【合気道 横濱金澤クラブ】電子掲示板

横浜市立金沢中学校の武道場をお借りして合気道教室を開いています。もっぱら初心者を対象として基本技を中心に教えています。

危機に処する基本は『機転』

2014-01-26 12:37:26 | エッセイ
 武士の生活は、危機の連続といえましょう。合戦や喧嘩は当然危機の連続ですが、武士の場合は平時のお城勤め、役人としての日常も様々な危険に囲まれているのです。合戦におけるわずかな失策が死につながるように、平時におけるつまらぬ失策も直ちに死に至るのが武士の生活でした。またちょっとした口論が容易に命の取り合いに発展することもありました。
 戦国乱世の法から発展した武家社会の法制は、過酷で弾圧的なものでした。「成敗」「御仕置」といえば原則「死刑」を意味する社会において、失敗の責任を取ることは「死」と同義語だったのです。
 どんな時でも危機を切り抜けるために必要なのは「機転」です。いつもやっていることが通用しないからこそ危機なのであり当然のことです。普段と違う状況に対応して頭を切り替える柔軟性、未知の事態に動揺しない胆力、直ちに行動に移す実行力、こうした知恵・力のあらわれが、臨機応変・当意即妙の「機転」と呼ばれるものなのです。 
 「葉隠」より鍋島直茂(後の佐賀藩主)が秀吉に従い朝鮮へ出陣したときのエピソードを紹介します。直茂が高台から自陣の様子を見渡すと、母衣(ほろ)武士が母衣をはずしてくつろいでいました。陣中、無断で軍装をとくとはけしからんと怒り、詮議のため使者を送ったところ、小山平五左衛門という武士が次のように答えました。
「二十八人の母衣衆が、目と目をきっと合わせ一斉にはらりと母衣を脱ぎました。」この答えを聞いた殿様は「やられた」と思ったことでしょう。
 おそらく小山平五左衛門という武士は、身分は低かったかもしれませんが、胆力のみならず、柔軟な思考、状況全体を見抜く冷静さ、そして何より率先して危機を引き受ける勇気・実行力を兼ね備えた武士だったものと考えられます。
 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
 写真:母衣武士(金沢市)
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2月のけい古予定

2014-01-20 19:05:33 | 掲示板
2月のけい古予定は次のとおり。

    2月 1日(土)昇級審査
    2月 8日(土)18:00~20:00 金中
    2月15日(土)18:00~20:00 金中
    2月22日(土)18:00~20:00 金中
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独立独歩の武士

2014-01-11 08:44:33 | エッセイ
 私たちは子供のころ「自分のことは自分でしなさい。」と親から何度言われたことでしょうか。実はこれも武士道と深い関係があるのです。
 そもそも武士という存在は、他人の力に頼らず、自分の実力(武力や知恵)だけをもとに己を立てる生き方に起源をもちます。自分の始末は自分でつけられることが一人前の武士であるための最も基本的な条件だったのです。
 『甲陽軍鑑』(武田信玄など武田氏の戦略・戦術を記した軍学書)では、人に構わず自ら進んで行動できる武士こそ、平時・戦時とも最も優れた手柄をあげる理想的な武士である、と説いています。
 福沢諭吉の「独立の精神」が、武士の気風と強くつながっていることはしばしば指摘されているところです。他人に率先し危地に突入する「我こそは」の精神こそが、武士の武士たるゆえんであり、一番槍(やり)、一番乗りにみられる「ぬき出る侍の意地」が明治の「独立の精神」に連綿と受け継がれていると言えます。
 武士の「独立自尊」は、究極的には戦場における死地への突入によって証されます。人間にとって最も嫌なこと、すなわち「死」を敢えて積極的に引き受けることによって「我」が実現するというのが武士道の根本精神です。
 切腹は、己を立てる武士に対して、自分で自分を裁かせることを許すために与えられた名誉ある特権でした。自分で自分の始末をつけるとはこういうことでした。
 「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
 写真:鶴ヶ城(会津若松市)
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礼儀は甲冑である

2014-01-05 10:33:06 | エッセイ
「礼儀は甲冑である」
「甲冑(かっちゅう)はすなわち恥ずかしむべからざるの色あり。人、礼譲を服して以って甲冑となさば、誰か敢えてこれを辱めん。」(佐藤一斎『言志晩録』) 
 よろい、かぶとで武装している者を侮ることはできない。同様に、礼儀正しく振る舞う者を、人は容易に辱めることはできないということ、を言っています。
 礼儀正しい振る舞いは、自他の間にある種の障壁を作ります。容易に他人を近づかせないという意味では礼儀はまさに甲冑と同じです。そして、振る舞い一つ一つが意識的に選択され、はっきりとした自覚のもとになされる。これはつまり、一挙一動の細部にまで神経が行き届き、油断や隙が生じる余地がないことを意味します。
 一般に型にのっとった振る舞いというのは、本来徹底的に合理的な所作であり、無駄がないわけです。戦いを本来の業とする武士が、日常の所作においても意識的で、無駄のない動きをよしとしたのは当然のことでした。(菅野覚明著「武士道に学ぶ」より引用)
 弓馬や礼法で有名な「小笠原流」の起源もこういうところにあったのではないでしょうか。 
 武道では、「礼に始まり礼に終わる。」と言われるとおり、師範の先生、稽古の相手、神棚や道場そのものに対して礼をする機会は非常に多いです。

 新年明けましておめでとうございます。管理人の杉本です。本年も引き続き「武士」にこだわって投稿していきますので、乞うご期待。
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