吉岡攻の「そんなことって、あり?」

時にはふるさと信州で、時には日本の各地で、そして時には世界で、日々起きているさまざまな問題を考える場です。

■原発事故から1年7ヶ月

2012-10-07 | 「311」
現住所のあるところが「ホットスポット」だ、ということは以前に書いた。その住宅の理事会や町会で、今年は役員を仰せつかり、毎週のように土日は何らかの委員会の会合がある。

会合のひとつに『放射線対策委員会』というのがある。しかし、委員長の体調が悪く、どういうわけか私がその代理となってしまっていた。

今日は、朝9時から、その委員会による「ホットスポット」となってしまった町会の、およそ200カ所の地点での放射能値を測定する予定だった。だが、雨のために、明日に延期となった。

そのことはいいのだが、実は、測定のために必要な線量計を15台、昨日、市から借りてきていた。そして、今日の測定のために、任意の3カ所で、線量計ひとつひとつが示す数値を測り、その「誤差」を記録した。同型同種の線量計でも、数値は必ずしも、というか、ほとんど一致しない。15台が15台とも、大幅に、場合によっては微妙に違った数値を示す...、ということを知った。

さて、明日は9時から(すでに去年から定点観測となっている)およそ250カ所の地点を測定する。いずれの地点も、地上から5センチ、50センチ、100センチの高さの3点で測定する。

原発事故から1年7ヶ月、「ホットスポット」といわれ、放射能に対する危機意識が町会のあちこちで芽生えてはいるが、明日、線量計はどのような数値を出すのだろうか。

同社製、同型同種の線量計を15台も並べてみると、何ともひどい世の中になってしまった、とあらためてため息も出るのだが、それらの機器がはじき出す数値を、できるだけ客観的に並べてみたいと思っている。

なにしろ、東電は「すでに流れ出てしまった放射性物質は、本来の持ち主の手元を離れてしまったのだから、どこに付着したとしても、持ち主でない以上その責任は取れない」と〈無主物(無)責任論〉を展開する。

「ホットスポット」であっても、私有地は〈私〉が除染の責任を負う、という理不尽さが大手を振っているのだ。
コメント

■合掌、大滝秀治さん

2012-10-06 | Weblog
 俳優、大滝秀治さんが亡くなった。

 訃報がニュースになる直前の午後1時5分に、以前、プロデューサーとして関わった大滝さんのドキュメンタリー(NHKハイビジョン特集『全身“役者魂”大滝秀治~84歳 執念の舞台』2009年1月23日放送)でお世話になったNさんからの電話で知った。あまりの驚きで声が出なかった。

 番組を担当したMディレクターも、一瞬声を詰まらせた。
 
 つい先日、高倉健のドキュメンタリーの中で、現在上映中の「あなたへ」という映画で共演していた大滝さんの大滝さんらしい演技を見たばかりだったので、余計、訃報が信じられなかった。

 去年、これもNHKのハイビジョン特集で、プロデューサーとして関わった『役者 奈良岡朋子~舞台の上の60年~』(2011年12月6日放送)で、大滝さんのライバルでもあり戦友でもある奈良岡さんの舞台を見に来た大滝さんに、Mディレクターの代理でインタビューしたこと...があった。

 「素晴らしかった、素晴らしかった」。

 そう語り、引き続き楽屋裏に奈良岡さんを訪ねた大滝さんは、奈良岡さんの手を握り、「やあ、素晴らしかった、お疲れさん、お疲れさん」と声をかけ、「じゃぁね」といって去っていった。

 時間にすれば2~3分か。ライバルであり戦友とはこういう関係なのだ、と、そのとき奇妙に納得をしたことを思い出す。

 もっと個人的なことをいえば、「ニュースステーション」(テレビ朝日)という番組が始まって間もなくのころ、ベルリンオリンピック(1936年)のマラソン優勝者にまつわる秘話を特集企画として放送したとき、大滝さんにナレーションをお願いした。マラソン優勝者は孫基禎(ソン・キジョン)さんという韓国人だったが、当時は日本の植民地化であったため、孫さんは日本人代表として「そん・きてい」として出場したはずだった。

 だが、その孫さんは、私自身、驚いたのだが、スイス・レマン湖のほとりにあるIOC博物館が近代オリンピックが始まって以降、保管をしてきた歴代メダリストサイン帳に、「そん・きてい」という日本読みではなく「ソン・キジョン」とハングルで署名をしていたことを知った。

 大滝さんは、細かい秘話まではご存じなかったが、ソン・キジョンさんのことは記憶していて、編集済みのVTRを持って自宅を訪ねた私の目の前で、「孫さんの気持ちはよくわかります」と何度も何度も再生しながら、ナレーションの練習をされた。

 そのときに知ったのは、大滝さんはナレーションひとつにも、リアリズムにこだわる人だ、ということだった。

 大滝さんの死を、多くのファンや関係者が惜しむ。私は私なりの関係において、心から哀悼の意を表したいと思います。
 合掌。
コメント

■福島(3)

2012-10-04 | Weblog
夕方、帰京した。

福島2泊3日の旅は、九死に一生を得た人の話、避難生活故に積み重なった疲労による不注意から、人の命を奪ってしまった話など、人生の「淵」を垣間見るものだった。

こんないい方は何の慰めにならないけれども、もし『原発事故』がなければ、こんな人生の「淵」を見なくても済んだかも知れない。
コメント

■福島(2)

2012-10-03 | Weblog
今日、福島は一日中雨が降ったり止んだり。訪ねた先の公民館では、朝10時からお年寄りたちがカラオケに興じていた。

その公民館の玄関脇の階段に腰を下ろしていた70歳だという男性は、「死んでも東電を恨んでやる、東電を切り刻まなければ収まらない」と右手で自身の胸を叩きながら、何度も繰り返した。

原発事故から1年半。故郷を追われた人々の怒りはますます深まっているように思えた。
コメント

■福島(1)

2012-10-02 | Weblog
某局のドキュメンタリー番組プロデューサーとして、若い担当ディレクターと福島の現場に来て、ほぼ一日、主人公やその周辺の人々に出会った。「311」だけではなく、それから1年半が経つなかで、想像できない出来事が起きていた。

現場から戻り、ディレクターと遅い夕飯を食べながら、当然ながら、これまでと、これからについて、取材の軸をどう修正したり、深めたりするか、という話になった。

いろいろ議論が積み重なったが、結局は、取材相手との信頼関係をいかに深めるか、そのために、自分には何ができるか、何をしなければならないか、というドキュメンタリー基本のテーマに立ち返った。

有意義な議論だった。
コメント