時と場所にかなった武士らしい振る舞いは、「伊達」、すなわち粋(いき)で美しいものでなければなりません。
平安の昔から、人目に立つ(今日いう「目立つ」の「立つ」は、「ダテ」の語源に通ずるともいわれています)華美ないでたち・所作は、武士たちの等しく好むところだったようです。もちろん幕府や大名は、たびたび華美・豪奢(ごうしゃ)な身なりを禁止しましたが、禁令が多く出された事実は、逆に、武士たちがそれほど派手な形を好んだということを裏付けてもいるでしょう。
武士たちのオシャレ、伊達好みは、おそらく「武」というこの本質にかかわっているものと思われます。戦闘というものは、むき出しの力のぶつかり合いであるいから、美的な要素は余計な邪魔者であると考える方もいらっしゃるかもしれません。確かに、派手な飾りは敵の目標になりやすいし、意匠をこらした甲冑は、近代的な軍装に比べて運動性に劣るでしょう。(中略)
戦闘者たる武士にとって、戦いというものは、己の人生を懸けた特別な営みであったといえます。武士にとって、戦いは単なる身体運動ではありません。それは生の意味そのものにかかわる、大切な晴(ハレ)のわざであったのです。
「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
写真:伊達正宗像
平安の昔から、人目に立つ(今日いう「目立つ」の「立つ」は、「ダテ」の語源に通ずるともいわれています)華美ないでたち・所作は、武士たちの等しく好むところだったようです。もちろん幕府や大名は、たびたび華美・豪奢(ごうしゃ)な身なりを禁止しましたが、禁令が多く出された事実は、逆に、武士たちがそれほど派手な形を好んだということを裏付けてもいるでしょう。
武士たちのオシャレ、伊達好みは、おそらく「武」というこの本質にかかわっているものと思われます。戦闘というものは、むき出しの力のぶつかり合いであるいから、美的な要素は余計な邪魔者であると考える方もいらっしゃるかもしれません。確かに、派手な飾りは敵の目標になりやすいし、意匠をこらした甲冑は、近代的な軍装に比べて運動性に劣るでしょう。(中略)
戦闘者たる武士にとって、戦いというものは、己の人生を懸けた特別な営みであったといえます。武士にとって、戦いは単なる身体運動ではありません。それは生の意味そのものにかかわる、大切な晴(ハレ)のわざであったのです。
「武士道に学ぶ」(菅野覚明著)より引用
写真:伊達正宗像
