《以下引用》
「安倍首相は9日夕(日本時間9日夕)、シドニー市内のホテルで記者会見を開き、11月1日に期限を迎えるテロ対策特別措置法の延長問題で、「民主党はじめ野党の皆様のご理解をいただくため、私は最大限の努力を払わねばならないと考えている。そのために全力を尽くし、職を賭(と)していく考えで理解を得ていく」と強調した。そのうえで、「すべての力を振り絞って職責を果たしていかなければならない。そこで私の職責にしがみつくということはない」と強調し、インド洋における海上自衛隊の給油活動が継続できなくなった場合、内閣総辞職もあり得るとの考えを示唆した」(「9月9日『読売新聞』)《引用ここまで》
「職責にしがみつくということはない」という言葉は、実はもっと以前に言うべきだったのではないか。そうでなければ、職責にしがみついて今日まで来ている姿は、世間がいうところの参議院選大敗北の責任は感じていなかった、ということになる。
だが、安倍さんがシドニーで述べた今日の言葉は、二つの受け止め方がある。ひとつは、言葉通りテロ特措法が通らなかったら内閣総辞職をする、という意味である。選挙後責任をめぐっていろいろ批判されてきたが、辞職の理由がようやく見つかった、という安堵感すら窺える言葉だ。
もうひとつは、いまから不退転の決意を示しておいて、特措法の継続議案が参議院で否決されようが(民主党には継続審議廃案という手もあるにはあるが)なにしようが、衆議院に戻されたときには、今度は衆議院で多数を占める自公にものを言わせて決議させてしまう。その上での内閣総辞職、解散、という意味を込めた言葉だ。
まるで小泉政権時代の「郵政民営化賛成か、反対か」の柳の下のもう一匹のドジョウを狙う手だ。果たして上手くいくのか?
大敗北の後、辞任はしない、と言明をした以上、辞任をしない、を至上命題としながらも、もし辞任をするとなればその名分は作っておかなければならない。押し寄せた水によって、砂で作られた楼閣があれよあれよという間に崩れ落ちるような「みっともない」真似だけはしたくない、と安倍さんもその閣僚たちも考えているに違いない。
辞任は既定の事実だとしても、いかに格好良く、大義名分も立ち、自民党に大怪我をあまり負わせないで安倍内閣を終わらせるか、その「妙案作り」が始まったのかも知れない。
そのあたりの閣内雰囲気は、舛添要一厚労相の「パフォーマンス=姿勢」を見ていれば、逆の意味でよく分かる。参院選後、あれだけ厳しく安倍さんの責任の取り方を批判してきた舛添さんが厚労相を受けたのは、言うまでももないことだが、安倍さんがこけても自分だけは浅い傷でいたい、という心理はあるからであって、それは当然のことだ。
閣僚のひとりとして舛添さんが安倍批判をし出したら、この内閣の先は短いと思って差し支えないだろう。閣僚も「戦争」なのだ。
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