Re-Set by yoshioka ko

香港メディアの「死」(前編)

▶『香港 りんご日報 廃刊』
その見出しを目にしたとき、とうとう来たか、と一瞬その素早さに驚いた。
 
すぐさま、あの記者、このカメラマン、
そして彼らが所属している新聞社の人たちを想った。
24年前、TBS『報道特集』の取材で、
私のインタビューに「圧力には屈しません!」と決然と答えた発行人や、
「自由です!」とすかさず答えた写真記者たちのことだ。
 
トータルでいえば155年ぶりに中国に返還される香港の人々は、
返還日となる1997年7月1日という日をどう迎えるのだろうか、と考えた私は、
急激に部数を伸ばし始めていた『りんご日報』編集局に密着し、
「その日」をドキュメントすることでそのことをみつめてみようと決めた。
 
番組上のタイトルは「香港メディアは生き残れるか」。
 
返還後も50年にわたって「1国2制度」「港人治港」と、
それまで香港が培ってきた価値観は保障される、と約束されていた。
だが中国に返還された後も新聞人たちは
そのことが確かなものとして確信しているのだろうか、と
私自身、確かめたいという強い思いがあったからだ。
 
その最初の試金石となったのが、
返還26日前となる6月4日の天安門事件追悼式だった。
中国本土では封印されてきたが、香港では毎年行われてきた。
 
その取材の担当は石海慧記者。早速、子連れの主婦にインタビューしている。
「集会にはなぜ参加したの?」
「子どもたちにあの出来事を伝えたくてね・・・」
 
合間を見て、今度は私が石記者に聞いてみる。
「いい記事が書けそうですか?」
「参加者たちの本音を聞き出して書くわ」
 
天安門事件関連の取材は香港メディアにとっても人ごとではない。
もうじき、その国に返されるのだ。
報道する者にとっても「正念場」でもある。
 
『報道特集』の取材で出会った『りんご日報』の発行人と石記者(1997年6月)
 
▶『人の心は死なず』
集会を取材した記事はどのように紙面に反映されるのか?
取材する私にとっても注目すべき事柄だった。
 
日々の新聞を必ずチェックするのが発行人の羅燦さん。
この日は一面一枚の写真でぶち抜かれた校正刷りを殊更丁寧に点検していく。
紙面作りの大胆さにまず驚いた。
 
「こんなに大きな紙面にすることに不安はないですか?」
 
私の質問に発行人が決然と答える。
 
「確かにこのニュースを好ましく思う人も、思わない人もいるでしょう。
しかし、私たちが心がけているのは正確に報道することです。
これだけの大ニュースですからきちんと扱うのは当然のことです」
 
印刷され、発行された新聞の一面は、5万5000人もの人たちが集まった集会写真一枚。
そして、たった8文字の漢字がでかでかと躍っていた。
 
『人の心は死なず(人心不死)
 ろうそくの光は不滅だ(燭光不滅)』
 
中国政府に対しても歯に衣を着せぬリベラルな姿勢で人気を集めて2年目。
タブロイド紙『りんご日報』の実売部数は30万部と、
香港第2位の新聞として急成長していたのだ。(この稿続く)
 

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