【合気道 横濱金澤クラブ】電子掲示板

横浜市立金沢中学校の武道場をお借りして合気道教室を開いています。もっぱら初心者を対象として基本技を中心に教えています。

3月のけい古予定

2014-02-28 16:19:33 | けいこ予定
3月のけい古予定は次のとおり。

    3月 1日(土)18:00~20:00 金中
    3月 8日(土)18:00~20:00 金中
    3月15日(土)18:00~20:00 金中
    3月22日(土)18:00~20:00 金中
    3月29日(土)18:00~20:00 金中
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苦をこらえるのが、よき事

2014-02-24 18:51:39 | エッセイ
 元々武士たちにとっては、苦境や困難こそが彼ら本来の生活の場であった、ということができます。刀を抜いて切り合うのが本来の業でありますから、苦痛や困難は彼らにとってまさに普通のことでありました。逆境も苦労も人生においては当たり前のことだと見る感覚は、戦闘者としての武士の習性にその根源を持っていると考えられるでしょう。
 危機に身をさらすことをなりわいにしてきた人たちですから、その逆境に対する感覚も、およそ平和の民の意表をつくものがあります。
「大難・大変に逢(あ)いても、動転せぬと云うはまだしき也。大変に逢いては、歓喜踊躍(ようやく)して勇み進むべき也。一関(ひとせき)越えたる所也。水増されば船高しというがごとし。」(「葉隠」より引用)
 とてつもない危機・困難に直面して、「全く動転しない」という程度では、まだまだ未熟だというのです。困難に出合ったときには、躍り上がって喜ぶくらいの気持ちで勇み進む、一段越えた境地にならなくては駄目だ、と山本常朝は主張いたします。(中略)
「よき事をするとは何事ぞといふに、一口にいえば苦痛(いた)さこらゆる事也。苦をこらへぬは、皆悪(あ)しき事也。」(「葉隠」より引用)
 同じ事がらでも、苦痛をこらえてなされるのが、「よき事」で、苦を伴わずに行うことは悪いことなのだというわけです。「よき事」とは何かを問われたときの、いかにも武士らしい意表を突いた定義であります。
 しかし、よく考えてみるとこの定義は、逆境・不調を克服する知恵として、なかなかに含蓄のあるものと思われます。
 この定義を利用すれば、例えば、不調・スランプのときに行う練習は、何事も順調で稽古が楽しくて仕方がないといったときのそれよりも、はるかに「よき事」だということになります。苦しいときにした努力は、好調のときにした同じ努力よりも、はるかに実りが豊かなのだということです。

 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
 写真:現代語全文完訳「葉隠」(山本常朝)表紙
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武は晴のわざである

2014-02-09 19:59:51 | エッセイ
 時と場所にかなった武士らしい振る舞いは、「伊達」、すなわち粋(いき)で美しいものでなければなりません。
 平安の昔から、人目に立つ(今日いう「目立つ」の「立つ」は、「ダテ」の語源に通ずるともいわれています)華美ないでたち・所作は、武士たちの等しく好むところだったようです。もちろん幕府や大名は、たびたび華美・豪奢(ごうしゃ)な身なりを禁止しましたが、禁令が多く出された事実は、逆に、武士たちがそれほど派手な形を好んだということを裏付けてもいるでしょう。
 武士たちのオシャレ、伊達好みは、おそらく「武」というこの本質にかかわっているものと思われます。戦闘というものは、むき出しの力のぶつかり合いであるいから、美的な要素は余計な邪魔者であると考える方もいらっしゃるかもしれません。確かに、派手な飾りは敵の目標になりやすいし、意匠をこらした甲冑は、近代的な軍装に比べて運動性に劣るでしょう。(中略)
 戦闘者たる武士にとって、戦いというものは、己の人生を懸けた特別な営みであったといえます。武士にとって、戦いは単なる身体運動ではありません。それは生の意味そのものにかかわる、大切な晴(ハレ)のわざであったのです。

「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
写真:伊達正宗像
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皆妻子のためなり

2014-02-02 18:57:50 | エッセイ
 武士は、戦うことにおいては自己を成就する存在です。戦いの結果は、所領の拡大・一族の繁栄という「利」になってあらわれます。戦いに敗れても、その武士の「名」は一族の名誉として語り継がれます。その意味で、武士は、妻子眷属(けんぞく:血筋のつながっている者)、一族郎党という共同体に根ざした存在であるということができます。
 また、武士は女子供を蔑視するという一面的なイメージがあるようですが、ある意味で、武士ほど妻子を大事にした者はいないのです。
 「壬生義士伝」で作者の浅田次郎氏は、主人公である吉村貫一郎(盛岡南部藩を脱藩し新撰組に加わり壮絶な最期を遂げた。)に、「女房に忠義を尽くす(した)」と言わせていますが、これは誇張ではなく、「三河物語」のほか妻子を大事にすることについては様々なエピソードが残っています。
 「奉公一篇に精を入れ、又は妻子以下の育てに心懸け候者は、一生を見事に暮す者也。」(「葉隠」より引用)すなわち、武士に求められていたことは、「一命を捨て奉公すること」と「妻子を育むこと」の2つがあり、武士の武士らしい「見事」なあり方には、命を捨てる戦いと並んで、捨てがたい「妻子」というものが欠かせぬ用件として含まれているのです。
 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
 写真:映画「壬生義士伝」より



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県立金沢文庫の白梅がほぼ満開

2014-02-02 12:00:57 | 掲示板

 県立金沢文庫の裏庭にある白梅が九分咲きとなっていました。春は確実に近づいていることを実感しました。(^o^)/
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昇級審査

2014-02-01 11:00:00 | 日記
 2月1日海上自衛隊横須賀基地にて昇級審査があり、当道場から4名審査を受けました。
 写真は、昨年10月から稽古を始められたMさんの審査の様子です。
 他の流派・武道の有段者で上達も早いため、初心者とは思えない素晴しい動きでした。


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