲は大好きなデズニイーのホール・ニュー・ワールド
予め、usbメモリーに用意された、バックミュージックに併せ
メローディをテンポよく演奏していく
踏み足の鍵盤も、両手の鍵盤も、格好良く
ライブ ステージに一杯に鳴り響く
みんな、注目するなか、堂々と弾けました。


パチパチと会場から拍手で
すごい、すごい、身内としても、この拍手が
とっても、うれしかった。
少し緊張していたけど
どうどうとした演奏ぶり、ステージから降りて
りっぱにできました。
1年振りのスタジオ・ライブでした。
後に続く、ママの演奏の「枯れ葉」も、歳のこうで
流石経験でものを言わせる大人の演奏でした。

皆さんの演奏は20数曲
NHKで偶然にも、聞き覚えのある、メロデーが流れる。
ああ忘れもしない、「坂の上の雲」のテーマ曲"Stand Alone",
「ちいさな光が 歩んだ道を照らす
希望のつぼみが 遠くを見つめていた
迷い悩むほどに 人は強さを掴むから 夢をみる
凛として旅立つ 一朶の雲を目指し・・・・」♪♪・・・♪
山の尾根の先にたなびく雲の情景が浮かんでくる。
大好きな曲がここで、聞けるなんて、幸せなステージでした。

命脈尽きる冷蔵庫

2011-09-17 07:16:00 | イベント

10数年間、24時間フル稼働で働き続け、我が家の食の貯蔵源もとうとう命脈尽きた。
冷媒ガスを循環させるポンプ音が「ブオーン」と鳴り、存在感を示していた冷蔵庫が、時々がお休みになり、静かになる。
成仏になる前の不吉な前触れである。
1日ないし1日半で動いている筈の「ブオーン」が突然止まっている。
電源を引き抜き、再度差し込み、電源を投入すると、動きだすがポンプ音が時間と共に静かになってしまう。
こんな事を繰り返しながら、一縷の望みを託し、修理屋に派遣の依頼をしたが、途中で心がわりし、此処は全うさせ、成仏させることにして派遣をお断りした。

先代の最期に、切れ目を作れない。
早速、2代目を求め、山越えして、チラシを握りしめK○電機へ。スムースにパーキングに入れたが、何と棚卸しで休みである。
先代が命脈付きかかっているので、このまま帰る訳にもいかず、向かい側の山○電機へ行く。陳列する多量の冷蔵庫を前に、庫内スペースも十分、売り子屋のお勧めもあって、2代目の購入手続きに思ったら、何と入庫に3週間かかると、諦めた。
なんせ、成仏しかかっている先代に、一時の猶予も許されない。
仕方なく、並んでいるH社を選ばずを得ないので、購入する。
先代の冷凍品、冷蔵品をクーラボックスに急遽詰め替えして、いよいよ完全成仏準備。命脈尽きるまで何とか、働いてもらい、2代目へ何とかバトンタッチする。
2代目が到着しても、直ぐに立ち上がらない。冷蔵、冷凍温度まで数時間かかる。
ばたばたと入れ換えて、漸く先代から2代目に魂を入れ換えた。
2代目は容量が大きくなったが、意外と収まりが悪い。
観音扉が開ける度に建屋に当たって、傷が生みそう。
先代にこんな事が無かった。
慣れるまで、慣れろ2代目を使いこなすまで、かなり時間がかかりそう。

あの佐原の町も震災

2011-05-07 06:09:00 | イベント

小江戸と言われる歴史の佐原を一回りしたのが昨年(2011)の11月のことであった。
舟を操る、深い笠を被り、頬っ被りで隠した着物姿のお姉さんは真っ白い素肌の乙女姿を勝手に想像してしまった。素顔がどうしても気になる。ドギマギしながら下から見上げると、タオルの内側は日焼けし、かなり風化した何十年前の素朴なお姉さんであった。
そんな他愛のないことに佐原の街並みを楽しんだのが昨日のことのようであった。それが、あの3.11で夢吹っ飛んだ。当時の姿と現地からの速報を対比して、見たが改めてこの震災の大きさを思い起こされた。

時間をかけての手打ち蕎麦を食べたのが此処、小堀屋本店であった。
明治33年の建物と言われているが、両隣も時代を背負った、佐原を代表する建物であった。

隣接の家含め、二階の屋根瓦が崩れ落ちている。その落ちた瓦が、1階の屋根にリバウンドして、道端に落下している。
その地震の激しさを物語るが、せめての救いは建物が倒壊しなかったことであろう・・・。
既に補修用の梯子がかけられ、街並みの復旧にかかっている。


江戸風情が残る小野川沿岸の風景を見ながら、観光遊覧船が走った川面の姿である。

その川も護岸の石垣が崩れ、防御柵も落ちている。
道路も波うち、損壊している

大震災により、深い傷を負いながら町並み景観はかなり崩れた。
江戸の街並みや小野川沿岸、かなりのダメージであるが、早期の補修で再びの復元を期待したい。

ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/