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春夏秋冬ライフ

四季の変化に向き合い、目の前に起きる様々な出来事を目の丈で追ってみた。

昭和記念公園で秋の1日、刎ねる

2017-10-02 17:52:00 | イベント
暑い夏も通り過ぎ、屋外で束の間の秋を楽しもうと、孫娘と一緒に立川の昭和記念公園に行く。
幼児を対象とした遊具では飽き足らず、何か相応しいものと思いつつ、適度に体を動かすサイクルボートや2人乗り自転車に惹かれるものがあったのか、積極的であった。
体を動かすことが大好き、体育系の女子、自転車も乗りこなしている。
早速、記念公園へLets go.JR青梅線で立川駅から昭和記念公園の外周部を走り一駅で西立川駅に到着する。
駅の改札口が高架橋になっており、橋を渡るとたったの2分は西立川口のゲートで、公園の専用駅である。
老若男女問わず、駅を降りた一団が群れなし、そのまま公園へ向かう。
ゲートから先ず水鳥の池に向かう。
◇水鳥の池

公園の一角に水面績約5haの「水鳥の池」は浮き島や中の島と呼ばれる島がある。水辺にはアシやガマなどの植物が茂り、鳥や昆虫、魚などの動物が居る世界がある。
池には手漕ぎボートとサイクルボートの2種の船が待っている。
ペダルを漕ぎで、スクリュウを廻し、走る2人乗りのサイクルボートを大人2人子供1人が乗ってみる。
あかさま(孫娘)を真ん中に座り、目の前のハンドル操作でサイクルボートの大事な舵取りを担う。
両脇は爺他でエンジン役でひたすらペタルを漕ぐことに専念する。
ゆらゆら揺れる船内に3人が乗り切り着座するまでは、落ち着かなかったが、何とか着船「さあ~発進」と護岸から、離れて行く。

池には接触しないように、浮き玉と旗が立っている。池には同類のローボートやサイクルボートが、多数浮かび遊覧航行している。
止まっているのもあれば、ある方向に向かって居るのもあり、これらも激突しないように、目測で判断しハンドル操作が委ねられる。
挑戦欲が強く、ハンドル切り損ね、多少蛇行気味でもあったが、走る内に感覚を掴み、面白がって右に左にボートを意のまま誘導する。

屋根付きのサイクルボートで日差しを避けているが、エンジン役は絶えず漕ぎっぱなしはもろに加重がかかり、体力勝負で、体が暑くなる。時おり池面に吹き抜ける風が冷気を呼び何とも心地よい。
陸から離れ、広い池の中央を奥に、進めて行く。
池面をカモが自由に浮遊する、その後を追いかけ、迫り、ボートの左右に散っていく。
時折、水面から、黒色の固まりが寄ってくる、大きな鯉が手の届くところにいるが、どうやら、ボートからの餌欲しさに、警戒心もなく、求めているようであった。
広い水辺の世界に浮かびながら、360度開けた眺めながら鳥、魚に触れ合う空間を楽しみながら、広い空間を楽しみなら、自由に遊覧する。
そうこうしている間、あっと言う間に定刻の30分は迫り、ボートは急旋回し、着岸点に向かう。
遅れると超過料金に、エンジン全開でスクリュウを廻し、疾走させる。、
船着場の係員の手招きに、あかさま、鮮やかに接岸、不安定なボートから橋にわたり、地上の人になった。
エンジンパワー全開で、ペダル漕ぎで、ひざから下が、もうよれよれ。ふらつくボートからコンクリートの固い地盤に踏み出す一歩が、異郷の世界であった。
よれよれの漕ぎ手を前に、初めての操船に俄か操縦士さんも、すっかり腕を上げ、乗りこなした達成感でご満足の様子であった。
水面からの慧眼共併せ、3人が一体になって、ダイナミック操船操作がとっても楽しいミニミニクルージングであった。

◇二人乗り自転車

一度、あかさまと一緒に乗り、その乗り心地を確かめたかった、サドル、ペタル共併せ車体の長い二人乗り自転車を借りた。あかさまもちょっとした冒険心にも誘われて、躊躇なく後部座席に、座る。
爺と果たして息のあったペダル踏みが出来るだろうか「そーれっ」と掛け声かけ、踏み出しの第一歩であったがサドルの位置が高過ぎて、地面に足が十分届かず、フラフラした不安定であった。
己の足が短いのか?前の利用者が足長なのか?、ここは無理せず、体型に合わせサドルの位置を下げ、しっかり着地してからの走り出で、不安定な走り出しは何とか納まった。
流行る心を抑え「落ち着け落ち着け」とサドル位置を調整し、「良し、これで完璧」と発車した。

初めて乗る、二人乗り自転車、二人の呼吸があい、専用の自転車道を快適に走る。あかさまの後部は爺の背中覆われ、前方は見えないが、左右の風景を追いながら、まあまあご満足の様子であった。
自転車専用コースは歩行者との接触、自転車の同士の接触等を安全走行を配慮し、人の居ない木陰の中、一方向であった。このため何処を走っても、樹木のトンネル、樹木の壁に遮られ、見通しの効いた、視界は期待できなかった。
MAPを見ながら、コースに多数ある専用駐車場で場所を確かめ、其処で自転車を止め、徒歩でそれぞれの場所に向かった。
コースは緩やかなアップダウンもある周回コースで節々にサークルがあり、方向転換出来るが、方向音痴だと、迷走する落とし穴でもある。
長いダラダラ道を登りの坂を前屈して、重いペダルを踏み込むが、やはり重い。
苦あれば楽あり、坂を駆け下りるときは重い分、重力加速度が付いて、かなりの早いスピードで、走り抜ける。
加速がつき、ハンドル操作がままならず、軌道をオーバランして、藪の中に飛び込みなんて事態をも予知しながら緊張感を持っての走行にハンドルを握るにも思わず力が入る。
そんな早さに、後ろが気になるが、臆せず爺の背中でしっかり、頼もしく乗っている。
時々、足にかかる加重が変化する、あかさまペダルから離し、さぼりが直ぐ判る。ペダル踏み込みを促すと、「ばれたか」と再び、踏み込み、元に戻る。こんなやりとりも二人乗りならではの知れざる世界であった
森の中を激走、走馬灯のように目まぐるしく移り変わる世界に、浸りながら暫くはスリリングな走行も楽しい。

「爺、喉が渇いたね~」パーキングで止めたが、廻りを見ても何も見えない。雑草の中崖道を登ると小高い遊歩道に出る。
どうやら「こもれびの里」の一角であった。
早速、ジュースで水分補給、完全にヒートアップし、喉はカラカラ、一気に体にしみ込んでいく。
◇無事周回
昭和記念公園を廻り、スタート地点の西立川口に戻った。サイクルボートや2人乗自転車に乗り、最後は公園内の主要点を廻った。歩行は元より、乗り物の走行など、一気に駆け回り、秋の一日を漫筆した。普段使わない筋肉も併せ、疲れた。
若さにものを言わせ、一番活躍したあかさまも流石お疲れの様子であった。
帰りの電車内は朝の勢いは失い、口は重く、別人のように電池切れ状態であった。
「お疲れさんでした」

当日廻った公園内で、皇帝ダリアや妖怪の集団のパンパスグラスなど見てきました。此方も見てください「昭和記念公園」を巡る

今日に伝える「横浜廃線路」

2017-05-03 16:29:00 | イベント
今日に伝える、歴史の証、鉄っちゃんになって横浜廃線路を辿ってみた。


◇旧横浜駅(現桜木町駅)
新橋~横浜間は明治5年(1872)日本最初の鉄道が開通したことで知られている。
起点となるJR桜木町駅のホームは京浜東北線が高架を走るため、高い位置にある。
新しく開発されたみなとみらいの接続口にあたり、賑わいを見せている。
ここが果たして歴史的な駅と疑いたくなる、何処にも有るような駅舎である。
高架橋の山側の一角、歩道橋の脇の一角に「鉄道発祥の地」記念碑が寂しく建っていた。


◇汽車道
その横浜から、海外渡航の船旅が生まれた。
その横浜から埠頭まで、専用軌道が敷設され、貨物輸送など利用されていたが大正9年(1920)東京から連絡列車が入り、鉄道で直接繋がる画期的な輸送ルートが生まれた。
海に繋がる運河を越えて、埠頭まで繋がるご覧のような水面に専用軌道の夢の架け橋が誕生する。一面遮るものもなく運河越しの素晴らしい炯眼の中、丸で水面を走るように列車が走る。
この専用軌道は「汽車道」として呼称されるが遊歩道として、整備され、軌道の上を列車に乗った気分で快適に歩くことが出来る。


◇港1、2、3号橋
埠頭側に到達するまでに途中に港1、2、3号橋のそれぞれの橋が橋渡し役を勤める。
今では何処でも、見受けられる鉄道橋であるが、明治40年(1907)製の米国製である。
未だ鉄道の駆け出し時期に、一人立ちできず、外国の手に委ねて居たのである。
それが100年後の今日、追いつけ、追いこせ」で世界で最先端の鉄道を走らせ、その実績から輸出までしているのである。
そんな成長ぶりの根幹をみるようで、隔世のある姿に、風雪を越えて生き残る、この爺さん橋も驚いているだろう。


◇ボート・トレイン
現代の海外渡航は航空機が当たり前に利用できるが、当時は唯一が船旅であった。
船旅の運行はかなり改善されたが、昭和初期に横浜、シアトル間が約12日間の長い船旅で、空旅の時間感覚が一桁違う、スピード感覚に隔世の感がある。
日本郵船および東洋汽船のサンフランシスコ航路出航日に合わせて、東京駅から列車が2往復運転され、「ボート・トレイン」と呼称されるまでその存在感は浸透し、絶大なものがあった。
「さー着いたぞ!!」東京から約70分で列車は満載の船客と見送り人を乗せた列車がこのプラットホームに到着し、大きな荷物を抱え乗客がどっと吐き出される。これより長い船旅の外国の未知の世界の旅立ちに、そろぞれの思いでセレモニーが行われる。

残されたレールやプラットホームや屋根を支える鉄柱が風雪に晒され、錆の出た姿に、年の経過を物語るが、旅達姿の時代の花をかっては飾っている。
誰も居ないプラットホームに佇むが、今にも幻の列車が入線するような感覚に、没頭できる世界である。

日米開戦で中断した太平洋航路は、戦後になって復活したものの、戦争中の航空機の技術革新により、航空機の利用が広められ客船役割は急速に衰退していった。
こうして脚光を浴びた臨港線のボート・トレインの役割も昭和45年(1970)氷川丸出航を最後に幕引きを迎えた。

◇新橋梁
その路線は旧横浜駅(現JR桜木町)から、専用軌道がひかれ、横浜の中心街を貫通し、埠頭側の横浜港駅に接続される。横浜港駅側からは、旧横浜駅側と途中で分岐され、山下公園側の横浜税関に繋がっていた。
先程とは異なるルートでこの新橋梁で埠頭側から別れ、この橋を渡り山下公園側に向かう。


◇山下臨港線
昭和40年(1965)、山下埠頭の完成で横浜港駅からさらに延長して山下埠頭駅までの路線が開通した。景観上の問題から山下公園のもっとも山側を高架線で通過し、景観に配慮して高架橋となった。
この貨物専用の山下臨港線は線路は撤去され高架線は遊歩道化されている。5月の爽やかな風に吹かれ、港まつりのパレードが路上を賑わし、山下公園脇の高架線沿いはもの凄い人出であった。
違和感無く、山下臨港線の橋姿は山下公園に自然に、浸透しているようであった。


桜木町駅からベイサイド開城への近道として活躍するのが、開港の道、「汽車道」である。明治時代に開通した臨港線1990年頃廃線となったが、その跡地の一部を遊歩道として整備された。
昔のレールや鉄道橋、駅のプラットホームなどかっての面影を残す、500m程の遊歩道は横浜港発展の歴史を物語る貴重な場所である。

横浜、関東大震災の遺構

2017-04-26 22:21:00 | イベント
みなと横浜、開港に纏わる歴史、文化、懐の深い場所である。
鉄っちゃんモードで汽車道、臨港線跡を歩いたが、鉄道以外に、関東大震災の遺構に驚いた。
震災で、当時のものを消してしまい、新たに建てるなら、何処でも見受けられるが震災の姿をそのまま残していることに、当時の生生しい姿が、改めて震災の恐ろしさを訴えている。
そんな遺構が街中に、残されていることも新たな出会いであった。
震災の生生しい姿の出会いは以下の地図表記の★印の旧税関事務所遺構と開通合名会社遺構である。

関東大震災と言えば東京都が被害の中心だったように思われがちだが、実際の震災の被害は神奈川が大きかった。
震源地のは神奈川県が中心となっており、震度7の激震地区も広範に渡っている。
津波被害は東京が無かったが、神奈川県では津波によって200~300人が亡くなっている。
全壊した住家は東京が1万2000棟であるのに対し、横浜市は1万6000棟である。
人口が約5分の1であるというのに、全壊した住家は横浜のほうが多いのだ。
それだけ揺れがひどかったわけである。
海に面して走るバンド(海岸通り)に並んでいた洋風のホテルや建物などもすべて倒壊している。

◇旧税関事務所遺構
<当時の姿>

大正3年(1914)に建設された税関の事務所遺構である。
レンガ造りスレートふき、3階建てのゴシック洋式の建物であったが、関東大震災により床や屋根が焼失したため、復旧されないまま埋めもどされて荷さばき用地になっていた。
竣工時1階には「ガラス張り天井」のホールと受付カウンター、2・3階には事務所や応接室外航路や荷役のための貸し事務所があった。ガス暖房や電気照明も完備されていた。
<現在の残されている姿>
<その1>

<その2>

掘りおこされむき出した地面に所々レンガが積まれ残されている。一段と高い壁状になっている部分は明らかに建物の一部である。果たして、税関事務所の何処に相当するのであろうか
あの御殿の様な建物にどう、繋がるのか妄想が膨らむ。

◇開通合名会社(日本人商社)のレンガ遺構(横浜市中区所在)
<当時の社屋>

明治時代に建てられた 開通合名会社の社屋の一部。
開通合名会社は横浜港から陸上される貨物の通関・発送取扱を明治10年(1877)「開通社」で創立、明治24年(1891)「開通合名会社」に改名する
当時にあった社屋はレンガと石を組み合わせた外壁を有し、屋根は瓦葺きで、建物は「うだつ」(防火壁)を備えていた。
<現在、街の一角に残されている姿>

大正12年(1923)9月に起きた関東大震災で大部分が倒壊、その一部が奇跡的に残っていた
平成26年(2014)建物解体時に発掘された遺構は所有者の意向で横浜関内地域の日本人商社建築の記録と関東大震災の記憶を現在に伝える貴重な歴史遺産として、現地に残すことになった。
所有者の遺構を後世に伝える、心ゆきが感じられる。
明治期の日本人商館の煉瓦建築が関東大震災による被災された状況をそのままとどめている震災遺構モニュメントとし、現地にて構造補強材(H形鋼等)による耐震補強工事及びグラウト材注入による煉瓦壁の煉瓦の補強工事を行った。
解体及び補修工事を行いながらの現地調査に加え、文献調査及び地下埋設遺構の発掘調査を行い、元建物の素性を明らかにした。
古写真や説明案内板を現地に展示し、関東大震災以前の横浜の西洋建築の特徴が見られる貴重な遺構として見学者に分かりやすい歴史的遺構であった。
ビル街の一角で、建物のレンガ造りの壁だけが、スコンと建っている姿が異様な感じがするが、それだけに、遺構の訴えるものは大きい。

春の生き吹きを確かめ一歩き

2016-03-04 22:41:00 | イベント
切れ目ない寒波の襲来で、5~6時代の零下の寒さは半端ではない。
手袋をはめても、手先冷たく、思わずポケットに入れ、寒さをしのぐ。
漆黒の世界から、夜が明ける位が、放射冷却で一番厳しい。
そんな寒さも一段落、ちょっと春の生き吹きの感触を確かめながら
待合の高幡迄、ひとっ走り。
はてさて、どのぐらいかかるやら、全く読めないまま、約束の時間
に遅れてはなるまいとショートカットで急ぐ。
<黒川公園>

バイパスに出る為の、北側の通称『山』と言われる多摩平に
出る崖をよじ登る。丸木を等間隔に並べられた階段は途中で
落ち葉に埋まり、足元もおぼつかなく一歩々確かめながら、
登ってゆく。普段歩いているとは言え、急斜面に、直ぐに
息を切らし、体力の衰えを感じる。
上に行けば行くほど傾斜がきつく、梯子をよじ登る感覚で
頂上に目指す。
急な登坂路は人が一人通るのが精一杯の路に、両脇から樹木
が、覆い益々狭く、舗装道路に出て、漸くトンネルから抜け
出た感じである。

<日野バイパス>

路地から、直ぐ日野バイパスに出る。
片側2車線、都心に結ばれる、重要な輸送幹線。手狭になった
甲州街道のバイパスとして生まれ未だ日が浅いが、道の拡充が
、軒並み、店が生まれた。
神明の高台から東京方面にはバイパスは長い下り坂であるが、
真っ直ぐ伸びた道なりに市街地が繰り広がり俯瞰できる。
直ぐ脇を半ば高速道路並に疾走する車両の、エンジン音や風
きり音が、もろに飛び込む騒音の中並走するのは、気分は良
くないが、寄るところもあって、この道を歩かざるをえない。
真っ直ぐ、かなり先まで見通せるバイパス路に目標なる看板が
中々見えず、次々に疾走する車を前に、道のりの遠さを思い
切り感じる。

<日本橋屋長兵衛>

バイパスはやがて平坦になり、幾つかの交差点を越え、新川崎
街道に交差する角地に日本橋屋長兵衛に到着する。
巨大な立て看板に上部は家紋と日本橋屋長兵衛がバイパスの
遥か彼方から見える。
意匠をこらした白壁の和風建築に下層の壁には幾何学的な独特的
な模様の『なまこ壁』が一際目立ち、存在感を示している。
江戸、日本橋を起点に暖簾を降ろし、以来日本の伝統の食材の
文化、和菓子の商いを今日まで繋げている。
陳列棚に彩り豊かな、各種詰め合わせが、目に映るが、中々これ
と言う選別を決めかねていたが、余り熟考する時間がない。季節
柄、『おひなさまセット』が良かろうと、衝動的に決め、長兵衛さん
を後にする。

<浅川堰堤>

交差点からバイパスから離れ、新川崎街道を高幡方面に向かう。
浅川を跨ぐ、高幡橋でゆったりとしたうねりの浅川に広がる広大
な自然の川辺が目に映る。川岸の向こう側に高幡不動尊の五重の
塔が見え、目的地まで後残すところ僅かと、思わずほっとする。
高幡橋を渡った所で欄干を降り、浅川の川辺伝いに道を選ぶ。
赤い舗装路は専用歩道として、堰堤の上を走り、川辺の自然を
触れながら、散策やジョギングにそれぞれ楽しむことが出来る。
専用歩道の先に見える白い高層建築とその前に鉄柱が見えるが、
ふれあい橋である。
専用歩道から斜め分岐した路地に入り、しばし、浅川から離れる。

<用水沿いの桜>

入り込んだ住宅地に入り、直ぐ右隣が京王線の専用軌道で、
もう高幡不動駅は目の前である。
住宅密集地に用水が走るが、日野で市内を網の目のように水路
が張りめぐらされる有名な日野用水の一角であろうか・・・。
その用水路沿いに、寒ザクラの一種であろうか、ご覧の通り、
満開の姿に出会い、驚かされる。
未だ3月に入ったばかり、未だ本格的な春を迎える前の寒い時
期に、この華やいだ姿が確実に春の訪れを告げている。
未だこの時期、開いたばかりで、何れは花吹雪となって、水路
沿いの風情を演出してくれるのではなかろうか・・・。

回転寿司で至福の一時

2015-06-19 20:41:00 | イベント

カリン姫が泊まりがけでやってきた
お昼ごはん何処にしようか?
普段、余り縁がない、外食に回転寿司は異口同音で決まった。
かんかん照りの炎天下、じじいのペースで余り、余り歩かせるなの外野のお注進があったが、日野バイパス沿いの急坂の下、魚専門の大型店舗、 角上魚類にまで足延ばす。
バイパス上にバンバン走る坂の下、真っ赤な文字の「上」の看板は手の届くところにあるが、歩くと結構の距離がある。行きは一気に坂を下るが、帰りは胸付八丁、休みがてらふと振り返ると、バイパス上の群れなす車列と市街地の様子が俯瞰できる。

誕生して間もないバイパスは国立ICに通じ、都心と多摩地区を結ぶ、物流幹線となり車の流れが絶えることなく、色々店が誕生しているが、角上魚類もその一つである。
何よりも日本人の魚好き、新潟から新鮮な魚を直送、店から手に提げる袋の中身は折り詰め寿司であろうか・・・。


角上魚類で買い物をして、坂に登って、目の前の回転すしへ辿り着く。他にお店もないこともあって、人通りが少ないが時間になると、家族連れ、ママ友、連れ合いが次々と吸い込まれてゆく。

座席の予約。カウンター前に長椅子が用意されているが、スムースに人が流れ此処で滞留すること無く、カウンター越しに、指定番号の席が案内される。


テーブル越しに、次から次へと、多種に渡る握り寿司が、席の前を通りすぎてゆく。
目の前に用意されたタブレッド端末、手でタッチすると、お好みのメニュウーが種類別に階層化され、そこから、お好みの握りを選択する。
オーダー確定までワサビの有り無しを指定できる。
「さ~て、何にしようか、」彩り豊かなメニューに、目移りして、中々選べない。
スマホで使い慣れたタッチ操作も鮮やかに、戸惑いもなく、選んでゆく。


選んだにぎりが集積され、注文した状況がご覧のように画面上に表記される。

馬蹄形のコンベアーは暖簾越しに料理室に結ばれ、くるくる廻っている。
のれんの向こう側は機械化され、寿司職人がどのように関わっているのか、企業機密で全く伺うこと知れない世界であるが、見てみたい世界である。

新鮮さを売りにする、何百種類のネタを注文に応じて、余り待つこともなく次々に出せる魔法のからくりは庶民でも手を出せる一貫、100円の世界を実現した。
専門的な寿司職人の仕事を機械がやってのける、究極のオートメーションは日本人の食の文化を護り安く楽しめる、英知から生まれた回転寿司なのであろう。

やがて「目の前にやってくるよ」と言う配送のメッセージが、画面から流され、その姿が何時現れるか、目を見張る。コンベア上から、ゆるりとやってくる注文品とお対面、器とセットで自席に受け取る儀式で、スムースにお腹に納まる。

カリン姫は焼きとろサーモンが好きのようで、美味しそうに食べる。爺はビールにやはりトロが言うに言われぬ美味い味、至福の一時であった。

かってはカウンター越しに、寿司職人の威勢の良い、握りを腹に収め、上がりで恐れ戦きながらの高額なお勘定に、おどおどした時代から、気軽に寿司を食べられるようになったのだはなかろうか・・・。
I love susi( ^_^)/□☆□\(^_^ )


ようこそ松崎家の世界へ

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