【合気道 横濱金澤クラブ】電子掲示板

横浜市立金沢中学校の武道場をお借りして合気道教室を開いています。もっぱら初心者を対象として基本技を中心に教えています。

苦をこらえるのが、よき事

2014-02-24 18:51:39 | エッセイ
 元々武士たちにとっては、苦境や困難こそが彼ら本来の生活の場であった、ということができます。刀を抜いて切り合うのが本来の業でありますから、苦痛や困難は彼らにとってまさに普通のことでありました。逆境も苦労も人生においては当たり前のことだと見る感覚は、戦闘者としての武士の習性にその根源を持っていると考えられるでしょう。
 危機に身をさらすことをなりわいにしてきた人たちですから、その逆境に対する感覚も、およそ平和の民の意表をつくものがあります。
「大難・大変に逢(あ)いても、動転せぬと云うはまだしき也。大変に逢いては、歓喜踊躍(ようやく)して勇み進むべき也。一関(ひとせき)越えたる所也。水増されば船高しというがごとし。」(「葉隠」より引用)
 とてつもない危機・困難に直面して、「全く動転しない」という程度では、まだまだ未熟だというのです。困難に出合ったときには、躍り上がって喜ぶくらいの気持ちで勇み進む、一段越えた境地にならなくては駄目だ、と山本常朝は主張いたします。(中略)
「よき事をするとは何事ぞといふに、一口にいえば苦痛(いた)さこらゆる事也。苦をこらへぬは、皆悪(あ)しき事也。」(「葉隠」より引用)
 同じ事がらでも、苦痛をこらえてなされるのが、「よき事」で、苦を伴わずに行うことは悪いことなのだというわけです。「よき事」とは何かを問われたときの、いかにも武士らしい意表を突いた定義であります。
 しかし、よく考えてみるとこの定義は、逆境・不調を克服する知恵として、なかなかに含蓄のあるものと思われます。
 この定義を利用すれば、例えば、不調・スランプのときに行う練習は、何事も順調で稽古が楽しくて仕方がないといったときのそれよりも、はるかに「よき事」だということになります。苦しいときにした努力は、好調のときにした同じ努力よりも、はるかに実りが豊かなのだということです。

 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
 写真:現代語全文完訳「葉隠」(山本常朝)表紙
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