Re-Set by yoshioka ko

香港メディアの「死」(後編)

▶「報道の自由は免罪符ではない」と中国政府
『暴政の犠牲に』
『中国化拒んだりんご日報』
『報道の自由が終わりを告げる日』
『最終版に長蛇の列』
 
日本の新聞やテレビも香港の新聞『りんご日報』の廃刊を大きく伝えた。
いずれのニュースも中国共産党政権を批判する趣旨で貫かれている。
 
中国共産党政権は新聞経営者や編集主筆を拘束し、
そればかりか会社資産の凍結、銀行融資の禁止と、
なりふり構わぬ強硬手段を講じて言論機関を潰してしまった。
 
これに対して「報道の自由は免罪符ではない」と、
中国外務省は国際社会から高まる批判には批判で答えているが、
言い方を変えれば、「中国には中国の民主主義がある」といいたいのだ。
 
こういう「物言い」は独裁国家の常套句でもある。
北朝鮮もそうだし、ロシアもそうだ。かつては韓国もそうだった。
戦前の日本だってそうだった。そんな例を私はいくつも見てきた。
 
有り体にいえば「政権のやることに批判を許さない」ということだ。
最近の日本も、特定の新聞やTV番組を名指しで批判する権力者もいるし
だから決して他人事ではないのだが、ここからは昨日の続きだ。
 
香港返還を目の前にして、
発行部数30万という香港第2位のメディアとなった『りんご日報』は、
どんな感慨を込めて当日の紙面を作るのか。
『りんご日報』風にいえば『殖民地香港最後一日』ということで、
私も取材する記者たちに密着して取材させてもらうことにした。
 
 
6月30日、この日は朝から雨だった。
編集局には「突発組」(遊軍)も動員され、自由に取材に動き回る。
その一人、入社2年目という女性の写真記者、黄冠華さんに同行。
何を狙っているのだろうか。
 
「新しい時代に最初に生まれた赤ちゃんの写真を撮るんです」
 
なるほど、新時代に相応しいネタかも知れない。
 
▶一抹の「不安?」
しかし、この新時代に生まれる赤ちゃんにとって、
それは本当に輝かしい未来になるのだろうか?
私は、そんな疑念を発行人の羅燦さんにぶつけてみた。
 
「7月1日以降、(中国共産党から)あれこれいわれるかも知れません。
だが、真実を正確に客観的に報道すれば批判されることはないはずです。
圧力には屈しません。それが私たちの姿勢です」
 
「ないはず」という言葉に一抹の不安を隠していたのかもしれないが、
それでも言葉には決然とした響きがあったことを覚えている。
 
記者への同行のかたわら、どうしても会っておきたい人たちがいた。
返還を前に「逃げ出すネズミ」と揶揄されていた言論人のことだ。
 
返還後も残って言論活動をするのか、
それとも、自由の身を確保した上で書き続けるのか。
私には「逃げ出すネズミ」などと呼ぶには抵抗があった。
 
その一人、北京で取材中、スパイの疑いをかけられて
10年も軟禁されたという夕刊紙『新晩報』の元編集局長、
羅孚さんはサンフランシスコに移住すると決めていた。
 
「香港の言論人は自己規制し、自らの手足を縛っている。
どの新聞も載るべき記事が載らなくなってしまっている」
 
香港の新聞に投稿してきた評論家の凌鋒さん。
カナダに避難するだけだ、といってこんな話をしてくれた。
 
「以前から私はいろいろな記事を書いてきたが、
段々載せてくれる新聞がなくなってきた。紙面の刷新だ、とかいってね。
しかし、私は、祖国を棄てるわけではありません。一時離れるだけです」
 
凌鋒さんは香港で書いた最後の原稿を見せてくれた。
タイトルは「再見!香港(さよなら!香港)」。
 
「世界のどこにいようとも香港を忘れず、香港について書き続けていこう。
それが私にできる香港への恩返しなのだから。さよなら!香港」
 
二人は30日の午後便で香港から旅だって行った。
 
7月1日午前 零時。
 
この瞬間、香港は中国に返還された。
密着同行していた『りんご日報』の写真記者、
姜偉康さんは、ひとりごちた。
 
「中国だぁ・・・」
 
ときを見計らって声をかけてみる。
 
「嬉しい?」
 
ちょっと考え込む姜さん、そして静かにいう。
 
「うーん、どうかな・・・。複雑」
 
言葉は続かなかった。
 
▶裏切られた「香港の明日」
羅発行人は返還当日の朝刊紙面をどうするか悩んでいた。
だが、整理部から回ってきた見出しは
『12億人の願いが叶った』
 
「だめだ!これじゃぁ香港人の正直な気持ちが表現できていない。
まだまだ直すつもりです」
 
そして、ようやく決まった。
 
『一個大時代的開始(大きな時代の始まり)
 香港信有明天(香港は明日を信じている)』
 
香港人の主体性と希望を精一杯願った見出しとなっていた。
 
 
私は、編集局に戻ってきた姜偉康写真記者に、
これからの新聞について質問してみた。
 
「りんご日報の一番いいところはどこですか?」
 
すかさず答えが返って来た。
 
「自由」
 
この取材から24年。『りんご日報』はついに、廃刊を余儀なくされた。
 
返還後、徐々に強まる中国共産党政権の包囲網。
そんな中、最後の砦でもあった「言論の自由」も
「共産党が決めた言論の自由」におとしめられた。
 
当時、取材した記者たちはこの事態をどう受け止めているのだろうか?
 
そして、「逃げ出すネズミ」と揶揄された二人の言論人は、
この事態をどう見ているのだろうか?
 
廃刊となった日の最後の新聞は100万部が売り切れたという。
そこに微かな救いや希望を見出すが、
意のままに言論が操つられていいはずはない、と反発しながらも、
やはり最後には、どうしても日本の言論状況にも思いをめぐらす一日ともなった。

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