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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

八王子自動車教習所の倒産

2008-10-31 18:17:00 | イベント

驚いた!!昨日まで正常に教習していた八王子自動車教習所が東京地方裁判所に破産手続開始の申立てをすることとなり、本日(31日)突然倒産した。
JR豊田駅から3分、構内コースはJRに隣接した広い、空間を持ち非常に立地の良い所にあり、一定期間通うのにはこれ以上の場所はない恵まれた環境であった。
何故破産なのだろうか、勝手に推測すると
一つには少子化で受験生が総じて少なくなったこと。
国民総免許制ではないが、免許取得年齢に達すると、誰しもが車を持ち、運転したい、或いはペーパードライバーでも、機会あれば乗りたいと言うことで、かなりの割合で免許取得に走った。
しかし、この不況下では、車の取得、維持に金がかかり、車所では無くなった。誰しもが車を持ちたいと言う、車に対する憧れが一時より落ちた。
ガソリン価格は下がってきたものの、限られた埋蔵量と世界的な需要増大で再び高騰の嵐は何れ吹きまくるであろう。
そんな社会の変化が、きっと教習所として立ち行かなきなったのでは無かろうか?

構内や街中を走った大量の教習車は大量に眠ったままでであった。再び息を吹き返すことはあるのであろうか・・・。
突然の倒産に受験生は1500人以上も居ると言うが、受講の中断や受講料の返済など、先行き問題の根が深い。
この大量に眠った教習車を前に不況はこんな足元まで及んでいることを思い知らされた。
因みに我が家は私、娘、伜3人とも此処で免許取得した。
近いから通ったが、毎度入れ代わる教官の中には、受講生を見下し品格を疑う鬼教官などのやからも多かったのは引く手あまたの受験ブーム時代だったかも知れない。仮免、本免の合格までに罵声に耐え、免許証と言う金看板に釣られ、何とか教官の印鑑を貰った悪夢が蘇るが、一方では淋しい思いも・・・。
果てさて此処はどうなることやら、教習車が置かれた駐車スペースはかってはボーリング場であったことを知る世代に、当地で長く居ついてしまった。


3日日野市民会館で債権者説明会が開かれた。
佐藤みどり社長が八王子自動車教習所の閉鎖し、自己破産を申し立て、債権者へ謝罪した。
激しい怒号の嵐の中、土下座し平謝り。心労しきった姿で関係者に背負われ会場から車に運ばれる姿がTVで放映され、激しいやりとりのあったことを物語っている。
社長の土下座シーンは約1カ月前、海外留学の支援をしていたゲートウェイ21が経営拡大により経費がかさみ、渡航者が多い時期の資金繰りが悪化し倒産した姿が重なり合うが、歪められた世相がこの姿に現れているようだ。
教習にそれぞれ夢かけて、一生懸命貯め、収めた入学金や渡航費用は突然の破産によって、ふっ飛び、払った費用の回収が困難という悲劇は全く同じである。
八王子自動車教習所の破産は徐々にその要因が明らかにされてきた。やはり少子化で入学者の絶対量が減ってきたこと、他の教習所との入学者の奪い合いは過当な値引き合戦が徐々に経営を苦しめたようであるが、投機による失敗が取り返しの付かないものになってしまったようである。
かっては市内の旭丘に専用のライダーコースを持ち、高値の華の存在であったメルセデスベンツを教習車に使うなど勢いの有る教習所として順風満帆に映ったが、徐々に事業規模もスリム化していった。背伸びした経営に行き詰まり、かなり厳しい自転車操業で、それが崩れ一気に破産に追い込まれてしまったようである。駅に近いこれだけのロケーションに資産価値の高い 場所を持っても返済しきれない莫大な借財の大きさを物語る。
写真はその所内コースの一部、汗と涙で辛酸を嘗めた、S字コースとクランクで此処を越えるのも一つのハードルであったが・・・再び、亀の子のように動き回った教習車の姿は見えなくなってしまうのであろうか。
八王子自動車教習所の破産記事の感心の高さに、及ぼす影響の大きいことを改めて認識した

ライオンとの出会い

2006-08-08 11:03:52 | イベント

人間どもがワシの姿を見て、何が楽しんだろう。ともかくこの糞熱い最中かったるいなあと「ぐわ~~」と大きなあくび、しごく平和であるが、ライオンに取って退屈極まりない1日のようである。
小動物を除いて身の丈チョット越える大きい動物は総て恐怖の対象となる孫娘が、何が知識の源泉か判らないがライオンバスに夢中である。
ならば、一度は付き合ってやろうかと、物珍しさも手伝って 多摩動物園のライオンバスに目指した。
日中30°を遥かに越える晴天に、地面から照り返す暑さは既に40°近くではなかろうか。
広い園内にあって、目指すはかなり広いスペースを取った掘割のライオン王国の獣舎へ向かう。
地上から地階へ、ライオンバスの発着場はトンネル上に続いた先にバス発着場に結ばれる。
バスは定員のお客を乗せて、ピストン輸送するが、来場客が多く、このトンネル待機する。
薄暗いトンネルではあるが、外の炎天下から来ると冷房がガンガンと効き、一時の暑さから開放され中は頗る気持ちは良い。待機待ちのお客にライオン達の写真や案内が掲載され、その掲示物に、期待感が募ってくる。
先発の一帯が降車し、順番待ちの列がようやく動き、やがてライオンバスに案内される。
四囲は完全透明の窓に覆われ、完璧に外部と遮断された檻に人間が乗せられ、バスガ愈、発車しけむったそうに、数頭づつ群れなすライオンの中に入っていく。
バスは決められたコースを走って行くが、そのコースを遮る様に何頭かは横たわっているがバスがそちらに向かっても立ち退きせず、あわやバスの下敷きになろうとする寸前に体を交わし、退避する。ここいら辺りはバスのベテラン運転手とライオン達の阿吽の呼吸で寸での災禍をかわす、学習機能が働いているのであろうか、ハラハラしながらも見事な運転さばきに感心したりする。
やがてコース脇に据えられた台の上に構えるライオンに急接近する。窓越しに手の届く距離に接近するライオンにバスの中では大騒ぎ、でもそんな人間の姿は見飽きたのか、全く無視するかのように、大口を開け、退屈する姿が自然のままであった。
ぐわ~と開けられる大口に超怒迫力、大人も子供も皆、その姿に興奮していた。
怖がり屋の孫娘も何とか超ワイドショーをクリアー、満足したように思いでを一つ造ったようである。

眩い光に吸い込まれ

2005-11-26 06:18:31 | イベント

繁華街の街路樹に装填さられたイルミネーションが真っ黒な夜に青白い光で輝き、思わず目を奪われた。ショッピング等で人並みが渦巻く麻布10番街で見た田舎もんの遭遇した大都会の一シーンであった。
画像で映し出されている以上にもっと眩しく輝いていたが、急ぐ旅路にカメラのセットが間に合わず、迫力を欠いた画像になってしまった。
この光輝く見事な町並みに「へえ~大都会では早くも、クリスマスモードにと」思わずせわしない季節の先取りに追い立てられているようであった。
高級な住宅街を控え、急な坂道にせせこましい道路の繁華街、何故にこれ程人が集まるのだろうか不思議に見えた。
田町駅を起点に三田薩摩藩邸、東京タワーの直下の金地院、増上寺を廻った10数名の歴史散歩集団の中に混じっての旅巡りの最後は此処麻布10番で、疲れた足を休め、某有名なそば屋に入った。中は、既に満員でトコロテンのように押し込まれ、ビールを飲み、場所柄高価なそばに舌鼓をうちながら、旅巡りの話に花を咲かせた。
多少腹も落ち着き、散会となったが、初冬の日は既に落ち街中は既に真っ暗、夜のモードに入っていた。地下鉄六本木駅の道すがら、遥か頭上にそびえ立つタワービルが一際目立つ、これが今ときめくホリエモンの居るビルと聞き、終始関心する田舎もんの東京見物でもあった。

晴れやかな舞台、式場

2005-07-13 11:39:00 | イベント

未だ先ではあるが伜の挙式が此処のチャペルで決まったようだ。
都心側からレインボーブリッジを渡るお台場に位置し、国際展示場などの大規模なビルが居並び、新都市として開発間もない街である。その名の如くビックイベントで人を呼び、四季を通じて賑わいの絶えない街である。大観覧車がすぐ近くにあり、お台場海浜公園とも併せ、都心に近い観光スポットでもある。
当日の貸衣装の予約と場所の確認を含め、臨海副都心線に乗って、当地へ行ってみた。
写真のような教会の前に噴水があり、教会の建屋を中心に取り囲む様に、洋風の建物が居並び、異国情緒豊かな小さな街が出来上がっている。建屋は挙式に関わる機能単位で居並び、衣装・洋菓子・喫茶・レストランが隣り合わせで軒を連ねいている。
この噴水広場から、石畳と階段を通じて教会に繋がり、この晴れやかな舞台を演出してくれる。
職場の関係者、友人、縁者を招き、夢膨らむ門出にふさわしい場所として、まあまあ良かったなあとも思える。
帰りには彼岸にはチョット早いが、お墓により、両親に「まあ無事に進んでいる旨」を報告してくる。

藍綬褒章

2005-03-02 07:36:00 | イベント
◇古賀議員の藍綬褒章、祝賀会
日頃、地元の名主「佐藤彦五郎」を足跡を辿る同好の会にも参加頂く、古賀都議会議員が名誉の藍綬褒章を頂き、祝賀会が行われ、晴れのお祝いに参加した。


藍綬褒章は地方自治に発展に寄興したことが受賞の栄誉であり、昨年の新選組のフェスタでは都のイベントとして尽力され、全国に日野の歴史をPRする力になった。大事な都政の要職をこなすかたわら、こうした地元のサークルなどにも参加頂き、同じ目線で気軽に対話頂けるところに惹かれ、お祝いに参加した。
八王子のプラザホテルで行われたが、正直言って案内状を頂いた時に古賀議員との接点がただそれだけのことで、それなりの会費を支払い、一市民が行く事に躊躇した。

◇類のない、規模の大きな祝い
案の定、会場は1、000人近い参列者で埋めつくされ、議員が立つステージも遥か彼方であった。まあ~過去に色々の催しを参加したが、個人を讃えるイベントでは類のない、とても規模の大きいお祝いであった。国家斉唱からはじまり、議員先生の挨拶に会場内がヒートアップ、その人込みに救急車に運び込まれる人も出るなど、ただただ驚いた。目の前の料理に長蛇の列、仕方なくアルコールの鯨飲に終始するパーテイに戸惑ったが、まあ~これも一つの勉強と思っての参加であった。


◇戦いの火ぶた都議選へ
6月、いよいよ始まった都議選。満を持した様に各候補の街宣車が一斉に市内に駆けめぐり、賑やかな選挙活動の火蓋が切られた。此処高幡不動駅前では出陣の儀式が行われた。
◇後の首相、阿部議員も支援
日中32、3℃、炎天下では更に高い温度の中、背広にネクタイ姿で古武士のように慄然と構える古賀議員立ち、その脇に今話題の阿部衆議院議員が応援で駆けつけた。

半袖シャツでも、じっとりする暑さに汗が吹き出る中で、この現代版鎧に身構える先生方の姿にただただ敬服する。

当日はこの日野にポスト小泉の一人と目される大物代議士の来場に、駅前周辺は制服警官が多数バスで押しかけるなど、ピリピリした異様な雰囲気の中で、VIPの来場を待った。
式次第が進む中、肝心のVIPが中々現れず、関係者の気を揉む中、黒塗りのセダンとワンボックスが現れ、阿部議員と取り巻く10数人が風の様に現れ、街宣車で激励の弁を振るい風のように去って行った。
此処にくる前に首相官邸前の座り込み集団に挨拶、その足で高速をまっしぐらで日野へ、恐らくこの後も応援支援にビッシリとしたスケジュールを駆けめぐるようであろう。
人口17万の小都市、日野の街づくりに大きく左右される、市長選に続く、都議選に関心を持たざるを得ない。


ようこそ松崎家の世界へ

http://mzk.on.coocan.jp/