Re-Set by yoshioka ko

■政治家が歴史に責任を持たずにどうする!

 政治が主導して行った結果、出来上がった歴史が、仮に反省すべきものであるとなったら、それは再び政治が歴史を繰り返さない誓いを果たすことは、それは義務ではないか。だが、そうは考えない政治家もいる。以下引用。

 『自民党の安倍晋三元首相は10日、日韓併合100年に際しての首相談話発表に関し「歴史の評価は歴史家に任せるべきで、政府が声明を出すことには慎重であるべきだ」と批判した。山口県下関市で記者団に語った(『産経新聞』8月10日)』

 歴史は、歴史となったからその評価は歴史家に任せる、というのはまやかしでしかない。常に後生の「私たち」が知るのは、その歴史を、こう伝えたい、という人々の側に立った歴史である。都合良く、といってもいいが、歴史はしばしば都合良く解釈されてきた。それは、その歴史となる事実を裏付けるものなしに、語られてきたからである。

 本当は、今は歴史となったが、その歴史を検証する材料は残っているはずである。検証する材料を精一杯吟味することで、歴史の真実が見えてくる。検証する材料は、年月が経ち、その努力さえすれば手に入る。

 政治家の阿倍は首相時代に何をやったのか?
 阿倍がやったことは、いつか歴史になる。その歴史の評価は歴史家に任せろ、というのは、そもそも歴史に責任を持つべき政治家としては失格である。いわんや、植民地支配をや、である。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ニッポンの政治」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2021年
2012年
人気記事